2023年はお正月早々、沖縄に飛び磯崎新先生( 2022年12月28日死去)のご葬儀に参列することから始まりました。
その直後、ときの忘れものの建築を設計された阿部勤先生が1月10日に亡くなられました。
8月に阿部先生の追悼展を開催したのですが、そのさなかに資生堂名誉会長の福原義春さんと、かつての上司ピエール・ボードリさんの訃報が相次いで届きました。
SBIという会社の社長だったボードリさんはファッション関係のライセンス業務に携わっており、まだ無名だったティエリー・ミュグレー(1977年資生堂がファッションショー「6人のパリ」で日本に招く)などを扱い資生堂と取引がありました。ボードリさんはまたアート関連の日本アドヴィザーという会社も経営されており、破産して人生の岐路にあった亭主を拾ってくれ、1987年のシャガール生誕100年展、1989年のエッフェル塔100周年記念展などフランス系の展覧会を多く企画させてくれました。
ボードリさんの縁で資生堂と繋がり『資生堂ギャラリー七十五年史』編纂という足掛け6年にわたる大仕事が始まり、社長だった福原さんの知遇を得ることができました。1995年にときの忘れものを開廊してからは、福原さんの駒井哲郎、オノサト・トシノブのコレクションのお手伝いもさせていただきました。
今年はお世話になった生方美智子さんが1月14日に、松本哲夫先生が2月1日に、海野弘先生が4月5日に、澄川喜一先生が4月9日に鬼籍にはいられました。
9月には青木宏さん(2020年9月28日死去)を偲ぶ会と追悼展がありました。
ご冥福を心よりお祈りするとともに皆さんの事績が後世に伝わることを願わずにはおられません。
暮れの12月13日には福原義春さんのお別れ会があり、まさに恩人たちを送る一年でした。
その直後、ときの忘れものの建築を設計された阿部勤先生が1月10日に亡くなられました。
8月に阿部先生の追悼展を開催したのですが、そのさなかに資生堂名誉会長の福原義春さんと、かつての上司ピエール・ボードリさんの訃報が相次いで届きました。SBIという会社の社長だったボードリさんはファッション関係のライセンス業務に携わっており、まだ無名だったティエリー・ミュグレー(1977年資生堂がファッションショー「6人のパリ」で日本に招く)などを扱い資生堂と取引がありました。ボードリさんはまたアート関連の日本アドヴィザーという会社も経営されており、破産して人生の岐路にあった亭主を拾ってくれ、1987年のシャガール生誕100年展、1989年のエッフェル塔100周年記念展などフランス系の展覧会を多く企画させてくれました。
ボードリさんの縁で資生堂と繋がり『資生堂ギャラリー七十五年史』編纂という足掛け6年にわたる大仕事が始まり、社長だった福原さんの知遇を得ることができました。1995年にときの忘れものを開廊してからは、福原さんの駒井哲郎、オノサト・トシノブのコレクションのお手伝いもさせていただきました。
今年はお世話になった生方美智子さんが1月14日に、松本哲夫先生が2月1日に、海野弘先生が4月5日に、澄川喜一先生が4月9日に鬼籍にはいられました。
9月には青木宏さん(2020年9月28日死去)を偲ぶ会と追悼展がありました。
ご冥福を心よりお祈りするとともに皆さんの事績が後世に伝わることを願わずにはおられません。
暮れの12月13日には福原義春さんのお別れ会があり、まさに恩人たちを送る一年でした。
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