王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第33回
「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」を訪れて
早稲田大学會津八一記念博物館にて、「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」と「木村利三郎が描いた世界の都市」が2024年5月13日~7月15日、同時に開催されている。

早稲田大学會津八一記念博物館「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」図録(2024)

早稲田大学會津八一記念博物館「木村利三郎が描いた世界の都市」看板
この博物館の建築の一部は、もとは建築家・今井兼次が設計し1925年に完成した図書館であった。1934年、1955年の増築を経て、現在の2号館の姿になった。1991年に総合学術情報センター(図書館と国際会議場)が開館したことを受け、1994年に2号館の一部は高田早苗記念研究図書館に、オリジナル部分は古谷誠章氏(建築家、同大学教授)が保存改修の設計を行い、1998年に博物館としてリニューアルオープンした。

早稲田大学會津八一記念博物館外観
2017年と2019年に木村利三郎の作品と史料がご遺族によって同博物館に寄付され、2019年に開催された「ニューヨークに学んだ画家たちー木村利三郎を中心に」展で、所蔵作品の一部が公開された。今回はその展覧会に次ぐものでもあり、同博物館のコレクションとそれらの研究成果が公開された企画展であった。本稿では、主に、木村利三郎作品が展示された博物館2階の「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」の順路前半部分と、博物館1階で同時開催の「木村利三郎が描いた世界の都市」について述べる。
木村利三郎は1924年に横須賀で生まれ、1964年に39歳でニューヨークに渡り、生涯ニューヨークで活動した。1950年以降の日本人アーティストの渡米とニューヨークでの交流、木村がシルクスクリーンを始めたきっかけ、木村による《City》シリーズの表現の変遷については、坂上桂子氏(同館副館長、同大学教授)の「ニューヨークの画家 木村利三郎ー都市と表彰と〈9・11〉」(*1)と、「1960年代のニューヨークと日本人アーティスト」(*2)に詳しい。
木村が生まれ育った横須賀は、幕末の開国時に沿岸防備の施設が建設され、明治以降は軍港として急激に発展した。戦後、横須賀の旧軍用地は進駐軍に全て接収され、以後、旧軍用地の返還が進んだ一方で、日米安保条約に基づく米軍関係施設が配置されている。木村は神奈川師範学校、法政大学で学ぶなどし、10代から30代にかけて、自国の戦争と周辺国(ベトナム、朝鮮半島)の戦争によって起こる故郷横須賀の栄枯盛衰をそう遠くはない距離で見ていたことは想像できる。
博物館1階の「木村利三郎が描いた世界の都市」で展示された《World City(世界の都市)》シリーズは、解説によると1971~73年にショアウッド・カンパニー(画廊)との契約で制作された。世界の20都市を実際に見ることなく描く、という契約であったようである。旅行ガイドの『ロンリープラネット』や『地球の歩き方』の表紙のようなイメージと言えるだろうか。訪れることなくイメージだけで描かれた都市は、象徴的あるいは記号的な要素で表現されている。ただ、《Tokyo》と《New York》は実際に知る都市だったためか、他作品と見比べてモニュメントを避けているように思う。

「木村利三郎が描いた世界の都市」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
博物館2階の「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」の展示室では、木村が1960年代前半にニューヨークに渡る前に描いた水彩、1967年から晩年まで手がけた《City》シリーズのうち、1969年から1990年代の作品の一部である6点(後半の展示入れ替えを合わせて8点)と《メトロポリス》につづいて、荒川修作、猪熊弦一郎、白井昭子ら9人の作家の作品が展示されていた。
《City》シリーズについて
今回の展示は限られた点数の《City》シリーズであったが、3種類の傾向が見られた。一つは、限定的な色彩と余白を使って、俯瞰で見た地図のような、平面的に抽象的に表されていた都市。二つめは、多彩で強い色が用いられるようになり、立面的あるいは立体的に、時に透視図の視点で、ビル群が縦に伸びるようすが表されたもの。三つめは、都市やそのインフラを支える情報社会のネットワークやコンピューター内部の回路を表すような視点。実際、拡大レンズを装着しながら描く木村の姿が写真に残っている。それらの3段階の変化には、木村が渡米してニューヨークで間近に体感した同時代のアメリカ美術動向であるプレシジョニズム、ポップアート、オプティカルアート、サイケデリックなどからの影響は十分に考えられ、木村の主題である都市と木村自身との主観的な距離の変遷のようにも感じる。
展覧会図録の巻末には、同シリーズの他の作品の画像が掲載されており、生涯ひとつの主題に執着し追い求めた画家の変遷、バリエーションの一部をうかがい知ることができる。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
《メトロポリス》について
同作品は、長さ28m以上あり、ロール状のキャンバスに描かれた。展覧会前半会期で最初から半分まで、後半会期で半分から最後までが展示されている。キャンバスの中央あたりに鉛筆で線がひかれたり、ところどころに数字が描かれており、ある程度計画的に描かれたことが下書きから読み取れる。
解説によると、1991年11月ワシントンの日本大使館広報文化センターで開催された個展で発表された作品である。3月28日に個展開催が依頼されたとあるので、構想と制作合わせて約半年であった。
絵巻物のように左右両端を巻きずらしながら2m幅ずつくらい描くか、大きなサイズの日本画が描かれる時のように基材の上に橋を渡して描かれた様子をイメージしていたところ、《メトロポリス》制作中の木村の姿が図録の11頁に掲載されており、大胆にも都市の広くはないアトリエで、横向きに前後が視野に入った状態で、筆を走らせている姿がおさめられている。
《メトロポリス》は全体として青みがかっており、安易ながら、万物の生命の起源である海とそこから生まれる緑、複数の文明と都市の破壊や創造を経て、最後は空や大気に溶ける、といったストーリーを想像する。別名《メトロポリス・都市の過去、現在、未来》(1991年発表時)、《都市の歴史》(1995年発表時)とあることからも、主題を素直に読み取ることができる。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館

