深沢紅子生誕120年
シュトルム神父に会いたい
深沢紅子の野の花と 木を植えた人・シュトルム神父の愛した野の花 -深沢省三・紅子作品と共に-


渡邊 薫

岩手県盛岡市出身の画家・深沢紅子(ふかざわ こうこ、1903-1993)は、幼い頃から川原や道端に咲く身近な野の花に心惹かれ、野の花を生涯の友として多くの作品に描き残しました。

⑬その他(深沢紅子画像)
深沢紅子

紅子の家は、盛岡城から程近い、かつて城下町の中核として家老や高知衆の屋敷が並んでいた大手先(現在の内丸地区)にあり、明治36年(1903年)、洋服の仕立て業を営む夫妻の一人娘として生まれちました。当時、家の裏には共同のつるべ井戸があり、先には県の知事公舎の建物、その黒い塀を抜けると、そこには清々しい中津川の景色が広がっているのでした。

①町の中心を流れる中津川の風景
町の中心を流れる中津川の風景

北上川や雫石川とともに、盛岡を代表する川。中でも町の中心を流れる中津川は、今でも雪解け水に春の訪れを感じ、夏になると浅瀬で子供たちが水遊びする姿をみることができます。上流では、早朝から鮎釣りに興じる人の姿も。秋には鮭が遡上、橋の欄干に雪が積もると、北国の冬の到来。移ろいのなかで、巡る四季を肌でしみじみ感じる、そんな市民生活に息づいた川です。

幼い頃の遊び場だったこの川原で、水色のジュータンを敷き詰めたように咲くわすれな草の群落は、紅子にとって花との出会いを知る美しい記憶として心に刻まれ、確かな眼と感性を育みました。

②中津川原に咲くわすれな草
中津川原に咲くわすれな草

紅子との縁で、1955年、転地療養を兼ね盛岡で一か月を過ごした夭折の詩人立原道造(たちはら みちぞう、1914-1939 )は、フィアンセに宛てた手記に、

 “ 僕は 曙を見るために 中津川に出て行った
 僕は はじめの光が 水の底にとどくのを 見た
 そこは 花のない わすれなぐさが 
 岸近く群れているところだった ”


と書き記し、

“ 青い花の咲く五月になったら、また訪れる約束をしよう ”

と、再来の夢を語っています。

③立原道造『盛岡ノート』の深沢紅子描くわすれな草
立原道造『盛岡ノート』の深沢紅子描くわすれな草

そんな原風景の地に美術館を思い描きながら90歳の生涯を遂げた紅子ですが、その思いを実現させようと、盛岡市民を中心とした紅子を敬愛する人々による全国的な募金活動が沸き起こり、その市民運動が大きな力となり、深沢紅子野の花美術館は1996年に開館しました。

⑫その他(美術館外観)
美術館外観

深沢紅子生誕120年となった冬の展覧会は、「シュトルム神父に会いたい 深沢紅子の野の花と 木を植えた人・シュトルム神父の愛した野の花 -深沢省三・紅子作品と共に- 」を3月14日㈭まで開催しています。
ゲオルグ・シュトルム神父は、1915年スイスに生まれた方です。1952年宣教師として来日、農学の学位を持つことから、畜産指導の依頼もあり藤沢町の大籠教会に招かれました。その後、奥州市の水沢教会へ。岩手の教会で宣教師として生涯を過ごされた方ですが、なかでも45年間を過ごした二戸では、古い民家を活用した教会で清貧な暮らしを貫ぬき、バイブルソングスや童話創作など多彩な文化活動に励まれました。89歳で帰天されるまで、植林活動は二千本にも上り、確かな観察眼で、地域の植物を多数描き残しています。

⑥シュトルム神父
シュトルム神父

神父を二戸に迎える際、町では教会となる古民家の改装を提案、しかし、「私がこの建物に合わせればよいのです」とその一切を断わり、畳に手造りしたマリア像を据え、冷蔵庫も石油ストーブもない、自給自足の日々を過ごしました。また、「町に、子供たちの未来を考えた自然が足りない。」と、山に出掛けては種を拾い、教会の庭で苗まで育て、再び公園や野球場の周辺に植える地道な取り組みは、「木を植える神父」として小学校の道徳教材にもなり、語り継がれています。

④シュトルム神父の教会
シュトルム神父の教会

⑤シュトルム神父の教会の庭
シュトルム神父の教会の庭

紅子生誕120年は、“3つの会いたいを叶える年”として、Ⅰ期には紅子と親交のあった郷土作家の展示、Ⅱ期には懐かしい紅子の人気挿絵の原画展示をいたしましたが、生誕祭を締めくくる冬は、紅子の花への思いや精神性に焦点を当て展示いたしました。

