「吉田克朗展 ものに、風景に、世界に触れる」- 展覧会の調査をめぐって

平野 到(埼玉県立近代美術館)

多くの美術関係者が待ち望んでいたであろう、吉田克朗(1943-99年)の全体像を紹介する初めての回顧展が、没後四半世紀の歳月を経て、神奈川県立近代美術館・葉山で4月20日に開幕した。初日に行われた内覧会には大勢の方が参加し、吉田克朗の交友関係の幅広さとその親密度を改めて実感した。初夏を感じさせる穏やかで清々しい陽気のもと、葉山館の中庭で開かれた内覧会のセレモニーの様子は、吉田克朗とその活動を支え続けた榘子夫人が、天国から見守っていたに違いない。

筆者は駆け出しの学芸員の頃、1970年前後の日本の美術動向を検証する巡回展「1970年-物質と知覚:もの派と根源を問う作家たち」(1995年)を担当する機会を得て、一年以上にわたり吉田克朗の作品や資料を調査し、作家自身による作品の設営にも立ち会った。この展覧会が取り上げた1960年代末から70年代初頭にかけては、美術や芸術の制度、表現そのものの立脚点を問い直す思潮が見られ、海外においてもほぼ時を同じくして、ミニマル・アート、アンチ・フォーム、アルテ・ポーヴェラ、シュポール/シュルファスといった先鋭的な美術動向があらわれた。この時代に登場し、後にもの派と称されるようになる動きは、上記のような世界の美術動向に比肩するものとして、1980年代半ばから国内外で再評価が始まっていた。筆者は、学生の頃から再検証が進むもの派について興味を抱き、記録写真や文献に触れてはいたが、この時期のほとんどの作品は現存せず、作品を実見する機会が限られていたこともあって、どこか実感がもてないままであった。それだけに、「1970年-物質と知覚」展の調査で、吉田克朗の出発点といえる1960年代末から70年代初めの美術状況やもの派の形成にまつわる話を作家本人から直接伺えたことは、たいへん貴重な経験となった。また、もの派の端緒となったと言われている、関根伸夫の《位相-大地》(1968年)についても、その屋外制作を小清水漸らと全面的に手伝った吉田克朗は、現場作業の様子、完成した時の印象、その後の自分自身への影響まで率直に語ってくれた。写真家・村井修が撮影した《位相-大地》のシンボリックな記録写真からだけでは伝わらない、この作品が包含している様々な意味を筆者に最初に示唆してくれたのは、吉田克朗その人であった。

図1|LONDON2
図1《ロンドン Ⅱ(Fitzmaurice Place)》1975年/フォト・エッチング、紙/ときの忘れもの蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

図2|触体-10
図2《触 "体-10"》1988年/油彩、アクリル、黒鉛、カンヴァス/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates



吉田克朗は1943年に埼玉県深谷市に生まれ、1971年から神奈川県鎌倉市を拠点に活動した。今回の吉田克朗展は神奈川県立近代美術館と埼玉県立近代美術館の2館による巡回展形式の展覧会であるが、まさに作家ゆかりの地で開催されることとなった。展覧会は両館の学芸員による、数年にわたる共同の調査研究を元にしている。その調査は、吉田克朗研究を先行して取り組んできた山本雅美氏、ご遺族の吉田有紀氏/成志氏、The Estate of Katsuro Yoshidaの事務局・ユミコチバアソシエイツといった関係者と密接に連携をしながら進められた。

吉田克朗は55歳で他界したこともあり、美術館でのまとまった規模の展覧会は必ずしも多くない。美術館での個展に関しては、神奈川県立近代美術館・旧鎌倉館で開催された2人展「今日の作家たちⅣ ‘92 山本正道・吉田克朗」(1992年)のみであり、しかも同展は近作の絵画に絞った内容であった。また、特定の時期の制作に焦点をあてる研究冊子や図録などは刊行されていたものの、作家の全体像を回顧する作品集や図録などは、これまで1冊も存在していなかった。さらに昨今、もの派が世界的にますます注目され、吉田克朗の最初期ばかりに焦点が充てられ、「吉田克朗=もの派作家」という捉え方が先行するきらいがあり、それによって作家の全容がなかなか見えにくくなってもいる。

