王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥第29回」

関東大震災に関する展示を巡って


 近年、調査や再評価が進み、大正時代の表象について目にすることが多くなった。しかし、当時の社会や思想に関して実感を持てて見ているかと言うと難しい。少しでも作品の背景にある感覚を掴みたくて、当時の言葉に、絵に、図に、紙に、目で手で触れてみるけど、距離はそう簡単には縮まらない。そのくらい100年前は筆者には遠い。
 今年は、図書館、文書館、歴史博物館といったいわゆるMLA施設で、関東大震災を主題にした展示が多く企画され、各館の所蔵する資料が公開された。中でも多くの扱われていたのは、陸軍被服廠跡の火災旋風、流言飛語、防災だった。

新_別表
【別表1】

1、なぜ人々は記録しようとするのか

 関東大震災発生直後から復興期にかけて、災害、避難、人的災害、復興などについて、当時の人々は映像、写真、絵画、版画、手記、地図といったさまざまな表現手段で状況を記録した。
 まず、記録映像については、その多くが東京近郊の映画の撮影所に勤めていたカメラマンたちが、発生直後から撮影したフィルムが繋ぎ合わされたものがあり、「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」(千代田区)や、「関東大震災 あれから100年 語り継ぐべき記憶」(東京消防庁)で紹介されていた。国産のフィルムは富士フイルムが販売開始する1934年を待たなくてはならず、1923年当時のフィルムは映画「ニューシネマパラダイス」で語られるような自然発火するナイトレートが含まれており、震災復興機に製作されて火災や戦災を生き延びた記録フィルムを国立映画アーカイブがデジタル化しアーカイブしている活動(*1)はよく知られている。
 これらの速報性のある映像メディアは、遠く離れた人々に東京や横浜の都市の惨状を届けた。例えば、テレビ朝日 テレ朝NEWS特集「関東大震災100年」によると、西本願寺が撮影・編集し、築地本願寺に保存されていた映像は、9月9日の夜には京都の西本願寺本山門前で実写が行われ、9月11日~23日には近畿、中国、九州地方23都市の寺、神社境内、市役所前広場などで上映され、毎回数千人~3万人の人が集まったと伝えられている。
 国立公文書館「大正時代―公文書でたどる100年前の日本―」では、大正6年に制定された「活動写真興行取締規則」に言及している。大正時代初めに活動写真館がつくられ、興行として全国に普及していく一方で、風俗を乱すものとして問題視もされた。更に、ここでは大正11年の「民力涵養二関スル活動写真映写技手二手当支給ノ件」という資料が展示された。内務省が国民の生活の近代化のための講習会に活動写真を活用していたこと、それほどまでに当時、活動写真が物事を広く伝えるメディアとして有用であったことが間接的に読み取れる。
 映画の起源を遡ったとき、シネマトグラフで発表されたリュミエール兄弟の『工場の出口』が、ドキュメンタリーだったことを考えずにはいられない。

*1:https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/kanto1923/

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【写真1】「民力涵養二関スル活動写真映写技手二手当支給ノ件」(大正11年3月)、国立公文書館「大正時代―公文書でたどる100年前の日本―」より

 次に、写真については、新宿区立新宿歴史博物館「震災からモダン都市・新宿へ」の解説に「大震災の後、すぐに震災に関連した多くの写真、地図、絵画が発行されました」とあったように複数の展示において撮影者不詳の写真が展示された。神奈川県立歴史博物館「関東大震災―原点は100年前―」では、所蔵資料の他に個人蔵の写真資料が展示され、当時の被災、復興状況を写真で記録するプロフェッショナルがいたことが、オリエンタル写真工業の売上を支えたことが解説として添えられていた。オリエンタル写真工業は、大正10年に印画紙を発売している。

