「ときの忘れものの本棚から」第12回
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(1)
中尾美穂
難波田史男《終着駅は宇宙ステーション》
1963年
紙/水彩、インク、テンペラ
2024年に「ときの忘れもの」で予定されている難波田史男没後50年の回顧展に先立ち、現在、難波田家から画廊へ蔵書等50点ほどが寄託されている。そこで本エッセイも今回からこれらの資料を軸に、難波田史男の生涯と作品をたどることになった。展覧会や刊行物への協力の証だろうか、ところどころ付箋が貼られたままである。このような「印」に心躍らせるのは私だけではないだろう。タイムカプセルを開ける気分で、ひも解いていこうと思う。
最初に紹介するのは2004年、東京ステーションギャラリーで行なわれた没後30年の展覧会カタログ。表紙はシンプルだが、めくってみると可愛い絵本のような頁がつづく。
「没後30年 駆け抜けた青春「難波田史男」展」カタログ
(毎日新聞社 2004年 会場:東京ステーションギャラリー)
*難波田史男《デッサン》(1962年 紙/インク)をデザインした表紙
左:―史男のノートより― *下記参照
右:《終着駅は宇宙ステーション》1963年 紙/水彩、インク、テンペラ
はるかにシグナルの音が
そこにはふみきりと
そして夜の駅があるだろう
ゴーっと列車が
ぼくのイスまでゆりうごかした
犬がびっくりとびあがり
けたたましくほえていった
左:―史男の詩よりー *下記参照
右:《太陽の賛歌》1967年 紙/水彩、インク
私は剣のように鋭いペンを握って
白い紙の上を切った
絵が生まれた
絵は裸形された意識
あるいは神経の極致から生まれる
私の線は不条理の線だ
線を引くことは
哲学的自殺にほかならない
私の色彩は愛だ
人生に対する歓喜だ
左:―史男の「太陽をデッサンする」よりー *下記参照
右:《日没》1968年 紙/水彩、インク
学校の帰りにランドセルをカタカタいわせて
霜溶けの道にぼくの影を作った太陽
ぼくと太陽は友達だった
あの親しい太陽をぼくは失ってしまった
ぼくと太陽との間には不条理が存在している
不条理は太陽の中にも ぼくの中にも存在していない
不条理は万有引力のように ぼくと太陽の間に存在している
難波田史男の絵画はこんなふうに早熟と童心が同居していて愛おしく、青春の夢と痛みとに胸を突かれるから、既視感がある。それなのに見たことのない近未来的な情景が広がっているから、不可解で眩しい。今も、おそらくこれから先も、人は彼の作品群に惹きつけられ、羨望と共感を覚えるだろう。50年以上も前の作家と思えないかもしれない。しかし年譜をみれば、幼いころに第二次世界大戦を経験し、戦後の混乱期・高度成長期を生きた画家である。
難波田史男の年譜
http://virtual.newsv.jp/www.tokinowasuremono.com/artist-d00-hoka/095F_NANBATA.html
またところどころに掲載されている難波田史男の文章や詩の一節が、ランボーやカミュ、宮沢賢治に傾倒する一青年の多感な内面を浮かびあがらせ、鑑賞の手がかりを与えてくれる。彼は作品に独自の美学を投影しようと探求を重ねていた。その試みは平面から異次元的構図へと一気に飛躍し、一般的な描画感覚から離れてしまう。カタログに寄稿した美術評論家の千葉成夫(氏は大学時代の同級生でもある)が、人物像や時代背景をふまえたうえで、この点を含めた長い作品論を展開している。少したどってみよう。
まず千葉氏は、難波田史男が最初から同一の世界観を表現し、「その特異な幻想世界」に描かれるのは「人間のようなもの、生き物のようなもの、想像の存在のようなもの、植物のようなもの、風景のようなもの、太陽や月や星のようなもの、建物のようなもの」であり、すべて「のようなもの」であると指摘する。
たとえば、彼の手は人の形を描くところから始める。しかし彼にとっては人の形を描くことが目的ではないから、その手の先から現れ出てくるものは、次第に人の形からはみだし、ズレ、離れていって、最後には「人のようなもの」になってしまう。
(千葉成夫「知られざる歌を聴こうと――難波田史男の生涯と作品」)
では何を目的にしたかというと、描く行為によって未知の幻想を探りつづけること。「彼が絵を描くとは、それを名づけようとしていることだ」というのである。もちろん言葉を介在させずに。特定の作品名があっても「題名がそのままそれを表現している、ということにはならない」と注意を促す。
