王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」番外編

「手ほど口は動きませんがどうぞよろしく。」

 半年以上前のことになりますが、綿貫さんのご厚意で、シルクスクリーンの刷り師・石田了一さんをご紹介いただきました。石田さんは既にときの忘れものブログでも何度か登場されていますが、綿貫さんにご紹介いただいたご縁を大切にしたいと考え、今月は番外編の機会を頂戴しています。
 きっかけは、所属先のWHAT MUSEUMで今年2月13日まで開催された大林コレクション展「安藤忠雄 描く」の準備でした。コレクターの大林剛郎さんの世界観をご紹介する展覧会で、大林さんがお選びになった安藤忠雄作品のリサーチを担当しており、書籍に載っていない言説を集めるべく、《安藤忠雄版画集1998》の版元である綿貫さんと、刷り師の石田さんの「つくり手の声」の取材を申し入れたところ、石田さんから本稿のタイトルの、粋なお返事をいただきました。
 昨年初夏の6月26日、ときの忘れものにお邪魔すると、安藤忠雄《大山崎山荘美術館》(*1)、《安藤忠雄版画集1998》シリーズ、磯崎新《極薄》(*2)、《影》シリーズ(ティーム・ディズニー・ビルディング)、《内部風景》3部作(*3)、《栖 十二》シリーズ、《MOCA》シリーズ、が展示されており、二大建築家による版画展でお迎えいただきました。これほどに特別で贅沢な体験はなく、個性のぶつかる実作品を前に、版画の技法や表現の広がり、二大建築家の版画制作に取り組む思考、に向き合わせていただきました。《安藤忠雄版画集1998》に関するお話が中心になりますが、ここにご紹介します。
安藤忠雄 大山崎《安藤忠雄版画集1998》より「大山崎山荘 I」刷りは石田了一

*1: 安藤忠雄《大山崎山荘美術館》
「安藤忠雄の奇跡 50の建築x50の証言」(2017年日経アーキテクチュア編)の中で綿貫さんのインタビューで語られた銅版画。

*2: 磯崎新《極薄
デュシャンの「アンフラマンス」を「極薄」と訳した東野芳明へのオマージュ。2006年にギャラリーTOM(内藤廣設計、ギャラリーの名前は創設者の父でありマヴォの村山知義の名前から採用された)で東野の1周忌を偲んで開催された「東野芳明を偲ぶオマージュ展 水はつねに複数で流れる」展のために制作された作品。デュシャンの没後に、ポール・マティスが発見したデュシャンの「アンフラマンス」を含むメモ、「INFRAMINCE」、「極薄」、ポール・マティスが訳した「INFRA THIN」の3つのワードで構成されている。

*3: 磯崎新「内部風景」3連作
1979年の東京国際版画ビエンナーレのために制作された地下鉄の看板に採用される印刷技法であるアルフォトで作られた作品。1957年から続いた版画ビエンナーレのポスターやカタログは、第一線のグラフィック・デザイナーたちが腕を振るったことでも知られている。1979年は版画家以外の美術家が出展者に選ばれ最終回を飾った。



刷り師・石田了一さん
 幼少の頃からガリ版で遊び、書籍の表紙や挿絵にご関心のあった石田さんは、学生時代に美学校の募集を見つけます。美学校でシルクスクリーンを岡部徳三氏に師事する傍ら、(シルクスクリーンの)製版・資材店でアルバイトをしていた時に、美術家の宇佐美爽子氏に声をかけられ、1971年に南画廊で開催された宇佐美圭司展の作品を手掛けたことが刷り師としての出発点でした。以来、アンディ・ウォーホル、安藤忠雄、磯崎新、草間彌生熊谷守一倉俣史朗、桑山忠明、五味太郎関根伸夫元永定正ほか、現在まで制作したシルクスクリーンは数知れません。
 かつては中野刑務所の近くにあったアパートの四畳半を活動の起点とし、現在は府中刑務所の近くの元自動車修理工場を工房とされています。その運命のいたずらを「“極道”は道を極めるかな?」と話す石田さんは、大変な探求家でもあられ、草間彌生作品のラメ刷り、脇田愛二郎作品の錆びの表現、萩原朔美作品の紙の染みの表現、といった同一の刷り師が生み出したとは思えない多彩な表現は、石田さんの鋭い感受性と作品を創り出す作家へのリスペクト、そして工房で作品に臨む執着心と錬磨が生み出したものではないでしょうか。


アートと工芸品、あるいは作品と印刷物のはざまで
 綿貫さんは、建築家による版画作品は、建築作品の副産物ではなく、確固とした信念と表現の欲求による産物であることを強調され、建築家の概念から建築作品と版画作品の両者が生まれる、と分析されています。そして、綿貫さんと石田さんのお話に共通していたのは、印刷物(複製物)や工芸品(量産の工業製品)をシルクスクリーン作品の対局に意識していることでした。そのことは、「紙にインクがのった版画として、力のあるものを作るために、版の作り方を工夫する」、「原画が版画というものになるとき、紙の上にしるされたものとして出てくるときに、何かひと工夫したいな、という欲求がいつもある」という石田さんの言葉にも表れています。
 シルクスクリーン作品が原稿に近づきすぎるとそれは印刷物になってしまう。一方で、原稿からかけ離れすぎてもいけない。その折り合いをつけ、オリジナルとして確立させることがシルクスクリーン作品たらしめることである、というお二人の信念と職能が光る挿話が印象的でした。
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磯崎新「還元」シリーズ(左4点)、「MOCA」シリーズ(右2点)、刷りは石田了一
2018年1月埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展より