 更に、絵画と版画については、それらの写真との違いについて解説を添える展示が複数見られた。「関東大震災と復興-台東区の大正・昭和-」を企画した台東区立中央図書館の郷土・資料調査室の室報2023年3月号では、「震災の状況は写真に撮られ、写真雑誌や写真絵はがきに掲載されましたが、当時の臨場感を表現する上で絵画も使われました」と強調されているほか、展示された『帝都大震災画報』の石版画については、「カメラではとらえられない、火災旋風を劇的に表現しており(中略)見る者に何が起きたのかを視覚的に教えてくれる資料です」とあった。絵画や版画が写真と比較して誇張された表現だったのかどうかについては後に述べるとして、少なくとも、すでに写真製版が普及し、新聞に写真が掲載された時代に、あえて色刷石版の『帝都大震災画報』が刷られていたことは調査の余地があるかもしれないし、同年内に金尾文淵堂(大阪)から刊行された日本漫画会による『大震災画集』、東京在住の画家による『関東大震災画帖』、黎明社編『震災画譜 画家の眼』などからは、画家たちの行動力と災厄へのリアクションがうかがえる。

 ところで、なぜ人々は記録をしようとしたのか。観光絵葉書的に売れたから、義援金を募るため、残虐な事件が併発する中で社会に貢献しようとした、といった理由は既に指摘されているが、その根源にある動機は何なのか。その答えのひとつが「関東大震災 あれから100年 語り継ぐべき記憶」(東京消防庁)で紹介された、松本ノブによる手記『大正大震災遭難之記』(大正13年)に表れていた。手記の表紙と抜粋の複製のみで原資料展示はなかったが、内容の概要が「ノブさんからのメッセージ 手記に学ぶ関東大震災」(公益財団法人東京防災救急協会、朗読・ナビゲーター上野樹里)として上映されていた。ノブさんは一般の当時29歳、2人の乳幼児の母で、避難先の陸軍被服廠跡で起こった火災旋風の当時の記憶、避難生活中に頂戴した「御見舞金品受納目録」、炊き出しの相互扶助の様子を丁寧に記録している。「強く記憶に残らないであろう幼年の子どもたちのために、その時のことを語り継いで、人様から受けた御恩に報いてほしいとの願いもあり、のこした手記」とあり、漢字に仮名がふられている箇所も見られ、個人的な体験を主に家族に語り継ぐため、そして自身が恩を忘れないためのものだったと見受けられた。

2、残された記録を見る目

 震災と火災により、東京市内にあった主要新聞社17社のうち14社が倒壊した。当時はテレビもラジオもなく、情報が欠乏したことによる人々の不安が流言飛語を生んだと言われている。そして、富士山噴火、朝鮮人による放火、井戸に毒が入れられた、爆弾が投じられたなど、地方新聞各紙は裏付けがとれないまま記事化してしまい、誤報であることを正す機会もなかった。フェイクニュースが存在したのと同様、フェイク写真も存在した。震災絵葉書の中には、売るために事実よりもインパクトが重視され、例えば火災の背景などの合成されたものがあることが現代になって判ってきている。

 国立科学博物館「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」では、同じ構図の油画と写真が展示された。科学博物館前身の東京博物館は地震後の火災で資料と建物が全焼し、すぐに震災の調査や資料の収集を始めた。そこで、1924年3月に20点の油画を購入、近年、収蔵庫で眠ってた作者不詳の13点が再発見され、修復を経て(*2)、関東大震災の惨状・被害を描いた油画《浅草公園の惨状》と《赤坂区の被害状況》が展示された。一方、AI技術を用いた写真彩色の例として、国立科学学物館蔵の写真《赤坂の倒壊家屋》が元のモノクロ画像とカラー化画像(カラー化協力:東京大学渡邉 英徳教授)で展示された。アジェは画家が絵を描くための街の写真を撮っていたというから、画家が市井で購入した写真を模写して販売するなどのことは当たり前に行われていたのだと考えられる。油画とその基となった写真が同室で対面したことについてはあえて言及されていないが、当時のさまざまな混乱の状況が想像される。

*2:『関東大審査絵図 揺れたあの日のそれぞれの情景』(東京美術、2023年)

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【写真2】作者不詳《浅草公園の惨状》《赤坂区の被害状況》、国立科学博物館所蔵、国立科学博物館「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」より

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【写真3】《赤坂の倒壊家屋》国立科学博物館所蔵、国立科学博物館「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」より