つづいて比較されることの多いクレー、ミロ、ヴォルスとの相違を明らかにする。絵画の「色彩」と「線」、「図」と「地」といった要素を区別して調和や融合を試みた彼らと違い、難波田史男にとってそれらは渾然一体だった。だからといって戦後にフランスから世界へと広がった非具象絵画<アンフォルメル>の系譜と誤解すべきではない。<アンフォルメル>の、物の形や物語を必要としない絵画と、主題や物語性に頼る従来の絵画のどちらも閉塞的状況を迎えた時代にあって「「物語を描くか/物語を描かないのか」という視点から、難波田史男を位置づけるべき」というのである。もうひとりの寄稿者である文芸評論家の三浦雅士も、こう言及している。そもそも彼は西洋近代絵画の「窓から抜け出したのである」と。
東京ステーションギャラリーの出品作から《太陽の賛歌》など12点を選んで作られた2012年難波田史男カレンダー
(公益財団法人東日本鉄道文化財団 2011年)
難波田史男は活動時期と重なる国内美術の動向――<アンフォルメル>の反動で生まれた大衆的で具象的な<ポップ・アート>や廃材まで用いた<反芸術>などの台頭、前後に起こった多くの急流――と距離をとった。画枠の窓のなかで考えられてきた近代絵画の文脈からも自由なら、なおさら彼がめざす方向は特殊だったろう。文章をみても観念的・哲学的である。なぜ難解にみえないのだろう? それどころか詩想を感じるのはなぜか? 同展約120点の出品作をたどると朦朧とした未分化の絵が出現する。そのなかに風景や人間の営みも認められる。これは彼にとって外界の新たな形なのだろうか?
それらを心にとめておき、次回のエッセイでは難波田史男の考えと、抽象画家として知られる父・難波田龍起、母や兄弟との日々をたどろうと思う。
※テキストおよび図版は著作権者および刊行元の許諾を得て掲載しています。転載はお控えください。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。
次回は2022年5月19日の予定です。
●本日のお勧め作品は難波田史男です。
難波田史男
「野と空」
1971年
水彩、インク
27.0x38.1cm
Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(1)
中尾美穂
難波田史男《終着駅は宇宙ステーション》1963年
紙/水彩、インク、テンペラ
2024年に「ときの忘れもの」で予定されている難波田史男没後50年の回顧展に先立ち、現在、難波田家から画廊へ蔵書等50点ほどが寄託されている。そこで本エッセイも今回からこれらの資料を軸に、難波田史男の生涯と作品をたどることになった。展覧会や刊行物への協力の証だろうか、ところどころ付箋が貼られたままである。このような「印」に心躍らせるのは私だけではないだろう。タイムカプセルを開ける気分で、ひも解いていこうと思う。
最初に紹介するのは2004年、東京ステーションギャラリーで行なわれた没後30年の展覧会カタログ。表紙はシンプルだが、めくってみると可愛い絵本のような頁がつづく。
「没後30年 駆け抜けた青春「難波田史男」展」カタログ(毎日新聞社 2004年 会場:東京ステーションギャラリー)
*難波田史男《デッサン》(1962年 紙/インク)をデザインした表紙
左:―史男のノートより― *下記参照右:《終着駅は宇宙ステーション》1963年 紙/水彩、インク、テンペラ
はるかにシグナルの音が
そこにはふみきりと
そして夜の駅があるだろう
ゴーっと列車が
ぼくのイスまでゆりうごかした
犬がびっくりとびあがり
けたたましくほえていった
左:―史男の詩よりー *下記参照右:《太陽の賛歌》1967年 紙/水彩、インク
私は剣のように鋭いペンを握って
白い紙の上を切った
絵が生まれた
絵は裸形された意識
あるいは神経の極致から生まれる
私の線は不条理の線だ
線を引くことは
哲学的自殺にほかならない
私の色彩は愛だ
人生に対する歓喜だ
左:―史男の「太陽をデッサンする」よりー *下記参照右:《日没》1968年 紙/水彩、インク
学校の帰りにランドセルをカタカタいわせて
霜溶けの道にぼくの影を作った太陽
ぼくと太陽は友達だった
あの親しい太陽をぼくは失ってしまった
ぼくと太陽との間には不条理が存在している
不条理は太陽の中にも ぼくの中にも存在していない
不条理は万有引力のように ぼくと太陽の間に存在している