《メトロポリス》部分 所蔵及び図版提供:早稲田大学會津八一記念博物館
ところで、木村が渡米前の1960年代前半に描いた水彩が2階の展覧会冒頭で紹介されている。これらは、沖縄の海や夏の光景などが対象で、透明水彩らしい瑞々しく鮮やかな色彩が活かされた作品であった。《メトロポリス》を読み解く上で、個々の《City》シリーズは最重要な手がかりであろう。しかし、木村にとって横須賀や沖縄の海が心象風景として起点にあることをこの展覧会は示唆しているのではないだろうか。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
註
*1:坂上桂子編『危機の時代からみた都市ー歴史・美術・構想』、水声社、2022
*2:展覧会図録『ニューヨークに学んだ画家たちー木村利三郎を中心に』、2019
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2024年8月18日更新の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●本日のお勧め作品は木村利三郎です。
《サンフランシスコ》
1976年
シルクスクリーン(作家自刷り)
Image size: 41.0×54.0cm
Sheet size: 53.7×67.8cm
Ed.50
サインあり
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●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログをご覧ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」を訪れて
早稲田大学會津八一記念博物館にて、「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」と「木村利三郎が描いた世界の都市」が2024年5月13日~7月15日、同時に開催されている。

早稲田大学會津八一記念博物館「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」図録(2024)

早稲田大学會津八一記念博物館「木村利三郎が描いた世界の都市」看板
この博物館の建築の一部は、もとは建築家・今井兼次が設計し1925年に完成した図書館であった。1934年、1955年の増築を経て、現在の2号館の姿になった。1991年に総合学術情報センター(図書館と国際会議場)が開館したことを受け、1994年に2号館の一部は高田早苗記念研究図書館に、オリジナル部分は古谷誠章氏(建築家、同大学教授)が保存改修の設計を行い、1998年に博物館としてリニューアルオープンした。

早稲田大学會津八一記念博物館外観
2017年と2019年に木村利三郎の作品と史料がご遺族によって同博物館に寄付され、2019年に開催された「ニューヨークに学んだ画家たちー木村利三郎を中心に」展で、所蔵作品の一部が公開された。今回はその展覧会に次ぐものでもあり、同博物館のコレクションとそれらの研究成果が公開された企画展であった。本稿では、主に、木村利三郎作品が展示された博物館2階の「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」の順路前半部分と、博物館1階で同時開催の「木村利三郎が描いた世界の都市」について述べる。
木村利三郎は1924年に横須賀で生まれ、1964年に39歳でニューヨークに渡り、生涯ニューヨークで活動した。1950年以降の日本人アーティストの渡米とニューヨークでの交流、木村がシルクスクリーンを始めたきっかけ、木村による《City》シリーズの表現の変遷については、坂上桂子氏(同館副館長、同大学教授)の「ニューヨークの画家 木村利三郎ー都市と表彰と〈9・11〉」(*1)と、「1960年代のニューヨークと日本人アーティスト」(*2)に詳しい。
木村が生まれ育った横須賀は、幕末の開国時に沿岸防備の施設が建設され、明治以降は軍港として急激に発展した。戦後、横須賀の旧軍用地は進駐軍に全て接収され、以後、旧軍用地の返還が進んだ一方で、日米安保条約に基づく米軍関係施設が配置されている。木村は神奈川師範学校、法政大学で学ぶなどし、10代から30代にかけて、自国の戦争と周辺国(ベトナム、朝鮮半島)の戦争によって起こる故郷横須賀の栄枯盛衰をそう遠くはない距離で見ていたことは想像できる。
博物館1階の「木村利三郎が描いた世界の都市」で展示された《World City(世界の都市)》シリーズは、解説によると1971~73年にショアウッド・カンパニー(画廊)との契約で制作された。世界の20都市を実際に見ることなく描く、という契約であったようである。旅行ガイドの『ロンリープラネット』や『地球の歩き方』の表紙のようなイメージと言えるだろうか。訪れることなくイメージだけで描かれた都市は、象徴的あるいは記号的な要素で表現されている。ただ、《Tokyo》と《New York》は実際に知る都市だったためか、他作品と見比べてモニュメントを避けているように思う。