今回の展覧会に向けた調査では、国内外の美術館の所蔵先を調べると同時に、アトリエに遺された膨大な数の作品やドローイング、資料などに可能な限り目を通していった。作品の制作年代や技法等を確認し、作品をシリーズごとに分類しながら制作の流れを掴み、全体像を捉えていくことを調査の主な目的とした。本展の図録に収録されている「作品集成」は、その調査を反映したものである。900点以上の作品をシリーズごとに掲載した「作品集成」は、行きつ戻りつしながら試行錯誤を続けた吉田克朗の制作の軌跡を、視覚的な資料で辿ることができるように編集されている。

調査を通じて浮かび上がってきたのは、吉田克朗の全体像を実証的に捉え、理解していくためには、改めて検証すべき時代があるということだった。すなわち、絵画への模索を続けた、1970年代半ばから80年代半ばにかけての時期である。1960年代末から数年間にわたるもの派期の制作、1960年代末から始まる、風景写真を素材にした版画シリーズ(図1)、1980年代後半以降に取り組んだ、手指で粉末黒鉛をカンヴァスにこすり付けて描く絵画シリーズ〈触〉(図2)は紹介される機会も多く、比較的よく知られている。その一方、実験的な手法を導入しながら絵画を模索していた時期のシリーズは、美術関係者ですら、あまり馴染みのない作品群に違いない。例えば、道路標識をモチーフとするシリーズ〈J〉(1974-75年)は、ジャスパー・ジョーンズの作風を想起させるような、記号的なドローイングである(図3)。また、〈Work D〉(1975-78年)のシリーズにおいては、物体に絵具を塗り、それを紙やカンヴァスに転写し、部分的に加筆したり、その物体を描画したりしながら、存在/不在/痕跡/イメージの関係を問う作品群が制作されている(図4)。さらに、絵画的なフォーマットに接近したシリーズ〈Work 4〉(1978-82年)では、壁面に施した筆触や、絵具を塗った物体を壁に型押しした痕跡をカンヴァスに転写するという、複雑で間接的なプロセスを経る作品を試みている(図5)。そして、絵画的なイメージの形成へ大きく一歩踏み込んだ〈海へ/かげろう〉(1982-86年)の絵画シリーズでは、風景などの写真を断片的に参照し、それを大胆に抽象化した絵画を制作している(図6)。

図3|J-6
図3《J-6》1974年/アクリル、鉛筆、インク、色指定紙、紙/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

図4|WorkD-197
図4《Work "D-197"》1977年/転写、描画:アクリル、パステル、紙/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates

これらの吉田克朗の模索期のシリーズは、美術や表現の原理を探求する気運が高まった時代から、表現を構築していこうとする時代へと美術の思潮が変遷していった背景のなかで、制作の方向性に悩みながら手掛けられたものと言えるだろう。そうであるが故に、模索期のシリーズを吉田克朗の活動の中に的確に位置づける検証作業は、70年代から80年代へと美術状況が変貌していく時代精神を読み解く、重要なケーススタディになるはずである。こういった観点を踏まえつつ、全5章で構成される展覧会のなかでは、「第2章:絵画への模索―うつすことから 1974~1981」および「第3章:海へ/かげろう-イメージの形成をめぐって 1982~1986」という2つの章を設けて、あまり知られていない模索期の作品群を敢えて多数紹介している。

図5|p.118|Work4-44

図5《Work 4-44》1979年/転写:アクリル、カンヴァス/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates


図6|かげろう3025
図6《かげろう "3025"》1983年/黒鉛、アクリル、アルミ粉、紙/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates



展覧会に向けた調査のなかで様々な興味深い資料に触れることができたが、生前誰にも(家族にすら)見せることなく、没後に見つかった「制作ノート」は、出色の資料である。1960年代末から80 年代前半にかけて記されたこれらの制作ノートには、作品のプランやアイディアに加え、自らの制作のあり方、他の作家の作品に対するコメント、時代状況に対する考え、哲学的な思索が綴られている。特に、もの派期に関わる1969年から数年間にわたる制作ノートは、ひときわ濃密である。異質な物体の組み合わせ、物体に内在する重力やテンションの視覚化、物体の状態やそれが置かれた状況の提示、即物的に光る電球の導入など、もの派の神髄ともいえる具体的なプランが集中的に描かれており、もの派の形成を検証する上で最重要の資料であろう(図7)。制作ノートには実現していない案も多数含まれるが、一連のプランには、ハラルト・ゼーマンが1969年に企画した展覧会「態度が形になるとき」の欧米作家の作品に通じるコンセプトが散見でき、国を越えた同時代性も鮮明に浮かび上がってくる。

