瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―

第8回「浜口陽三と藤田嗣治」

清家克久

「浜口陽三」

 
図版1.カラーメゾチント「パトリックのさくらんぼ」図版1.
「パトリックのさくらんぼ」
1980年作
カラーメゾチント
7.6×7.6cm
限定100部
献呈・署名入り

 1980年代後半に美術雑誌の特集などで日本の現代版画が取り上げられていたが、作品が最も高価で外国でも人気が高かったのが浜口陽三だった。図版でしか見たことはなかったが、宝石のような魅力を発していた。「さくらんぼ」の作品が欲しくて、小品ではあったが2011年に東京のギャラリー・ダッドアートから22万円で購入した。
 半蔵門線水天宮前駅の傍にあるミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションを初めて訪ねた折に、柏倉康夫編「浜口陽三の世界」(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション2012年9月刊)というインタビュー記事の冊子が置いてあった。その中で《パトリックのさくらんぼ》の題は「スイスの画商のところから出版したのですが、その画商がパトリックという名前で、どうしても自分の名前をつけてほしいという」のでつけたと浜口は語っている。
 柏倉康夫氏はNHKのパリ支局特派員や解説委員を歴任し、フランス文学者でマラルメの研究者としても知られている。2011年12月に千葉市美術館で開催された「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展の会場で土渕信彦さんや石原輝雄さんの紹介で初めてお会いし、その晩幕張メッセの近くのレストランでご一緒に食事をしたことがあるが、浜口陽三との親交はこの本で初めて知った。

図版2.柏倉康夫編「浜口陽三の世界」表紙図版2.
柏倉康夫編「浜口陽三の世界」表紙
(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション刊)


 瀧口修造はアメリカの詩人E・E・カミングズ(エドワード・エスリン・カミングズ)についての文章の中で浜口陽三との出会いの事を書いている。
 「もう20年近い昔になるが、浜口陽三さんとはじめて出会ったとき、彼がE・E・カミングズと個人的に知っていることを聞いて意外に思ったことがある。浜口陽三の世界とE・E・カミングズとがあまり結びつかないので私にはおもしろいと思ったのだが、こういう感想がたいてい浅はかなものであることは、人生の経験が教えてくれる。いずれにしても、E・E・カミングズを肴にして、浜口陽三と私とが、つまりお互いにあまり関係のなさそうな人間が人間のことを話しながら、夜酒を汲みかわすこともありうるのである。」(「E・E・カミングズと私」[無限・特集、1967・12]『コレクション瀧口修造』第8巻みすず書房1991年9月刊)*浜口陽三は1936年のニューヨーク滞在中に知人の紹介でE・E・カミングズと知り合い、彼が亡くなる1962年まで親交が続いた。(前出「浜口陽三の世界」より)
 タケミヤ画廊で1956年1月に開催された「No.2銅版画展」にパリ在住の浜口陽三と夫人の南桂子も出品しており、瀧口はその年の読売新聞文化欄の企画「今年のベスト・スリー」に浜口の「舌平目」を上げている。翌年の1957年には、第1回東京国際版画ビエンナーレ展に招待出品された「青いガラス」と「水差しとぶどうとレモン」が国立近代美術館賞を受賞し、次のように論評している。「浜口氏は戦前パリに長く留学した経験があり、戦後は自由美術協会の会員として毎年銅版画を出品しているが、数年前に再渡仏してからその技術と作境が一段と飛躍した。銅版画は版画のなかでも特に地味な世界であり、殊にその伝統のない日本では銅版画家は技術と表現にたいへんな苦心をはらっている。浜口氏の技法はメゾチントを主とするもので、明暗の調子や刷りに非常にデリケートな感覚と技術とが必要とされる。近来の同氏はこの西洋的な技法を通じて、日本人独自の繊細で、しかも簡潔な形の感覚と、幽玄とでもいいたいような境地をめざしているようである。殊に銅版の魅力の黒いインクの深さは墨の色に特異な感受性をもつ日本人のつよみではないかと思われる。(以下略)」(浜口陽三「青いガラス」読売新聞、1957・6・14『コレクション瀧口修造』第7巻みすず書房1992年4月刊)

図版3.「No.2銅版画展」案内状図版3.
「No.2銅版画展」案内状
(「タケミヤからの招待状」慶應義塾大学アート・センター刊より)

図版4.第1回東京国際版画ビエンナーレ出品作「青いガラス」図版4.
第1回東京国際版画ビエンナーレ出品作
「青いガラス」

 1958年の欧州旅行で瀧口はパリの浜口のアパートを訪ねて夕食を共にし、浜口の愛車でゴッホの墓などパリ近郊を回ったことを「旅の手帖」や写真などに記録していた。(「瀧口修造1958―旅する眼差し」慶應義塾大学アート・センター2005年12月刊)滅多に会うことのなかった二人だが、美術評論家と画家の関係以上の友情を感じさせるエピソードである。