「木村利三郎が描いた世界の都市」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
博物館2階の「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」の展示室では、木村が1960年代前半にニューヨークに渡る前に描いた水彩、1967年から晩年まで手がけた《City》シリーズのうち、1969年から1990年代の作品の一部である6点(後半の展示入れ替えを合わせて8点)と《メトロポリス》につづいて、荒川修作、猪熊弦一郎、白井昭子ら9人の作家の作品が展示されていた。
《City》シリーズについて
今回の展示は限られた点数の《City》シリーズであったが、3種類の傾向が見られた。一つは、限定的な色彩と余白を使って、俯瞰で見た地図のような、平面的に抽象的に表されていた都市。二つめは、多彩で強い色が用いられるようになり、立面的あるいは立体的に、時に透視図の視点で、ビル群が縦に伸びるようすが表されたもの。三つめは、都市やそのインフラを支える情報社会のネットワークやコンピューター内部の回路を表すような視点。実際、拡大レンズを装着しながら描く木村の姿が写真に残っている。それらの3段階の変化には、木村が渡米してニューヨークで間近に体感した同時代のアメリカ美術動向であるプレシジョニズム、ポップアート、オプティカルアート、サイケデリックなどからの影響は十分に考えられ、木村の主題である都市と木村自身との主観的な距離の変遷のようにも感じる。
展覧会図録の巻末には、同シリーズの他の作品の画像が掲載されており、生涯ひとつの主題に執着し追い求めた画家の変遷、バリエーションの一部をうかがい知ることができる。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
《メトロポリス》について
同作品は、長さ28m以上あり、ロール状のキャンバスに描かれた。展覧会前半会期で最初から半分まで、後半会期で半分から最後までが展示されている。キャンバスの中央あたりに鉛筆で線がひかれたり、ところどころに数字が描かれており、ある程度計画的に描かれたことが下書きから読み取れる。
解説によると、1991年11月ワシントンの日本大使館広報文化センターで開催された個展で発表された作品である。3月28日に個展開催が依頼されたとあるので、構想と制作合わせて約半年であった。
絵巻物のように左右両端を巻きずらしながら2m幅ずつくらい描くか、大きなサイズの日本画が描かれる時のように基材の上に橋を渡して描かれた様子をイメージしていたところ、《メトロポリス》制作中の木村の姿が図録の11頁に掲載されており、大胆にも都市の広くはないアトリエで、横向きに前後が視野に入った状態で、筆を走らせている姿がおさめられている。
《メトロポリス》は全体として青みがかっており、安易ながら、万物の生命の起源である海とそこから生まれる緑、複数の文明と都市の破壊や創造を経て、最後は空や大気に溶ける、といったストーリーを想像する。別名《メトロポリス・都市の過去、現在、未来》(1991年発表時)、《都市の歴史》(1995年発表時)とあることからも、主題を素直に読み取ることができる。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館

《メトロポリス》部分 所蔵及び図版提供:早稲田大学會津八一記念博物館
ところで、木村が渡米前の1960年代前半に描いた水彩が2階の展覧会冒頭で紹介されている。これらは、沖縄の海や夏の光景などが対象で、透明水彩らしい瑞々しく鮮やかな色彩が活かされた作品であった。《メトロポリス》を読み解く上で、個々の《City》シリーズは最重要な手がかりであろう。しかし、木村にとって横須賀や沖縄の海が心象風景として起点にあることをこの展覧会は示唆しているのではないだろうか。

「ニューヨークを舞台にした日本人アーティストたちー木村利三郎作《メトロポリス》を中心に」展示風景 提供:早稲田大学會津八一記念博物館
註
*1:坂上桂子編『危機の時代からみた都市ー歴史・美術・構想』、水声社、2022
*2:展覧会図録『ニューヨークに学んだ画家たちー木村利三郎を中心に』、2019
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2024年8月18日更新の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●本日のお勧め作品は木村利三郎です。
《サンフランシスコ》 1976年
シルクスクリーン(作家自刷り)
Image size: 41.0×54.0cm
Sheet size: 53.7×67.8cm
Ed.50
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログをご覧ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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