井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第9回

『偶然と想像』

あけましておめでとうございます。2022年1回目のブログは、昨年12月から公開している濱口竜介監督の映画『偶然と想像』について書いてみようと思います。心惹かれた点について詳しくは下記に書き進めていきますが、まずは『偶然と想像』、濃密だけれど軽やかで、大胆だけれど丁寧で、めちゃくちゃ面白かったです。予告を観てもあらすじを読んでも事前に予想できない内容かと思うので、とにかく観て欲しい。映画館で笑い声に包まれる体験は、とても幸せなものでした。

『偶然と想像』予告編。「偶然」をテーマに第1話から第3話までの3つの物語が織りなされる「短編集」。


●違和感が透けない台詞/わたしの名前でわたしを呼んで

濱口監督の東京藝大時代の師である黒沢清監督は以前インタビューで「古臭いモラルは絶対に作品のどこかに滲み出てしまう」とおっしゃっていましたが、私も映画を観ていてふとした描写に違和感を感じてしまい、一気に冷めてしまう経験をしたことが何度もあります。例えば当たり前のように女が男にお酌しているとか。しかし濱口監督の映画を観て感じるのはその逆、映画の中のモラルを常に更新しようとしている姿勢です。

監督自身が脚本を執筆した『偶然と想像』においては、登場人物たちが話す台詞に、その態度がはっきり表れていると感じました。「~だろ」「違くね?」等と、砕けた言葉を織り交ぜて笑い合う女たち、誰かに褒められたとき「私なんかが」と謙遜せずに「ありがとう」と返す人、「普通は〇〇」とゆるい檻に当てはめられそうな場面で「“普通”は知らないけど」と即座に返答する人 etc. 、印象的な台詞はいくつもありましたが、中でも思わず「わかる!」と共感したのは「夫さん」という言葉。会話のなかで夫婦の関係について触れるとき「旦那」も「主人」も「奥さん」も「嫁」も、できるだけ使いたくない(言葉そのものに含まれる「男が主権を持っており、女は家を守る」ニュアンスに違和感があるから)。そんな日常のなかのジレンマが、こんなにも早く映画に取り込まれていることに純粋な感動を覚えましたし、何よりそれらの台詞が「古臭いモラルに囚われていませんよ」と嫌らしく目立つことなく「登場人物たちが自然に発するであろう言葉」として現実味を帯びていることが、この映画や、濱口監督の凄みだと感じました。

加えて印象深かったのは、第1話で元彼の和明に「お前」と呼ばれた芽衣子が、自分のことを名前で呼ぶよう指摘する場面と、第3話で結婚して苗字を変えた小林あやが、大切な人の「名前(苗字ではない)」を思い出す場面。これらのシーンは「お前」と呼ばれて「キュン」となるような現実味のない恋愛物語や、選択制夫婦別姓が採用されておらず多くの場合は女性が姓を変えなければならない現状へのカウンターにもなりえると同時に「その人だけが持つ価値(≒名前)を認める」という、作品全体に流れるテーマとも響き合っている。触発されて私も、2022年は友人のことを苗字でなく名前で呼んでみようかなと思い始めたのでした。

●コントロールできないものと付き合うこと

『偶然と想像』には様々な「コントロールできないもの」が映り込んでいます。照明がほとんど焚かれなかったという現場で登場人物たちを照らすのは、撮影時の「偶然」の自然光や街の灯り。第3話では舞台である仙台の道が、前日に雨が降ったのか、しっとりと濡れています。劇中、3日後、5か月後、5年後、20年後……と否応なく過ぎていく時間も、もちろん人間が支配できるものではない。第3話で登場する架空のコンピューターウイルス「Xeron」も、人々の生活に変化を余儀なくさせます。『偶然と想像』はまず、それら「コントロールできないもの」を、良くも悪くも「コントロールできないもの」だと認めた上で、じゃあ何を選択し、どう生きていくのか、ということを問いかけてくる。

例えば同作では、第1話から第3話まですべての物語において、「屋外に出ようと試みたけれど、外的要因に遮られて結果的に出られない」展開が描かれていますが、たとえ部屋から出るという目的が、コントロールできない要因によって制限されたとしても、登場人物たちは居合わせた相手やその場の状況に真摯に向き合う選択をしたことで、それぞれの人生にとって重要な時間を過ごすことができた。この描写は、コントロールできないウイルスによって外出を制限されるコロナ禍での生活を励ましてくれるもののように感じましたし、それゆえ劇中、随所で窓ガラス越しに映される屋内の人々の姿は、不思議な親近感と共に記憶されました。

また上記のような思考回路の末で、気にせずにはいられないのが第1話のラストショットです。何がどう映されているのかについての詳しい説明は割愛しますが、私はその場面を「コントロールできないものとできるもの(言い換えるならば運命と選択みたいなもの)が、同じ空気をかすめた一瞬(&その積み重なりとしての街)」を記録したものだと解釈しました。とんだ拡大解釈かもしれないのですが、少なくとも私はそのショットから、いつも目の前の状況に懸命に向き合っていれば、時たまコントロールできない流れの美しい側面に巡り合えるかもしれないという前向きな予感と、「そんなことは中々起こらないからファイト」と励まされるようないたずらっぽい気分を感じて、元気をもらったのでした。

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●追伸

同作のパンフレット(とても面白い)の中で、私は監督の過去作を網羅するフィルモグラフィーの執筆を担当させて頂いたのですが、その際、映画から受け取った熱を言葉にすることの難しさに直面しました。学生時代から濱口監督の作品が大好きでしたが、その感動の正体を分析し、言語化する作業を怠ってきてしまったのだと思いました。

監督ご本人の頭脳明晰で、丁寧な人柄が滲むインタビューや、さまざまなメディアで目にする冴えた評に頼って、かなり「わかった風」になっていましたし、自分が何か書いたり発言することで「こいつは何もわかってないな」と思われることを恐れていました。しかし濱口監督の作品群を一挙に観返したとき、映画のなかで魅力を放っているのは、恥ずかしさや自意識にグッと耐えて、率直な想いを言葉にしようとする人たちなのではないかと思い至ったのです。だから私も今年は、自分の感情の正体を探り、恥ずかしがらずに言葉にしたり、自分を守るためだけの言葉を極力使わないトレーニングを、少しずつしていきたいと思っています。この後書きすら言い訳がましく恥ずかしいですが、そんな訳で、どうぞ今年もよろしくお願い致します。

映画『偶然と想像』公式サイト
https://guzen-sozo.incline.life/

濱口竜介監督特集上映《言葉と乗り物》特設ページ
https://guzen-sozo.incline.life/tokushu.html

いどぬま きみ

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2022年3月22日掲載予定です。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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