小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」第58回
〇月〇日
梅雨である。
お客さんがまったくやって来る気配のない中、ぼんやりとお店のことを考える。
先日「買う気がない商品を、手あたり次第立ち読みするのはやめて欲しい」というようなことをSNS上でつぶやき、ここ一年では一番の「いいね」が付いた。実際に会った人にも「大変だよねぇ」「古本屋みんな悩んでるよ」などと言っていただき、心配させてすみません・・・、という気分になった。
そのツイートでも書いたのだが、お店には、開けている以上は、一定の「公共性」が生まれる。入場料をとるような会員制でもないので、基本的には誰でも入れて、好きなようにそこで時間を過ごし、出て行くことが出来る。その間は、ショーケースにでも入っていない限り、商品はどれでも手に取り、選ぶことが出来る。ネットでなんでも買える今(実際にうちのお店に並んでいる商品も、ネットで買えるものがほとんど)、お店の大事な価値は、その「公共性」にこそあるはず。自分のしたツイートは、こうしたことの真逆の発想で、ともすれば誤解され広がることもあり得るだろうな、と思った。誤解されるようなことがなくても「そういうめんどくさそうな店には行きたくないな・・・」と思われただろう。だから普通の店はそんなことはツイートしない。
損なことをした。
×月×日
引き続き梅雨である。今日もまたぼんやりと考える。
「公共性」ってなんだろうか。
少なくともお店の「公共性」は売上で支えられている。「好きな時に来て、好きな時間を過ごして、お金を使わないで出て行っていいよ」というお店でも、そういうお客さんばっかりであれば、公金でも入っていない限り、維持できない。お店の「公共性」は買ってくれる人で成り立っているわけだ。
では、いつもいつも行くたびに、絶対に買わなければならないのか?と言われたら、そんなことはない、と答えるだろう。しかし、今日あなたが買わなかった本は、他の誰かが買う本であるかもしれない。その期待とバランスでのみ、お店の「公共性」は保たれる。
であるならば、より多くの人に「公共性」を支えてもらうためには、お客さんにプレッシャーを与えるような言動を控えなくてはならない訳だ。やばい、ますます先日のツイートは間違っていたということになる・・・。

△月△日
暑い。
雨が降らないと暑い。暑いとさらにお客さんは来ない。今日も考える。
お店がお客さんを選ぶことは、滅多にないが、お客さんはお店を選べる。
一時期足繁く通った場所にぷっつりと行かなくなる、ということはよくあることだし、それは悪いことでもなければ「なんだか申し訳ないな・・・」と思うようなことではない。
でも、欲を言えば、忘れないで欲しいな、と思う。全然行かなくなったお店でも、数年、数十年に一回、思い出して欲しいと思いながら、自分はお店を開けている。例え無くなったとしても、たまには思い出す時があって欲しい、というのは強欲だと思うけれど。
自分にとってお客さんも同じだ。最近来ないけど元気かな?と時々ふっと思い出すお客さんも少なくない数いる。なかには亡くなっていた、と知る時もある。でも、ボルヘスの「象徴の世界に消える」じゃないけれど、自分がふっと思い出す時、そう長くはないお店の歴史という「年譜」の中に、確実にその人たちは存在する。例え一度も話したことがない人であっても。
思い出し、思い出される時。その時こそ、「お店が公共に開かれているなぁ」と感じる。
(おくに たかし)
●小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は隔月、奇数月5日の更新です。次回は9月5日です。どうぞお楽しみに。
■小国貴司 Takashi OKUNI
「BOOKS青いカバ」店主。学生時代より古書に親しみ、大手書店チェーンに入社後、店長や本店での仕入れ・イベント企画に携わる。書店退職後、新刊・古書を扱う書店「BOOKS青いカバ」を、文京区本駒込にて開業。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
〇月〇日
梅雨である。
お客さんがまったくやって来る気配のない中、ぼんやりとお店のことを考える。
先日「買う気がない商品を、手あたり次第立ち読みするのはやめて欲しい」というようなことをSNS上でつぶやき、ここ一年では一番の「いいね」が付いた。実際に会った人にも「大変だよねぇ」「古本屋みんな悩んでるよ」などと言っていただき、心配させてすみません・・・、という気分になった。
そのツイートでも書いたのだが、お店には、開けている以上は、一定の「公共性」が生まれる。入場料をとるような会員制でもないので、基本的には誰でも入れて、好きなようにそこで時間を過ごし、出て行くことが出来る。その間は、ショーケースにでも入っていない限り、商品はどれでも手に取り、選ぶことが出来る。ネットでなんでも買える今(実際にうちのお店に並んでいる商品も、ネットで買えるものがほとんど)、お店の大事な価値は、その「公共性」にこそあるはず。自分のしたツイートは、こうしたことの真逆の発想で、ともすれば誤解され広がることもあり得るだろうな、と思った。誤解されるようなことがなくても「そういうめんどくさそうな店には行きたくないな・・・」と思われただろう。だから普通の店はそんなことはツイートしない。
損なことをした。
×月×日
引き続き梅雨である。今日もまたぼんやりと考える。
「公共性」ってなんだろうか。
少なくともお店の「公共性」は売上で支えられている。「好きな時に来て、好きな時間を過ごして、お金を使わないで出て行っていいよ」というお店でも、そういうお客さんばっかりであれば、公金でも入っていない限り、維持できない。お店の「公共性」は買ってくれる人で成り立っているわけだ。
では、いつもいつも行くたびに、絶対に買わなければならないのか?と言われたら、そんなことはない、と答えるだろう。しかし、今日あなたが買わなかった本は、他の誰かが買う本であるかもしれない。その期待とバランスでのみ、お店の「公共性」は保たれる。
であるならば、より多くの人に「公共性」を支えてもらうためには、お客さんにプレッシャーを与えるような言動を控えなくてはならない訳だ。やばい、ますます先日のツイートは間違っていたということになる・・・。

△月△日
暑い。
雨が降らないと暑い。暑いとさらにお客さんは来ない。今日も考える。
お店がお客さんを選ぶことは、滅多にないが、お客さんはお店を選べる。
一時期足繁く通った場所にぷっつりと行かなくなる、ということはよくあることだし、それは悪いことでもなければ「なんだか申し訳ないな・・・」と思うようなことではない。
でも、欲を言えば、忘れないで欲しいな、と思う。全然行かなくなったお店でも、数年、数十年に一回、思い出して欲しいと思いながら、自分はお店を開けている。例え無くなったとしても、たまには思い出す時があって欲しい、というのは強欲だと思うけれど。
自分にとってお客さんも同じだ。最近来ないけど元気かな?と時々ふっと思い出すお客さんも少なくない数いる。なかには亡くなっていた、と知る時もある。でも、ボルヘスの「象徴の世界に消える」じゃないけれど、自分がふっと思い出す時、そう長くはないお店の歴史という「年譜」の中に、確実にその人たちは存在する。例え一度も話したことがない人であっても。
思い出し、思い出される時。その時こそ、「お店が公共に開かれているなぁ」と感じる。
(おくに たかし)
●小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は隔月、奇数月5日の更新です。次回は9月5日です。どうぞお楽しみに。
■小国貴司 Takashi OKUNI
「BOOKS青いカバ」店主。学生時代より古書に親しみ、大手書店チェーンに入社後、店長や本店での仕入れ・イベント企画に携わる。書店退職後、新刊・古書を扱う書店「BOOKS青いカバ」を、文京区本駒込にて開業。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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