3、資料展示の魅力

 突然だが、筆者は主催館の所蔵品(所蔵資料)展に関心があり、気が向くとMLA施設の展示を巡っている。そこには借用作品による企画展にはない魅力があり、館種によって使っている言語の違いのようなものが感じられる。
 例えば、美術業界では、震災当日は上野公園の竹之台陳列館では再興院展と二科展が初日だった。マヴォが入選発表前日に「二科落選歓迎、移動展覧会」を予告したあの第10回である。東京国立近代美術館「所蔵作品展 MOMATコレクション」では、「関東大震災から100年」の冒頭で、二次資料として『みづゑ 224号 二科展と震災』に掲載された野口隆信による文「開会が閉会の今年の二科会」が紹介され、震災前日夜から豪雨があり、朝は「ほんとうに恐怖を抱かせる強い烈しい」風が吹き荒れていたことが示された。一方、国立科学博物館「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」では、9月1日の天気図(『関東大震災調査報告 気象編』、中央気象台、1924年)が展示された。この資料からは、当日6時時点、低気圧の中心(台風の目かどうか未詳)が福井・石川付近にあり、琵琶湖周り、北陸の一部と関東甲信越の一部が雨と強風であることが読み取れた。このように、台風が接近していて強風だった事実を伝えるときに、それぞれの館が扱う分野や所蔵する媒体が特有の言語となって表現されるところが、所蔵資料の多様性の魅力、リアル展示の可能性だと今のところ感じているが、どうなのだろうか。

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【写真4】9月1日の天気図、関東大震災調査報告 気象編、中央気象台、1924年、国立科学博物館所蔵、国立国立科学博物館「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」より

(おう せいび)

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2023年12月18日更新の予定です。

王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。

≪開催中の関連展示≫

■関東大震災100年企画展「震災からのあゆみ -未来へつなげる科学技術-」
2023年9月1日(金) ~ 11月26日(日)
東京 上野 国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/event/2023/09earthquake/

■「関東大震災と東京 -震災復興から100年-」
2023年8月4日(金曜日)~11月1日(水曜日)
東京 広尾 都立中央図書館
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/guide/event/various/6830_20230801.html

■令和5年度特別展 関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり~未来へ繋ぐ100年の記憶~」
2023年9月1日(金)~11月26日(日)
東京 日比谷 千代田区立日比谷図書文化館
https://www.edo-chiyoda.jp/tenji_koza_kodomotaikenkyoshitsu/tenji/1/529.html

■「関東大震災100年ー隠蔽された朝鮮人虐殺」
2023年7月5日(水)~12月24日(日)
東京 新宿 高麗博物館
https://kouraihakubutsukan.org/event/kantooudaisinsai100nen/

■「関東大震災100年 船と港から見た関東大震災」
2023年8/26(土)~11/5(日)
神奈川 桜木町 横浜みなと博物館
https://www.nippon-maru.or.jp/20230726-13078/

■「特別展「関東大震災100年 大災害を生き抜いて ―横浜市民の被災体験―」
2023年8月26日(土)~12月3日(日)
神奈川 日本大通り 横浜開港資料館
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/shinsai100th/

■「そのとき新聞は、記者は、情報は――関東大震災100年」
2023年8月26日(土)~12月24日(日)
神奈川 日本大通り ニュースパーク(日本新聞博物館)
https://newspark.jp/exhibition/ex000334.html

●本日のお勧め作品は、『銀座モダンと都市意匠』カタログ(地図付)です。
銀座モダン主催:資生堂
会期:1993年3月16日~4月3日
発行:資生堂企業文化部
監修:藤森照信/植田実
デザイン:吉川盛一
テキスト :
藤森照信「銀座の都市意匠と建築家たち」
苫名直子「三岸好太郎のアトリエをめぐって」
山脇道子「わたくしのものさし バウハウスー茶の湯」
谷川正己「短命で果てたF.L.ライトの別荘」
藤谷陽悦「夢と消えた大船田園都市構想」
五十殿利治「モダニズムの批評家 仲田定之助」
高村美佐「装飾美術家協会の人びと」
綿貫不二夫「資生堂ギャラリ-と建築家たち」、他159ページ
図版:392点

付録:[銀座建築マップ101 大正12年~昭和14年]
book_1993_ginza_modern_map
初田亨編、協力・三枝進、盛本隆詩
縮尺1:2400
サイズ:75.0×101.5cm
*銀座建築マップは1993年3月16日~4月3日に資生堂ギャラリーで開催された「銀座モダンと都市意匠」展のカタログ別丁資料として発行された。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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