「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」第4回

「色彩と戯れる――ジャック・ヴィヨンの絵画作品」

松井裕美


 版画家として名を馳せたジャック・ヴィヨンだが、絵画制作も行っている。画題としては版画と共通するものが多いのだが、彼の絵画作品は、版画における白と黒のドラマとは全く異なる雰囲気を持つ。
 例えば1912年から13年の間に描かれた油彩画《静物》を見てみよう。この作品は、前回の記事で触れた同年のドライポイント《ディナー・テーブル》と同じ構図の作品で描かれている。だがその印象は大きく異なっている。版画作品では、最前面に描かれているテーブルクロスは、その向こうの静物に比べて控えめに表現されており、なかなかそこに意識は向かわない。だが絵画作品においては、手前のテーブルクロスは最も明るい白色で塗られていて、真っ先に目がいくモチーフとなっている。また版画作品では背景の壁面が、謎めいたやり方で幾何学的に分割されているが、絵画作品の背景は暗いトーンで彩られているため、とりたてて目立つことのない表現となっている。

図ジャック・ヴィヨン《静物》1912~1913年。カンヴァスに油彩、88.9 x 116.1 cm。イェール大学アート・ギャラリー

 ただ、版画に比べて絵画の方がモチーフを判別しやすいかというと、そうではない。というのも、彼が用いる色彩は、必ずしもその対象の理解を補助するためのものではないからだ。はっきりと判別できるのは白いテーブルクロスのみであり、その上に置かれている果物がなんであるのか、皿が何色でどのような模様なのか、水差しには何が入っているのか、この画面から理解することはできない。そこには、テーブルに乗ったさまざまな事物の存在をぼんやりと想起させる絵の具の塊があるだけだ。
 踊るような曲線と厳格な幾何学の輪郭の組み合わせによって目を楽しませてくれる版画作品とは異なり、ヴィヨンはここで、面的な表現の実験を突き詰めようとしているのである。ある面は単色で彩られ、明瞭な輪郭線を見せているが、別の面ではグラデーションが付けられていたり、絵の具の染みのようなものが突然現れたりする。面と面の間が筆触によって曖昧にされており、そのせいで輪郭が明瞭ではない箇所もある。彼は、モチーフを再現することよりもむしろ、モチーフを口実にしながら、色と光の表現、そして絵の具のテクスチュアという、三つの要素が織りなす実験をおこなっているのだ。
 こうした実験への背景には、それ以前の芸術家たちによる実験的な色彩表現への関心があった。例えば1901年に完成した油彩画《レイモン・デュシャン=ヴィヨンの肖像》(ルーアン美術館)は、印象派的な明るい色彩で描かれているし、1909年の《自画像》には、マティスのような大胆な色彩の対比と筆致が認められる。フィラデルフィア美術館の1912年の油彩画《少女》には、はっと目を引く赤色やオレンジのうちに、これでもかというほどの色彩を用いる喜びを感じるが、他方で構成的筆触(セザンヌの作品から学んだと思われる)によりさまざまな色彩の面をつなぎ合わせる(色彩感覚は非常に新印象派的だ)という、理知的な試みも認められる。同じ特徴は、キュビスムの画家であるドローネー夫妻が、新印象派の理論を突き詰めながら洗練させた「色彩の同時対比」の技法にも認められるものだった。
 先に触れた作品の燃えるような赤とは対照的に、1912年から1914年の間に描かれたニューヨーク近代美術館の《ピアノを弾く少女》は、緑や紫といった寒色系でまとめられた作品である。比較的静かな印象の作品ではあるものの、画面いっぱいに線が踊り、色彩はそれとはまた別のロジックで自らを主張している。ヴィヨンの絵画で展開される実験はこの時、作品制作の度に目まぐるしく変化しており、単純な様式論では決して語れない複雑さを有していたのである。
まつい ひろみ

■松井 裕美(まつい ひろみ)
1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、神戸大学国際文化学部准教授。専門は近現代美術史。
単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siècle, du cubisme au surréalisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。

・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。

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*画廊亭主敬白
例年より少し早いですが、本日25日をもって今年の営業を終了します。
コロナに振り回された一年でしたが、お客様のおかげで何とか無事、新年を迎えられそうです。
とはいえ、ブログは年中無休。担当者は冬季休廊中の9日間の記事を今日中に予約しなければならず、悪戦苦闘しています。何とか残業せずに終えて欲しいのですが・・・
昨日はジョナス・メカスさんのお誕生日だったので触れませんでしたが、12月24日は私たちが大変お世話になった辻佐保子先生の命日でした。
このブログで佐保子先生からいただいた小さな鉛筆のことを紹介したこともありました。
辻邦生先生には宮脇愛子銅版画集のための序文「無限への鏡」などいくつか原稿も書いていただきました。
お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。

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ときの忘れものは、明日12月26日(日)~1月3日(月)まで冬季休廊いたします。
休廊中にいただいたメールには1月4日(火)以降に順次ご返信いたします。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
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