王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第19回

神奈川県立近代美術館鎌倉別館
「山口勝弘展 『日記』(1945-1955)に見る」を訪れて


 神奈川県立近代美術館鎌倉別館で、2022年2月12日から4月17日まで開催されている「山口勝弘展 『日記』(1945-1955)に見る」を訪れました。神奈川県立近代美術館鎌倉別館は、大髙正人の設計だということもありますが、コレクションをきっかけにして編まれる企画展から、訪れるたび学びがあり、内容に刺激を受ける美術館の一つです。

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 今回の展覧会は、山口勝弘さんが1945年4月(17歳)から1955年9月までの間に書き残した日記を五十殿利治さん(筑波大学名誉教授)、大谷省吾さん(東京国立近代美術館)、西澤晴美さん(神奈川県立近代美術館)が調査研究され、その成果を展覧会として公開したというものです。

 20世紀の前衛の美術史の魅力として、作品とその作品が発表された展覧会がセットで語られるところと、独学で美術を学んだ美術家が美術教育を受けた作家同等に扱われるところが挙げられます。本展では、その両方が含まれていました。山口の日記の象徴的な部分をハイライトしながら、代表的な活動と作品シリーズ「実験工房」、「APN」、「ヴィトリーヌ」が紹介される展示構成の中で、実験工房のメンバーの平面作品や立体作品と併せて、ポスター、プログラム、案内状、会場風景写真といった二次資料が多く展示されていたのが特徴的でした。

 10年間に書かれた18冊のノートには、日比谷と新宿のCIE図書館で読んだ美術関係の書籍や雑誌について、「モダンアート夏季講習会」の内容、実験工房の活動、《ヴィトリーヌ》の誕生の経緯など、芸術家・山口勝弘の準備段階から活動初期の日々が記されているようで、横罫のノートを縦開きにして、縦書きで使われていました。

 日記には部屋の掃除をしたことも書き留められています。掃除をする日は、ほんの少し、特別だったことがうかがえます。
 「午前・母とアトリエへくる。部屋掃除 ヴィトリーヌガラス拭き。午后・安井氏カタログ表紙デザイン のち、和光の取締役・山室氏、朝日新聞の小川氏来訪。ヴィトリーヌをみせる。和光で個展を開くことが可能になる。」(1955年の6月3日の日記より)

 この個展が、後の「山口勝弘・清家清/装飾空間展」(1956年12月3~8日、銀座・和光ホール)(*1)に繋がります。建築家・清家清は1953年「宮城教授の家」以来、コンクリートブロックを使いはじめ、この展覧会の大辻清司(写真家・実験工房)の写真によると、コンクリートブロック壁や、架構を連想させるフレームに《ヴィトリーヌ》シリーズが嵌め込まれて展示されたようです。余談ですが、コンクリートブロック壁の下に「東京工業大学清家研究室 小野田コンクリートブロック株式会社」とあり、展覧会が学生と企業の協力により成立していることも想像できます。
 この展覧会は、美術評論家・勝見勝(かつみまさる)が清家清(せいけきよし)に声をかけて実現したものでした。そして、案内状に沿えた文で、瀧口修造は「こうした芸術と建築とを結ぶ機会ほど暖かな希望を抱かせてくれるものは、私にはありません。」と喜びを表しています。

*1参考:山口勝弘アーカイブ 「山口勝弘・清家清/装飾空間展」


 更に、その翌々年、丹下健三に空間構成を依頼し、「山口勝弘・丹下健三 光とガラスの作品展」(1958年12月8~12日、銀座・和光ホール)(*2)を開催します。《ヴィトリーヌ》シリーズは大型化し、内照式の間仕切り/スクリーンになり、インスタレーションに近づきます。瀧口修造は、その回の案内状では当時のモダニズム建築を批判し「かれはいまの建築の無愛想な壁にこのオブジェをはめ込もうと努力していますがこれは二重の実験であるにちがいありません」と記述し讃えています。

*2参考:山口勝弘アーカイブ 「山口勝弘・丹下健三 光とガラスの作品展」


 同時代、50年代後半から60年代前半、建築界では、菊竹清訓「海上都市」(1959)や大髙正人「海上帯状都市」(1959)、黒川紀章磯崎新を含む丹下研究室「東京計画1960」(1961)といった、従来の建築領域を広げるような都市計画が盛んでした。一方、美術分野では同じく従来の美術の枠を出る反芸術やパフォーマンス、あるいは空間や場所を意識したミニマルアート、そしてランドアートにむかっていきます。前述の両展覧会は、空間と作品を併せたサイトスペシフィックの意識が高まる機運が表れていると考えますが、「実験工房」設立当初から既に包含していた「統合」の要素だったと言えるとも思いました。

 展覧会の最後は、実験工房の舞台の記録映像とエクスペリメンタルフィルムのオートスライド(*3)で締めくくられています。実験工房のオートスライドは、1953年9月30日に第一生命ホールで開催した「実験工房第5回発表会」で公開され、その約20年後に、山口は松本俊夫、中谷芙二子らとビデオひろば(*4)を結成しビデオによるコミュニケーション、社会と関わる芸術を試みます。技術の発展によって表現方法が変わるのは自明のことで、その進歩と普及の速度の賜物ですが、現代の個人がスマートフォンで撮影した映像をクリエイターとしてYouTubeやSNSで発表するような、マスメディアのカウンターあるいはオルタナティブにある個人発信型のビジュアルコミュニケーションの原点が、オートスライド作品にあることを思い、山口の綴った1950年代の地続きに今があることを感じました。

*3:オートスライドは、テープレコーダーの音源とスライドの映像を同調させることのできる東京通信工業(ソニー)が製作した機器。その機器で製作した映像作品のこと。芸術家によるオートスライド作品、ビデオ作品の背景には、日本で製造業の企業が元気だった時代、製品を普及させたい企業が、新しい挑戦をする芸術家に機材を提供し作品づくりを支援していた、という面がある。

*4参考:森美術館「MAMリサーチ004:ビデオひろば――の実験的映像グループ再考」(2016)
おう せいび

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」偶数月18日に掲載しています。

■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。

●展覧会のお知らせ
「山口勝弘展 『日記』(1945-1955)に見る」
会期:2022年2月12日(土)~4月17日(日)
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
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戦後美術の新しい局面を切り拓き、日本のメディアアートの先駆者である山口勝弘(1928–2018)。本展では近年、調査研究を進めてきた山口の日記から見えてくる、終戦後の海外動向の吸収と模索、グループ「実験工房」の結成から「APN(アプン)」などの活動の経緯を、北代省三、福島秀子、大辻清司ら関連作家の作品・資料とともに紹介します。また、山口の初期を代表するシリーズ〈ヴィトリーヌ〉の誕生と展開に迫ります。

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●本日のお勧め作品は山口勝弘です。
yamaguchi_01_kinetic-fountain「Kinetic Fountain」
1981年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
49.0×63.0cm
Ed.50
鉛筆サインあり

yamaguchi_06_sizukanasyouten「静かな昇天」
1981年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:54.5×36.0cm
シートサイズ:63.0×49.0cm
Ed.50
鉛筆サインあり

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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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