佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第70回
蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)の窓
実は最近はほぼ毎週月曜日、早朝の新幹線に飛び乗って福島から東京へ移動している。そして午前中は、東京・三田にある建築現場、蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)を訪れるのが週始めのルーティンとなりつつある。蟻鱒鳶ルは岡啓輔さんによるセルフビルドのRC建築だ。工事は今どんどん進んでいる。数年前からその地域の開発事業の中に組み込まれ、工事の作業も岡さんだけでなく林剛平さんや夏堀陽一さんなど、何人かの人たちが入れ替わり立ち替わり、取り組んでいる。なので最近は現場を訪れると、だいたい2-3人の方々の作業に出会う。
私はそんな中で、蟻鱒鳶ルの開口部、窓をどのように作っていくか、あたりに関わらせてもらっている。再開発事業としてのそれなりの仕様を担保しつつ、日々発展を遂げている蟻鱒鳶ルの有機、複雑鬼気な造形に開口部をどのように対応させていくか、の課題に取り組んでいる。数年前から構想を練っているものだが、ただし、大変悩ましいことに、福島から通いで行っている私自身は、未だに現場作業自体に入ることができていない。なので施工部隊として関わってはいるものの、唯一何やら設計屋の素振りをしてしまっている。(これはとても良くない)けれどもいつか、どこかで集中的に現場に入らせてもらいたいと勝手に思ってもいる。

(蟻鱒鳶ルの北側外壁。この写真は確か再開発事業に入る前の、足場が掛かって居ない状態での様子。道に対して裏側なので普段はあまり見ることのない立面。)こちら側にも実は小さな開口がポツポツと開いていて、その表情は無骨でとても良い。)
いま実際に開口部の制作に取り組んでいるのは、潮上さん、有馬さん、相馬さんの3人だ。そこにもう直ぐ後藤さんも参入する予定になってもいる。それぞれ別の仕事や日頃のやることがあるが、各々のペースで各所の窓を作っている。蟻鱒鳶ルの小ぶりな建物の中で溶接機が2台同時に動いていることも最近は増えてきた。
開口部は主に鉄で制作を行っている。Lアングルやフラットバーを組み合わせて障子としてのガラスを押縁で留める仕様とし、いくつかはヒンジの開閉機構までしっかり作っている。
ベースはそのような仕組みだが、それぞれが作業の中でやり方を見つけ、またどこかしらへの探究心とこだわりを持って、一つ一つの窓を作っているので、どれとして同じ形の窓はない。そもそも蟻鱒鳶ルのグネグネとしたRC躯体の開口部、というよりも裂け目のような空隙の形状や質感に応答するような窓の在り方をそれぞれが模索している。
私はというと、もっぱらその現場では、工事元請や再開発事業側に工事の進捗を報告するいわゆる下請の監督業をやったり、それぞれ作業している人たちと次はどこの窓を作るかとか、どんな窓のアイデアがあるかの話をしたり、時々スッとアイデアのスケッチを差し出したり、をやっている。

(数年前の窓制作案のスケッチ。この頃から、制作するモノに窓という一つの機能だけでなく、内側に飛び出てくる棚とかハコとかの別の機能を付帯させようとしている。)

(数年前の制作案のスケッチ。鋭角鈍角を多彩に備えたコンクリートの開口に基本従う形で鉄の窓の形状を決め、その形状を起点にまた新たな立体を生み出し、付け足そうという案。)

(最近の窓制作のスケッチ。実際に現場で制作をしている潮上さんの興味の向かう先を、こちらも勝手に想像を膨らませながら描こうとしている。)
蟻鱒鳶ルの現場は、最近また盛り上がりをみせている気がする。皆があーでもないこーでもないの考えとアイデアを交わらせ、作り手の創作意欲溢れる建築現場ほどワクワクするものはない。たびたび訪れる自分としても、こんなにも小さな造作仕事に一つ一つ丁寧に取り組める経験は人生でもなかなか無いだろう。そんな折り重なる複数人の意欲に後押しされる形で、窓のアイデアもどんどん出てきている気がする。おそらくそろそろ、蟻鱒鳶ルのRC躯体が作り出した開口形状のルールからも自由な窓の形が、より自律した窓の在り方が生まれてくる気がしている。頑張りたい。

