大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-

第3回 時間旅行

佐藤圭多
 
 
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小旅行に出かけた。エヴォラというローマ時代の遺跡も残る古い街だ。リスボンのバスターミナルを出発してしばらくすると、テージョ川を越える橋に差し掛かる。リスボン中心部では1km程度の幅のテージョ川だけれど、上流側は大きく膨らんでいて、今渡っているヴァスコ・ダ・ガマ橋の全長は17kmもある。
10年前に南スペインから初めてリスボンに来たときも、深夜にバスでこの橋を渡った。そろそろリスボンに着く頃かなと思っていると突如まわりの灯りが無くなって、行く手にはバスのライトが照らす一本道以外、漆黒の闇しか見えない。これはもしや異次元に繋がる道かしら……などと空想していると、漆黒の遥か向こうにリスボンの街灯りがぼうっと見えてきたのだ。なんだか空中に浮いているような不思議な感覚になったのだけれど、そんなわけで川によってリスボンと完全に分断されている対岸側は、アレンテージョ(テージョ川の向こう)と呼ばれている。

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アレンテージョは一大穀倉地帯で、リスボンだけでなくポルトガル全体の台所でもある。リスボンが急激に都市化していってもこちら側は中世の時代からあまり変わらず、牛や黒豚が草を喰む草原地帯と歴史的な建造物が当時の姿のまま点在している。車窓からは一面の葡萄畑が見えて、昨日飲んだワインはこの葡萄たちからできているのだなぁとぼんやり思う。すると今度は草原にポツポツとコルク樫の木が見えてきて、昨日飲んだワインはこのコルクで栓をされているんだなぁと思う。なんだかポルトガルの生活はシンプルで、無理がない。

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エヴォラの街が見えてくる。2時間もかからない距離だけれど、首都の喧騒とは別世界だ。内陸の強い日差しはスペインに近づいていることを感じさせ、リスボンの街は海風によって随分と暑さがやわらいでいることを実感する。エヴォラの街は城壁によって囲まれている。1世紀のローマ時代の神殿跡や、人骨で埋め尽くされた礼拝堂など見所はたくさんあるが、中でも興味を惹かれたのは16世紀に建設された水道橋だ。水道橋は郊外の水源から出発し、城壁に囲まれたエヴォラの街に14mの高さで貫入してくる。いかにも「貫入」という唐突な入り方で、当時の水不足がよっぽど差し迫っていたことを思わせる、なりふり構わない印象だ。だが街の中央が高くなるエヴォラの地形に対して、水道橋は水を運ぶためのものだから自由に上げ下げできず、頭はほぼ同じ高さ。その結果、巨大な水道橋は地面にずぶずぶ埋まっていくようにして進み、どんどん高低差が縮まっていき、場所によっては手が届く高さになりながらもなんとか必死に中央のジラルド広場まで水を届けるのだ。時に民家の壁に使われ、時に落書きされながら、濁流に飲まれるように都市景観と一体化して広場にたどり着く、いじらしいその姿。将軍に密書を届けてその場で力つきる使者のようである。

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ポルトガルを代表する建築家、アルヴァロ・シザ・ヴィエイラが1977年から20年近く関わり続けた公営住宅プロジェクト(マラゲイラの集合住宅) がエヴォラ郊外にある。27万ヘクタールという広大な土地に1200戸の2階建住宅、公園、ショップ、公共空間など小さな町をまるごと作るような規模のプロジェクトだ。町の起点となる池のほとりに、謎めいた階段がある。野外劇場の座席とのことだけれど、どう見ても階段に見える。池を眺める展望台のようでもあるけれど、階段は途中で切られたように終わっていて登ったスペースが狭すぎる。日陰もなく休める場所でもない。どうしてこれを作ったのだろう。建築家の思考の足跡をたどるのは、推理ゲームに似ている。よく見ると階段の方向と、階段前の野外ステージと思しきコンクリートの基壇が10°くらい角度をずらして配置されている。何か意図が隠されているに違いない……建築散歩の始まりだ。

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このプロジェクトで特徴的なのは、水道橋をモチーフにしたインフラ架橋だ。通常なら地中に埋める水道や電気の配管をあえて独立した高架にすることで、設置やメンテナンスが簡単になり、同時に門の役割を果たしてコミュニティにまとまりを与えたり、歩行者のための日陰を作り出したり、とても機能的だ。住宅は白塗装の外壁なのに対して、ミニチュア水道橋はコンクリートブロックそのままの仕上げで鼠色をしている。両者はわずかな例外を除いてほとんど交わることは無く、必ず数十センチ隙間を空けて建っている。エヴォラの家々と水道橋が別の出自であるのと同じように、両者を設計上区別して扱っていることがわかる。そのストイックな隙間に、プロジェクトにかける建築家の並々ならぬ熱意を感じる。形とは不思議なもので、寡黙で気づかないと素通りしてしまうけれど、問いかけると雄弁に語り始める。どんな形にもデザイナーの意図は宿っているのだ。

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散歩に疲れた頃、急にレンガが現れた。公園とも庭園とも言えない空地が、低いレンガの塀で囲まれている。よく見るとその公園の周囲には、部分的にレンガが使われた壁があったり、コンクリートブロックがアーチになっていたりする。レンガとアーチといえば古代ローマのモチーフ、この公園は明らかにローマを謳っている……!公園には水盤があり、水が流れる方向に軸線を持って作られている。ここは推理のしどころ、この軸は何かを指しているに違いないと地図を見てみると、あった、あの謎の階段である。そういえばレンガの壁もずぶずぶ地面に埋まっていくように見えて、低地にある池を目指しているかのよう。階段前にあったステージに倣って軸の角度を10°ひねると、向かった先にあるのは─── ローマ時代から栄えたエヴォラの街。水道橋が一生懸命に水を届けた、ジラルド広場なのだった。なるほどあれは古代ローマへと時をさかのぼる階段だったのかも知れない。階段の先は切り落とされているのではなくて、二千年前の空に向かって消えているのでは……。よく見れば階段の先端が45°上を向いて空を見ている。すばらしい建築は、ほとんど物語のようである。

(さとう けいた)

■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。
SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰

・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は10月20日の予定です。

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