難波田史男の絵画はこんなふうに早熟と童心が同居していて愛おしく、青春の夢と痛みとに胸を突かれるから、既視感がある。それなのに見たことのない近未来的な情景が広がっているから、不可解で眩しい。今も、おそらくこれから先も、人は彼の作品群に惹きつけられ、羨望と共感を覚えるだろう。50年以上も前の作家と思えないかもしれない。しかし年譜をみれば、幼いころに第二次世界大戦を経験し、戦後の混乱期・高度成長期を生きた画家である。
難波田史男の年譜
http://virtual.newsv.jp/www.tokinowasuremono.com/artist-d00-hoka/095F_NANBATA.html
またところどころに掲載されている難波田史男の文章や詩の一節が、ランボーやカミュ、宮沢賢治に傾倒する一青年の多感な内面を浮かびあがらせ、鑑賞の手がかりを与えてくれる。彼は作品に独自の美学を投影しようと探求を重ねていた。その試みは平面から異次元的構図へと一気に飛躍し、一般的な描画感覚から離れてしまう。カタログに寄稿した美術評論家の千葉成夫(氏は大学時代の同級生でもある)が、人物像や時代背景をふまえたうえで、この点を含めた長い作品論を展開している。少したどってみよう。
まず千葉氏は、難波田史男が最初から同一の世界観を表現し、「その特異な幻想世界」に描かれるのは「人間のようなもの、生き物のようなもの、想像の存在のようなもの、植物のようなもの、風景のようなもの、太陽や月や星のようなもの、建物のようなもの」であり、すべて「のようなもの」であると指摘する。
たとえば、彼の手は人の形を描くところから始める。しかし彼にとっては人の形を描くことが目的ではないから、その手の先から現れ出てくるものは、次第に人の形からはみだし、ズレ、離れていって、最後には「人のようなもの」になってしまう。
(千葉成夫「知られざる歌を聴こうと――難波田史男の生涯と作品」)
では何を目的にしたかというと、描く行為によって未知の幻想を探りつづけること。「彼が絵を描くとは、それを名づけようとしていることだ」というのである。もちろん言葉を介在させずに。特定の作品名があっても「題名がそのままそれを表現している、ということにはならない」と注意を促す。
つづいて比較されることの多いクレー、ミロ、ヴォルスとの相違を明らかにする。絵画の「色彩」と「線」、「図」と「地」といった要素を区別して調和や融合を試みた彼らと違い、難波田史男にとってそれらは渾然一体だった。だからといって戦後にフランスから世界へと広がった非具象絵画<アンフォルメル>の系譜と誤解すべきではない。<アンフォルメル>の、物の形や物語を必要としない絵画と、主題や物語性に頼る従来の絵画のどちらも閉塞的状況を迎えた時代にあって「「物語を描くか/物語を描かないのか」という視点から、難波田史男を位置づけるべき」というのである。もうひとりの寄稿者である文芸評論家の三浦雅士も、こう言及している。そもそも彼は西洋近代絵画の「窓から抜け出したのである」と。
東京ステーションギャラリーの出品作から《太陽の賛歌》など12点を選んで作られた2012年難波田史男カレンダー(公益財団法人東日本鉄道文化財団 2011年)
難波田史男は活動時期と重なる国内美術の動向――<アンフォルメル>の反動で生まれた大衆的で具象的な<ポップ・アート>や廃材まで用いた<反芸術>などの台頭、前後に起こった多くの急流――と距離をとった。画枠の窓のなかで考えられてきた近代絵画の文脈からも自由なら、なおさら彼がめざす方向は特殊だったろう。文章をみても観念的・哲学的である。なぜ難解にみえないのだろう? それどころか詩想を感じるのはなぜか? 同展約120点の出品作をたどると朦朧とした未分化の絵が出現する。そのなかに風景や人間の営みも認められる。これは彼にとって外界の新たな形なのだろうか?
それらを心にとめておき、次回のエッセイでは難波田史男の考えと、抽象画家として知られる父・難波田龍起、母や兄弟との日々をたどろうと思う。
※テキストおよび図版は著作権者および刊行元の許諾を得て掲載しています。転載はお控えください。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。次回は2022年5月19日の予定です。
●本日のお勧め作品は難波田史男です。
難波田史男「野と空」
1971年
水彩、インク
27.0x38.1cm
Signed
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