「群馬の二つの磯崎建築を訪ねて」

王 聖美

 2023年4月1日に開催された、ときの忘れもの主催「群馬 磯崎建築ツアー」について報告したい。この日の高崎は桜が満開で、お天気にも恵まれた。バスの中では、見学する建築に関わる手元資料をいただき、高崎の蒸し立ての酒まんじゅうを頬張り、1989年から磯崎新アトリエに参加された大野幸さんによる作品解説をうかがえるという充実の時間を過ごしながら、伊香保方面の高原に向かった。

1、原美術館ARC
 バスを降りると、原美術館ARCの青野和子館長はじめ、原美術館時代からの素晴らしいキュレーションの歴史を支える職員の方々が迎えてくれた。広い青空の下、玄昌石スレートが鈍く光る寄棟の屋根屋根、新緑の色と対比する黒色塗装の杉板が貼られた壁、両腕を広げたような形の分棟に囲まれた野外劇場、草原に点在する屋外の常設作品が次々と目に入ってくる。

王聖美のエッセイ_群馬の二つの磯崎建築を訪ねて_大野様写真_1原美術館ARCの様子 撮影:大野幸

20230428_磯崎新建築ツアー_11青野和子館長 撮影:ときの忘れもの

20230428_磯崎新建築ツアー_12中央が大野幸さん。右が青野館長 撮影:ときの忘れもの

 原美術館ARCは、原美術館(1979年開館、2021年閉館、東京)の分館として、1988年に開館した。半屋外のロビーを中心に3つの展示室が配置され、中央の1室は、正方形の平面に寄棟の屋根がかかり4本の丸太柱で支えられている。残りの2室は、長方形の平面にヴォールト屋根がかかっている。3室ともに内側はプラスターボードを白色に塗装したホワイトキューブで、トップライト(紫外線カット仕様のガラス)から自然光の採光ができる展示室になっている。開館から20年後の2008年に、これらの収蔵庫と特別展示室「觀海庵」が増築された。

 当日、はじめに案内していただいたのは、増築された収蔵庫の中で1室だけ公開されている「開架式収蔵庫」だ。収蔵庫を一般開放するアイディアは、2010年前後に業界で活発化し、欧米諸国でパブリックの考えから関心が向けられたが、近年、日本では収蔵庫スペース不足問題と併せて議論されている。実現されたものに、壱岐市立一支国博物館(黒川紀章設計、2010年)、武蔵野美術大学美術館図書館の民俗資料室収蔵庫(藤本壮介、2010年)、三内丸山遺跡縄文時遊館(梓設計、2002年竣工、2018年増築)があり、原美術館ARCの「開架式収蔵庫」は、研究者やサポーターに対して限定的に開放しているものだが、国内では先駆的な事例にあたる。収蔵庫には上履きに履き替えて入る。敷地の高低差を生かして作られた2層吹き抜けの庫内の上層では、壁面と絵画ラックに平面作品が掛けられ、見学者が絵画ラックを引き出すこともできる。下層は平面作品と立体作品が保管されており、移動間仕切りで庫内を分割できるようにもなっている。実用的ではあるが来館者を楽しませるためにアレンジされた特殊な設定の収蔵庫の中、吹き抜けの大きな壁では、森村泰昌のレンブラントシリーズの作品たちの目が笑ったように見えた。
 
 美術館としての計画の問題は別として、建築体験の中で大切にしたいと感じたのは渡り廊下だった。渡り廊下は2008年の増築時に、半屋外ロビーの延長として、既存の展示室と事務室、収蔵庫、觀海庵などの新しい分棟とを繋ぐために挿入されたものだ。目的の室に渡り歩くためには一度半屋外に出る。そして廊下の途中に常設作品が仕組まれていたりする。館内では、2021年1月に惜しまれて閉館した原美術館(設計:渡辺仁、東京)から原美術館ARCに移設されアレンジが加わった奈良美智《My Drawing Room》、宮島達男《時の連鎖》、森村泰昌《輪舞(双子)》などの通年展示作品に再会できたことも嬉しかった。