(有馬さん制作の並びの窓。RC躯体の表情質感に、鉄の窓がどこまで追いついていけるかがこれからのチャレンジの行方だと思う。)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
*画廊亭主敬白
岡啓輔さんのことは建築好きの方ならよくご存じだと思うのですが、知らない方も多いでしょう。
ネットで検索するとたくさん出てきますので、お読みいただきたいのですが、
先ずは、河本順子さんによるインタビュー(全11頁、2013年から2016年の間、数回にわたり岡さんに取材し構成したもの)。多摩美の教員紹介。<三田のガウディ「蟻鱒鳶ル」の岡啓輔さん>という記事もありました。参考にしてください。
蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)の窓
実は最近はほぼ毎週月曜日、早朝の新幹線に飛び乗って福島から東京へ移動している。そして午前中は、東京・三田にある建築現場、蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)を訪れるのが週始めのルーティンとなりつつある。蟻鱒鳶ルは岡啓輔さんによるセルフビルドのRC建築だ。工事は今どんどん進んでいる。数年前からその地域の開発事業の中に組み込まれ、工事の作業も岡さんだけでなく林剛平さんや夏堀陽一さんなど、何人かの人たちが入れ替わり立ち替わり、取り組んでいる。なので最近は現場を訪れると、だいたい2-3人の方々の作業に出会う。
私はそんな中で、蟻鱒鳶ルの開口部、窓をどのように作っていくか、あたりに関わらせてもらっている。再開発事業としてのそれなりの仕様を担保しつつ、日々発展を遂げている蟻鱒鳶ルの有機、複雑鬼気な造形に開口部をどのように対応させていくか、の課題に取り組んでいる。数年前から構想を練っているものだが、ただし、大変悩ましいことに、福島から通いで行っている私自身は、未だに現場作業自体に入ることができていない。なので施工部隊として関わってはいるものの、唯一何やら設計屋の素振りをしてしまっている。(これはとても良くない)けれどもいつか、どこかで集中的に現場に入らせてもらいたいと勝手に思ってもいる。

(蟻鱒鳶ルの北側外壁。この写真は確か再開発事業に入る前の、足場が掛かって居ない状態での様子。道に対して裏側なので普段はあまり見ることのない立面。)こちら側にも実は小さな開口がポツポツと開いていて、その表情は無骨でとても良い。)
いま実際に開口部の制作に取り組んでいるのは、潮上さん、有馬さん、相馬さんの3人だ。そこにもう直ぐ後藤さんも参入する予定になってもいる。それぞれ別の仕事や日頃のやることがあるが、各々のペースで各所の窓を作っている。蟻鱒鳶ルの小ぶりな建物の中で溶接機が2台同時に動いていることも最近は増えてきた。
開口部は主に鉄で制作を行っている。Lアングルやフラットバーを組み合わせて障子としてのガラスを押縁で留める仕様とし、いくつかはヒンジの開閉機構までしっかり作っている。
ベースはそのような仕組みだが、それぞれが作業の中でやり方を見つけ、またどこかしらへの探究心とこだわりを持って、一つ一つの窓を作っているので、どれとして同じ形の窓はない。そもそも蟻鱒鳶ルのグネグネとしたRC躯体の開口部、というよりも裂け目のような空隙の形状や質感に応答するような窓の在り方をそれぞれが模索している。
私はというと、もっぱらその現場では、工事元請や再開発事業側に工事の進捗を報告するいわゆる下請の監督業をやったり、それぞれ作業している人たちと次はどこの窓を作るかとか、どんな窓のアイデアがあるかの話をしたり、時々スッとアイデアのスケッチを差し出したり、をやっている。

(数年前の窓制作案のスケッチ。この頃から、制作するモノに窓という一つの機能だけでなく、内側に飛び出てくる棚とかハコとかの別の機能を付帯させようとしている。)

(数年前の制作案のスケッチ。鋭角鈍角を多彩に備えたコンクリートの開口に基本従う形で鉄の窓の形状を決め、その形状を起点にまた新たな立体を生み出し、付け足そうという案。)

(最近の窓制作のスケッチ。実際に現場で制作をしている潮上さんの興味の向かう先を、こちらも勝手に想像を膨らませながら描こうとしている。)
蟻鱒鳶ルの現場は、最近また盛り上がりをみせている気がする。皆があーでもないこーでもないの考えとアイデアを交わらせ、作り手の創作意欲溢れる建築現場ほどワクワクするものはない。たびたび訪れる自分としても、こんなにも小さな造作仕事に一つ一つ丁寧に取り組める経験は人生でもなかなか無いだろう。そんな折り重なる複数人の意欲に後押しされる形で、窓のアイデアもどんどん出てきている気がする。おそらくそろそろ、蟻鱒鳶ルのRC躯体が作り出した開口形状のルールからも自由な窓の形が、より自律した窓の在り方が生まれてくる気がしている。頑張りたい。

(有馬さん制作の並びの窓。RC躯体の表情質感に、鉄の窓がどこまで追いついていけるかがこれからのチャレンジの行方だと思う。)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
*画廊亭主敬白
岡啓輔さんのことは建築好きの方ならよくご存じだと思うのですが、知らない方も多いでしょう。
ネットで検索するとたくさん出てきますので、お読みいただきたいのですが、
先ずは、河本順子さんによるインタビュー(全11頁、2013年から2016年の間、数回にわたり岡さんに取材し構成したもの)。多摩美の教員紹介。<三田のガウディ「蟻鱒鳶ル」の岡啓輔さん>という記事もありました。参考にしてください。
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