図版5.「瀧口修造1958―旅する眼差し」表紙図版5.
「瀧口修造1958―旅する眼差し」表紙
(慶應義塾大学アート・センター刊)

 浜口は国際展で数多くの受賞を重ね、百科事典『エンサイクロペディア・ブリタニカ』のメゾチントの項目に「二十世紀半ばの最も有名な孤高とも言うべきこの道の主導者・浜口陽三は、パリ在住の日本人作家であるが、彼はカラー・メゾチントという版画技法を開拓した。」(「現代版画イメージの追跡」長谷川公之執筆、美術手帖1986年9月号増刊より)と紹介されるなど世界的な評価を確立した。


「藤田嗣治」
 
図版6.ドライポイント「女蝶」図版6.
「女蝶」
1955年作
ドライポイント
32.5×25.7cm
ED.7/150
(ジャン・コクトー《海龍》より)

 二十世紀にパリで活躍した最も有名な日本人画家は藤田嗣治であろう。藤田も素晴らしい版画や挿画本を数多く残している。
 この作品は、フランスの詩人で劇作家のジャン・コクトーが1936年に刊行した世界一周旅行記の中から日本に関連した部分を抜粋したテキストに藤田の新作銅版画25点をセットにした豪華限定本《海龍》(1955年12月パリ刊)の中の1点である。175部限定で内150部のNo.1~No.15までは特別版となっており、本作はNo.7の和紙刷りである。三年程前にネットオークションで27,000円で落札した。
 林洋子著『藤田嗣治 本のしごと』(集英社新書ヴィジュアル版2011年6月刊)に《海龍》の作品について「彼の素描を職人がビュランという先端を鋭く研いだ刃物で銅版に直彫りした、爽快な切れ味のある表現です。」と説明されているが、実物を見れば、藤田の対象を捉える素早く的確な線描の凄さと、それを忠実に再現した職人技に圧倒されるだろう。

図版7.林洋子著「藤田嗣治本のしごと」表紙図版7.
林洋子著「藤田嗣治本のしごと」表紙
(集英社新書ヴィジュアル版)


 実は、この稿を起こす前には瀧口修造が藤田嗣治について書いたものが少しはあるだろうと漠然と思い込んでいたのだが、『コレクション瀧口修造』全13巻・別巻1(みすず書房刊)の目次を調べても見当たらなかったのである。内容にあたってようやく第11巻(戦前・戦中篇Ⅰ)と第12巻(戦前・戦中篇Ⅱ)に藤田に言及した文章を見つけた。
 一つは、「季節への反逆」という題で商業美術についての批評的な文章である。
「藤田嗣治の「街頭進出」はより現代化されてゐる。それも彼の特異なポスタア、ヴアリユ、異国趣味、小市民芸術の技巧的趣味がまづ迎へられたものに他ならない。彼の異国趣味の画風と妙に調和したために成功したものでは「ブラジル珈琲」のものなどが挙げられるだろう。が商店建築が発達してくるに従って、当然壁画芸術は一般化されるであろうし、今後新しい作家達が近代絵画の技巧訓練を経た後にこの方面にも進出して、現代商業主義の積極性、近代人的なダイナミックな嗜好を表現する機会も与へられるだろう。藤田といふ異例的な作家の仕事だけでは未だ物珍しい域を出ない。」(1936年4月24日「三田新聞」初出)
*「ブラジル珈琲」は東京銀座のビルの中に描かれていた壁画で、近年復元された。
 もう一つは、「二科」と題された美術団体の展評である。
「藤田嗣治の琉球風俗は内地の吾々からは明かにエグゾテイツクであるが、その描法には西洋から見た異国趣味も同時に存在する。その上、一時代前のアナクロニツクな感触がある。これらの複合が彼の様式のマジツクであり、彼自身、風土の発見者でもある。」(1938年10月「セルパン」初出)
 これらの短い文章だけで瀧口が藤田という画家をどう評価していたかを見極めるのは難しく、「異例的な作家」という表現もどう受け取るべきか迷うところだが、彼の作風にエキゾチシズムやアナクロニズム的なものを見ていたことは確かである。エコール・ド・パリと呼ばれた時代に活躍し、ピカソとの交流もありながらシュルレアリスムに関わることはなく、戦争の影響で一時的に帰国はしたが、その生涯の多くをパリで過ごしたこの天才的な画家との接点がなかったために、瀧口にとっては本格的に論じる対象とはなり得なかったのだろう。

(せいけ かつひさ)

清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

・清家克久さんの連載エッセイ瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―は毎月23日の更新です。

清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。

*画廊亭主敬白
夏休みも終わり、ときの忘れものは本日より営業を再開します。
スタッフたちは溜りにたまったメールへの返信に一日追われることでしょう。
秋の第一弾は9月2日から開催する「塩見允枝子+フルクサス」展です。110頁、100点を超す図版を収録した限定版のカタログを刊行します。詳細は近日中に発表します。
塩見展DM表