《安藤忠雄版画集1998》について
 1984年の「SCENE」のシリーズ以来、作品集をお作りになりたいとお考えだった綿貫さんと、安藤さんの息が合い、《安藤忠雄版画集1998》が実現しました。建築7作品をモチーフとしたシルクスクリーン10点組で、安藤建築における幾何学形態、地中空間、コンクリート打ち放しといった主要エッセンスが浮かび上がるモノクロ純黒調のグラデーションの豊かな表現が特徴です。
 中でも《宇都宮プロジェクト》は、宇都宮市の大谷石の地下採石場に対して自主提案した構想「大谷地下劇場計画」(1995・未完)がモチーフになっています。10点組の中で唯一、人の添景のある作品であり、人類の“開発行為によって地中に生まれた空隙”を“建築空間”として読み替えることが表現されていると考えられます。
 石田さんは、1970年代の初めにトーンを分けて刷り重ねる「諧調刷り」を試み、1984年にその技法を安藤忠雄シルクスクリーン作品《SCENE Ⅰ/WALL》《SCENE Ⅱ/CROSS》に採用されます。石田さんはその際に原稿のドローイングの調子、手触りの再現/表現に力を注いだことを振り返り、「(原稿の)コンクリートの肌合いが、ドローイングのざらつき感と共通(している)。つまりそういう表現の仕方をしたい(と思った)」と話しています。そして《安藤忠雄版画集1998》においては、同じ方法を安藤作品に通底するオリジナルの技法として踏襲されました。
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安藤忠雄「SCENE」シリーズ、刷りは石田了一
2018年1月埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展より


参考:シルクスクリーン作品制作工程
 シルクスクリーンという印刷技術は、遡ると着物の型染めの技術が発展したもので、かつては日宣美の公募作品や学生運動のビラをはじめとするポスター制作に使われ、現代は衣類のプリントにも活用されている大量生産向きの印刷技術です。しかし、今回、私の知った石田さんの仕事は、唯一無二の美術作品制作そのものでした。
 以下、参考に作品制作工程をご紹介します。(画像は12月に工房に訪問時に撮影したもの)

(1)製版の準備―フィルム制作
1枚の原稿を製版カメラで撮影し、原寸大のフィルムを作る。
安藤作品の場合は、「諧調刷り」という単色を刷り重ねる方法で生まれるため、濃淡の段階を抽出した複数のフィルムを作りだす。

(2)製版
アルミのフレーム張られたスクリーンにエメラルドグリーン色の感光乳剤を塗り、製版機の透明ガラス面にフィルム、スクリーンを重ねて密着させ、紫外線の出るランプを数分間照射して像を焼き付ける。スクリーンはテトロンという素材で、1インチ角の中にいくつ孔が空いているかで、メッシュの数値が異なる。感光した箇所は、乳剤が硬化しスクリーンの孔が埋まる。一方、フィルムで塞がれて光が届かなかった部分は、乳剤が硬化せず、水洗いすると再び孔がでてくる。

1製版IMG-08142製版IMG-1319製版

(3)インクの調色
石田さんのアトリエには顔料の缶が並んでおり、その中から色を混ぜたり、透明度や粘度を調整し、作品別にオリジナルのインクが作られる。インクの調色は一度で終わるわけではなく、インクの濃度を変えてこの後の工程を複数回試み、調子を合わしていく。

安藤作品に使われた“鉛筆色”は、「鉛筆色にこだわってしまうと色気がなくなってしまう」という石田さんのお考えから、墨を薄めたインクだけではなく、インディゴ、カーマイン、インディアンイエローなどの油絵具を「ちょっと味付けに」入れているとのこと。

3インク IMG-13404インクIMG-1363顔料の缶(左)、オリジナルのインク(右)

(4)紙の選定
石田さんのアトリエの引き出しは、美大生ならきっと憧れる由緒ある紙の宝庫。
《安藤忠雄版画集1998》の和紙刷りは石田さんがテストプリントで試みてご提案されたもので、和紙刷りエディション10、洋紙刷りエディション35になっている。和紙と洋紙では紙の表情が異なるためそれぞれのテクスチャを生かすために版の数を調整している。

(5)プリント
版を用紙に重ね、インクをのせてスキージで押し出す。紙は湿度によって伸縮するので、版画における紙の管理が重要だそう。
《安藤忠雄版画集1998》では「諧調刷り」に加え、一部に「ぼかし刷り」が施されている。「ぼかし刷り」は、2色以上のインクを使って、色面にグラデーションを作る方法で、インクの粘度、混ざり具合、複数枚同じプリントする手加減、あらゆるコントロールが名プリンターの神技。

5プリントIMG-13506プリントIMG-1361ぼかし刷りの例
注:訪問時に体験プリントをさせていただいた際の写真


編むよなよな
展覧会では、シルクスクリーンのコーナーは「編むよなよな」と名付けました。安藤さんが描き貯めたドローイングから作品を選び、秩序をもたせ、版画として紙に再定着させて、綴じる。それらを反復する情熱をイメージした造語ですが、裏で制作を支え作品として結実させる職能を司る方々の誇りと簀の子の下の舞への敬意も込めて。

告知
WHAT MUSEUMの公式YouTubeでは、1月に撮影した石田さんのインタビュー映像を公開しています。本稿とは異なる内容になっていますのでぜひご覧ください。


おう せいび

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」偶数月18日に掲載しています。

■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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