先日あるアマチュアオーケストラの50周年記念の演奏会にお招きを受け、初めて横浜みなとみらいホールに行ってきました。
演奏会は新田ユリさん指揮のシベリウスがメインで、シベリウスファンの亭主としては久しぶりに交響曲第2番を堪能させていただきました。
演奏は素晴らしかったのですが、座席が少々辛かったですね。
先ず一階に入ると少し下りになっているのですが、その段差が凄い、あやうくつんのめりそうになりました。日本の公共建築の階段ってどうしてこう下手なんでしょう。
座席ですが、前の席との間が狭いのは、まあ日本中同じだけれど、前の席の背が床まですとんと落ちている。ただでさえ足をちぢこませないとならないのに、靴の先を入れる隙間もない。
座り心地も悪く、身長150cmに満たない社長が「こりゃあきついわ」と嘆くのだから、おして知るべし。
設計したのはどなたか存じませんが、苦情を言う人はいないのでしょうか。
この十年で劇的に椅子が変化したのは映画館です。場末の映画館でさえ、前の席との間隔はゆったり、横幅もあり、足の先も伸ばせ、座り心地もよい。おそらく客離れが深刻で、ようやく「お客の快適さこそ重要」であることに気づいた結果でしょう。
日本の音楽ホールは基本、貸会場ですから客のことなんか考えていない。評価は音響がいい、悪いだけ。いつになったら客のことに気付くのかしら。
当日、演奏会に来た人は年配の方が多かった。日本の人口構成からいっても、これからは高齢者に配慮しないホールにミライはない! と思ったのですが。
早いもので吉田克朗先生が55歳の若さで逝って24年が経ちました。
昨日9月23日がお誕生日で、ご健在なら80歳です。

1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
右端が当日の司会役を勤めた吉田克朗先生、マイクを握るのが関根伸夫先生、左端は堀内正和先生。
人前ではお茶目で、よく人を笑わせていましたが、アトリエではものも言わずいつも沈黙の中で作品制作に没頭されていたと伺いました。
もの派の作家の中では早くから版画制作に取り組み、身辺のスナップ写真をつかったシルクスクリーンや銅版を制作し、70年の第1回ソウル版画ビエンナーレでは大賞を受賞しています。
再評価される日の近いことを確信しています。
画廊コレクションからいくつかご紹介します。
ぜひご注文を。

銅版画集『LONDON Ⅱ』
1975年、フォトエッチング
イメージサイズ:10.0x31.0cm
シートサイズ :31.0x43.5cm
Ed.7/20、サインあり

銅版画集『LONDON Ⅱ』より「Eaton Gate」

銅版画集『LONDON Ⅱ』より「Lower Marsh」
吉田克朗 Katsuro YOSHIDA
《WORK 117》
1982年
シルクスクリーン(刷り:美学校・宮川正臣)
イメージサイズ:42.0x56.0cm
シートサイズ :50.0x65.1cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
《WORK 117》は、1982年3月に開催された「美学校第3回シルクスクリーンプリントシンポジウム」で制作され、現代版画センターエディションとして発表されました。

《WORK 46》
1975年、リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm
シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100、サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■吉田克朗(1943年9月23日~1999年9月5日)
埼玉県深谷市生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。
1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年「第8回現代日本美術」展、69年「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)、70年「現代美術の一断面」展(東京国立近代美術館)、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。
また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年「第1回ソウル国際版画ビエンナーレ」で大賞受賞。
以後、72年「クラコウ国際版画ビエンナーレ」ほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。1999年に食道がんのため死去。享年55。
ときの忘れものでは2018年8月「吉田克朗 LONDON 1975」展を開催しました。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

演奏会は新田ユリさん指揮のシベリウスがメインで、シベリウスファンの亭主としては久しぶりに交響曲第2番を堪能させていただきました。
演奏は素晴らしかったのですが、座席が少々辛かったですね。
先ず一階に入ると少し下りになっているのですが、その段差が凄い、あやうくつんのめりそうになりました。日本の公共建築の階段ってどうしてこう下手なんでしょう。
座席ですが、前の席との間が狭いのは、まあ日本中同じだけれど、前の席の背が床まですとんと落ちている。ただでさえ足をちぢこませないとならないのに、靴の先を入れる隙間もない。
座り心地も悪く、身長150cmに満たない社長が「こりゃあきついわ」と嘆くのだから、おして知るべし。
設計したのはどなたか存じませんが、苦情を言う人はいないのでしょうか。
この十年で劇的に椅子が変化したのは映画館です。場末の映画館でさえ、前の席との間隔はゆったり、横幅もあり、足の先も伸ばせ、座り心地もよい。おそらく客離れが深刻で、ようやく「お客の快適さこそ重要」であることに気づいた結果でしょう。
日本の音楽ホールは基本、貸会場ですから客のことなんか考えていない。評価は音響がいい、悪いだけ。いつになったら客のことに気付くのかしら。
当日、演奏会に来た人は年配の方が多かった。日本の人口構成からいっても、これからは高齢者に配慮しないホールにミライはない! と思ったのですが。
早いもので吉田克朗先生が55歳の若さで逝って24年が経ちました。
昨日9月23日がお誕生日で、ご健在なら80歳です。

1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
右端が当日の司会役を勤めた吉田克朗先生、マイクを握るのが関根伸夫先生、左端は堀内正和先生。
人前ではお茶目で、よく人を笑わせていましたが、アトリエではものも言わずいつも沈黙の中で作品制作に没頭されていたと伺いました。
もの派の作家の中では早くから版画制作に取り組み、身辺のスナップ写真をつかったシルクスクリーンや銅版を制作し、70年の第1回ソウル版画ビエンナーレでは大賞を受賞しています。
再評価される日の近いことを確信しています。
画廊コレクションからいくつかご紹介します。
ぜひご注文を。

銅版画集『LONDON Ⅱ』
1975年、フォトエッチング
イメージサイズ:10.0x31.0cm
シートサイズ :31.0x43.5cm
Ed.7/20、サインあり

銅版画集『LONDON Ⅱ』より「Eaton Gate」

銅版画集『LONDON Ⅱ』より「Lower Marsh」
吉田克朗 Katsuro YOSHIDA《WORK 117》
1982年
シルクスクリーン(刷り:美学校・宮川正臣)
イメージサイズ:42.0x56.0cm
シートサイズ :50.0x65.1cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
《WORK 117》は、1982年3月に開催された「美学校第3回シルクスクリーンプリントシンポジウム」で制作され、現代版画センターエディションとして発表されました。

《WORK 46》
1975年、リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm
シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100、サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■吉田克朗(1943年9月23日~1999年9月5日)
埼玉県深谷市生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。
1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年「第8回現代日本美術」展、69年「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)、70年「現代美術の一断面」展(東京国立近代美術館)、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。
また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年「第1回ソウル国際版画ビエンナーレ」で大賞受賞。
以後、72年「クラコウ国際版画ビエンナーレ」ほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。1999年に食道がんのため死去。享年55。
ときの忘れものでは2018年8月「吉田克朗 LONDON 1975」展を開催しました。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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