実直な生き方とその思想で、地域の人々に愛され、岩手の地で生涯を遂げたシュトルム神父とその植物図譜を、紅子絵画とともに展示、自然を愛する目線とその生き方を紹介するものです。

シュトルム神父の作品では、花が咲いた後の実を描いたものや、消えゆく希少植物を描きとめた作品、コーヒーを絵具に含ませ描いたという茅葺き屋根の民家や岩手の冬景色などを展示しています。

⑪美術館内の花

紅子作品は、晩年のライフワークとなった四季の野の花をスケッチした水彩画に加え、リトグラフ「ゆりの木の花」も展示しています。ユリノキは、別名「はんてん木」とも呼ばれ、明治の始めから街路樹としてよく植えられましたが、一般にはあまり知られていなかった木です。この木を、15年の歳月をかけ調査研究し、その成果を植物誌『ユリノキという木』(1989年)にまとめたのは、岩手大学で植栽調査をすすめていた毛藤勤治博士であり、岩手にゆかりの深い木です。
尚、この作品を含む6点の花が収録された深沢紅子版画集「やさしい花」は、MORIOKA第一画廊(上田浩司氏)と現代版画センター様共同エディションによるもので、紅子の数少ない版画作品です。

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深沢紅子 版画集「やさしい花」

生誕120年を祝い寄贈を受けた、紅子の100号2点の連作「晩夏」も、継続して披露展示しています。
この油彩画は、建築家・生田勉氏(いくた つとむ、1912-1980)設計の住宅「足利の家」に、設計段階から組み込まれていた作品です。

⑦紅子「晩夏」建物内画像
紅子「晩夏」建物内画像

生田氏は、戦後の日本を代表する建築家であり、木のぬくもりを生かした小住宅や山荘作品に独自の境地を開いた方です。ル・コルビュジエの作品や思想に強い影響を受け、ルイス・マンフォードの著作紹介等、海外の建築事情を翻訳著書によって日本に伝えた建築学者でもあります。立原道造とは、高校・大学をともに過ごし、道造が最も心を許していた人物です。長い親交を持つ紅子の住宅も手掛けており、「アトリエの二つある家」として、代表建築の一つになっています。
この度は、作品が組み込まれていた住宅の内装や建物の設計図、紅子の住宅間取り等、関連資料もともに展示しています。

※水槽の稚魚について
野の花美術館では、現在、一階の水槽で、さけの赤ちゃんを育てています。
近所の本町振興会の方々が、沿岸の宮古市津軽石にある鮭の孵化場から譲り受け、
毎年届けてくださるもの。孵化したばかりのさけは、美術館前の川原で3月に行われる
“いってらっしゃい さけの赤ちゃん”放流会までお預りして成長を見守っています。
4年後、中津川にまた遡上してきてくれるといいですね。

⑩美術館で育てている鮭の稚魚(ふ化したところ)

■渡邊 薫(Watanabe Kaoru)
岩手県生まれ。1996年の深沢紅子野の花美術館 開館当初より、学芸員として携わる。

■「深沢紅子の野の花と 木を植えた人・シュトルム神父の愛した野の花」
会期:2023年11月23日(木)-2024年3月14日(木)
定休:月曜日(祝祭日の場合はその翌日)
時間:10時~17時(最終日は15時迄)
会場:深沢紅子野の花美術館
   〒020-0885 岩手県盛岡市紺屋町4-8
  TEL019-625-6541/FAX019-625-6533

⑧展覧会案内(表)

⑨展覧会案内(裏)

*画廊亭主敬白
武蔵野市立吉祥寺美術館で開催された「深沢紅子展~野の花によせて」をご紹介してからあっという間に12年が経ちました。
今回は盛岡の深沢紅子野の花美術館の渡邊薫先生にご寄稿いただきました。
川の街・盛岡に立つ小さな美術館、ぜひ旅の途中にお立ち寄りください。
同じ盛岡に住む戸村茂樹先生の2024年のカレンダーをプレゼントしています。
AAA_0098ご希望の方は、「氏名・住所・メールアドレス・電話番号」をメールでご連絡ください。
info@tokinowasuremono.com
画廊に引き取りに来ていただける方は、スタッフまでお声がけください。
郵送をご希望の場合は、梱包送料:1,100円をご負担ください。

●本日のお勧め作品は舟越保武です。
funakoshi-y_01_wakaionna-a舟越保武 Yasutake FUNAKOSHI
若い女 A
1984年
リトグラフ(雁皮刷り)
51.0×39.0cm
Ed.170
サインあり
*現代版画センターとMORIOKA第一画廊の共同エディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
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建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。