2、群馬県立近代美術館
 続いて、一行は高原を下って群馬の森へと向かった。群馬の森一帯は、明治時代、陸軍岩鼻火薬製造所があった場所だ。同時代、都内では北区、板橋区の区界の北区立中央公園一帯、目黒区の国立科学博物館附属自然教育園一帯は火薬製造所や火薬庫があり、これらの戦争遺跡は現在は公園になっている。
 1974年に県立公園として群馬の森が整備されるにあたり、美術館が先行して1974年に建てられた。のち、1991年、1994年、1998年の3期にわたる増築、2008年に改修が行われ、隣接する群馬県立歴史博物館(大高正人設計)は、1979年に建てられた。

 群馬県立近代美術館は、12m角の立方体格子の集積が主題になっており、1974年に完成した初期のコンセプトは、シルクスクリーンの〈還元〉シリーズの《MUSEUM -Ⅰ》(1982年)に表れている。その抽象化された初期(1974年時点)群馬県立近代美術館は、格子状の柱と梁が強調され、濃い影を落とすほどの強い南西からの光に照らされ、内部は殆ど透けているように見える。戦後、日本に建てられた公立の近代美術館の多くは、所蔵作品が極めて少ないところからのスタートであったし、キュレーターが展覧会を企画したり、作品の移動が前提で展示が行われるモダンのミュージアム建築は、空間の箱のようなものだ、ということを示しているようにも見える。2期以降の増築工事で、既存棟の背後(北側)に新たに収蔵庫棟、展示室棟が、あるいは博物館側(東側)にハイビジョンシアター棟が増築される際も、一辺12mの立方体を加えるようにして構成された。

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群馬県立近代美術館 外観 撮影:ときの忘れもの

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群馬県立近代美術館の田中龍也先生 撮影:ときの忘れもの

 建築のコンセプト自体とそれが建築の隅々に貫き通されている点に感心することと、建築自体に何か感じることは必ずしも一致しないので、筆者はどちらかというと理性的なところに関心はなく、むしろ、コンセプトからやや外れたスロープの存在や、1階展示室の壁と外壁の間の「ギャラリー」と呼ばれる展示スペースの活用のされ方が、興味深いと感じている。館内では、開催中だった「アートのための場所づくり 1970年代から90年代の群馬におけるアートスペース」展をキュレーションした学芸員の田中龍也さん(*1)が迎えて下さった。前述の「ギャラリー」には、白川昌生が中心となり北関東造形美術館で開催された「場所・群馬」展などの資料や作品が展示された。

*1:田中龍也さんによる「アートのための場所づくり 1970年代から90年代の群馬におけるアートスペース」

王聖美のエッセイ_群馬の二つの磯崎建築を訪ねて_大野様写真_2群馬県立近代美術館 内観 撮影:大野幸

 帰りのバスで、一日を振り返るようマイクを回されたとき、磯崎新による70年代と80年代の美術館を同日に観覧できたことをコメントしたが、磯崎が近代主義のホワイトキューブの展示室をもつ美術館を第二世代、同時代の作家のサイトスペシフィックな作品を建築で協業する美術館を第三世代と考えていたことが念頭にあった(*2)。群馬県立近代美術館は第二世代で、原美術館ARCは過渡期ではあるが展示室の設計方法は第二世代にあたる。
 大野さんの解説では、原美術館ARCの造形は網走刑務所を引用し、群馬県立近代美術館の造形はソル・ルウィットの《ストラクチャー》を参照しているとのこと。隣接する人工物のない広い大地に建築を設計する時に、地霊や歴史、借景や軸線について言及せず、インスピレーションを土地の外側に求め、造形を幾何学で構成することに長けた磯崎を代表する2作品をあらためて学びなおすことができた。

*2:1994年に開館した奈義町現代美術館の解説、著書『造物主義論』(鹿島出版会、1996年)による。奈義町現代美術館の解説では、土地特有の要素である借景や軸線に触れている。

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「群馬 磯崎建築ツアー」集合写真 撮影:ときの忘れもの

IMG_6732「群馬 磯崎建築ツアー」集合写真 撮影:ときの忘れもの
(おう せいび 2023.5.9)

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は通常は偶数月18日に掲載していますが、今回は「群馬 磯崎建築ツアー」の特別レポートを執筆していただきました。次回は2023年6月18日の予定です。

■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。

特集展示/ル・コルビュジエ
会期:2023年5月25日(木)~27日(土) 11:00-19:00
魔法陣