さらに、制作ノートには驚くべき点がある。生前の吉田克朗をご存じの方々は、ユーモアに溢れた気さくで穏やかな人柄であったと、口をそろえて言うであろう。ところが、制作ノートに綴られた膨大なテキストを読んでいくと、そういった人物像とは全く別で、制作に関して極めて内省的でストイックであったことが伝わってくる。物、オブジェ、状態、イメージ、視覚といったキーワードを反芻しながら、自らの思考やコンセプトを繰り返し問い詰め、再考しているのである。あるべき制作を追い求め執拗に自問し続ける姿勢は、ひとたび作風を確立してもそこに安住せず、別のシリーズを探求していく制作スタイルに投影されているとも言えるだろう。

図7|制作ノートより1970年2月13日
図7「制作ノートより」1970年2月13日/The Estate of Katsuro Yoshida蔵 ©The Estate of Katsuro Yoshida / Courtesy of Yumiko Chiba Associates



多摩美術大学絵画科を卒業した1960年代末から始まる約30年間の作家活動は、大局的にみれば、最初期の物体を扱うもの派期の作品から、後半生に専心した絵画シリーズ〈触〉へと移行したと言えるかもしれない。しかしその移行の過程は、時代とともに変貌する美術動向の只中で、様式上、明快に進展していったわけでなく、容易には理解しにくい難解な側面も含まれている。

従って、吉田克朗の真の全体像を理解するには、異なる時代やシリーズに通底して潜在しつづけた作家の関心事が、果たして何であったかを捉えることこそ重要であろう。作家の理念的な関心事を、表面的な手法やシリーズの相違を超えて、より深い階層から考察することが求められるはずだ。そのためには、これまであまり知られていない作品群や資料に眼を向けることこそ肝要である。

なお、今回の展覧会をあわせて、吉田克朗に関する2冊の本が水声社から同時に刊行された。1冊は開催館が編集した展覧会図録であり、作家の全体像を初めてまとめたものである。もう1冊は山本雅美氏が手掛けた『吉田克朗 制作ノート1969-1978』であり、前述の制作ノートについて紹介している。これを機に、吉田克朗を核にした研究が進むことを期待している。

(ひらの いたる)

平野到
埼玉県立近代美術館副館長。1992年より同館に勤務。「矩形の森―思考するグリッド」(1994)、「1970年―物質と知覚:もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「イスラエル美術の現在」(2001年)、「長澤英俊展」(2009)、「清水晃/吉野辰海」(2012)、「浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに」(2013)、「ピカソの陶芸」(2014)、「ディエゴ・リベラの時代」(2017)、「大・タイガー立石展」(2021-22)などの展覧会に携わる。

◆展覧会情報
「吉田克朗展―ものに、風景に、世界に触れる」
2024年4月20日(土)~6月30日(日)   神奈川県立近代美術館 葉山
2024年7月13日(土)~9月23日(月・祝) 埼玉県立近代美術館
*神奈川県立近代美術館の開会式の様子は尾立麗子のレポートをお読みください。
20240501182629_00001

●「吉田克朗展―ものに、風景に、世界に触れる」図録
20240510122537_00001執筆:水沢 勉、森 啓輔、平野 到、山本雅美、西澤晴美、菊川亜騎、菊地真央
翻訳:キャサリン・リーランド、クリストファー・スティヴンズ、パメラ・ミキ・アソシエイツ
編集:神奈川県立近代美術館 西澤晴美、菊川亜騎、山田 龍(インターン)
埼玉県立近代美術館 平野 到、菊地真央
水声社 飛田陽子、関根 慶
校閲:亀山裕亮
ブックデザイン:宗利淳一ブックデザイン 宗利淳一、鈴木朋子
発行者:鈴木 宏
発行所:株式会社水声社
印刷・製本:精興社
価格:3,960円(税込)
※ときの忘れものでも販売中

●吉田克朗 制作ノート1969-1978
20240606173504_00001
山本雅美(著)
判型:A5変上製
頁数:160頁
ISBN:978-4-8010-0805-2 C0070
装幀:宗利淳一+鈴木朋子
価格:3,520円(税込み)
※ときの忘れものでも販売中


●本日のお勧め作品は吉田克朗です。
yoshida_02_work117《WORK 117》 
1982年
シルクスクリーン(刷り:美学校・宮川正臣)
イメージサイズ:42.0x56.0cm
シートサイズ :50.0x65.1cm
Ed.50   サインあり
*現代版画センターエディション
《WORK 117》は、1982年3月に開催された「美学校第3回シルクスクリーンプリントシンポジウム」で制作され、現代版画センターエディションとして発表されました。
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