舟越桂さんが3月29日に亡くなってからはや四ヶ月、72歳の惜しまれる死でした。
箱根の彫刻の森美術館で開館55周年を記念する「⾈越桂 森へ行く日」が開催されます。
会期:2024 年7 ⽉26 ⽇(⾦)~ 11 ⽉4 ⽇(⽉・休)
会場:彫刻の森美術館 本館ギャラリー
『舟越桂全版画1987-2002 』(2003年、株式会社青幻舎)によれば、舟越桂さんは1987年から2003年までの間に総数70点以上の銅版画、リトグラフ、木版画を制作しています。
初めて版画作品を発表したのは1987年。3点の小さな銅版画でした(サイズ:14.8×9.6cm、Ed.50)。
このときの経緯はよく覚えています。
「教会とカフェのためにI」
「教会とカフェのためにII」
「静かな鏡のために」
3点ともに刷りは盛岡在住の銅版画家・戸村茂樹さん、版元は銀座のギャラリーせいほうさんでした。
舟越桂さんが彫刻の初個展をしたのは1982年、銀座の貸し画廊、ギャラリー・オカベでした。
亭主の記憶によれば木彫一体がたしか30万円くらいでした。ほとんど売れずお母さま(つまり舟越保武夫人の道子さん)が1点お買いになったとか。
そのころ、私たちはお父様(保武先生)の版画制作に夢中でした・・・・
1986年~87年にかけて桂さんは文化庁の在外研修員に選ばれロンドンに留学します。
そのとき、初めて上掲の銅版画3点を制作されました。
ロンドンでは3点のみが作られ、その後、版画はしばらくやらず、次の制作は1990年になってからでした。アメリカのクラウン・ポイント・プレスでの制作でした。いきなり1メートル近い大判の銅版を発表され、私も驚きましたが、あれよあれよと言う間に彫刻、ドローイング、版画と幅広いファンが増え、スターとなっていったのはご承知の通りです。
この処女作銅版3点は、まだブレークする前の初期のもので瑞々しい感性が漂う秀作です。
この後もサンフランシスコの版画工房などで銅版画を制作していますが、1993年には版画工房「エディション・ワークス」で初めてリトグラフを制作します。
リトグラフはインクが紙の上に「食いついていない」という印象で好きになれなかったそうですが、トナーを水に溶かずに粉のまま筆に付けて描き、火であぶって亜鉛板に定着させるという、リトグラフの制作過程の中でもあまり試みられていない技法によって、望むような強い黒の線が出せたといいます。その技法によって制作されたのが、「水の下の小石」というポートフォリオにまとめられた5点です。
作家の言葉を引用すると、
「水のなかを覗くというのは、自分のなかを見ることではないかと思うようになったのです。ひとりひとり、北欧にあるような深い湖をもっていて、自分を確かめるということは、そのなかに潜っていって、小さな石を拾ってくるということじゃないか―—そんな風に考えるようになったのです。」
――「みずからを語る」、「舟越桂」展カタログ、神奈川県立近代美術館、1993年 より引用
舟越桂
《The mirror in the distance 遠い鏡》
1993年
リトグラフ
イメージサイズ:85.0×65.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50 Signed
舟越桂
《The room of sand 砂の部屋》
1993年
リトグラフ
イメージサイズ:78.0×45.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■舟越 桂(ふなこし かつら)
彫刻家の父・舟越保武と母・舟越道子の次男として岩手県盛岡市に生まれる。姉は作家の末盛千枝子、弟は彫刻家の舟越直木。
1975年東京造形大学彫刻科卒業。1977年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1982年にギャラリー・オカベ(東京)で初個展を開催。1986年から翌年まで文化庁芸術家在外研修員としてロンドンに滞在したのを機に活躍の場を海外にも広げ、ベネチア・ビエンナーレ、ドクメンタなど大規模な国際展にも代表作家として選ばれる。大理石の玉眼を用いた異形の人体像などが評価され、第26回中原悌二郎賞優秀賞(1995年)、第18回平櫛田中賞(1997年) 、芸術選奨文部科学大臣賞(2009年)、 紫綬褒章受章(2011年)を受章。楠の木彫作品のほか、版画作品や小説の挿絵なども手がける。2024年3月29日死去。
箱根の彫刻の森美術館で開館55周年を記念する「⾈越桂 森へ行く日」が開催されます。
会期:2024 年7 ⽉26 ⽇(⾦)~ 11 ⽉4 ⽇(⽉・休)
会場:彫刻の森美術館 本館ギャラリー
『舟越桂全版画1987-2002 』(2003年、株式会社青幻舎)によれば、舟越桂さんは1987年から2003年までの間に総数70点以上の銅版画、リトグラフ、木版画を制作しています。
初めて版画作品を発表したのは1987年。3点の小さな銅版画でした(サイズ:14.8×9.6cm、Ed.50)。
このときの経緯はよく覚えています。
「教会とカフェのためにI」
「教会とカフェのためにII」
「静かな鏡のために」
3点ともに刷りは盛岡在住の銅版画家・戸村茂樹さん、版元は銀座のギャラリーせいほうさんでした。
舟越桂さんが彫刻の初個展をしたのは1982年、銀座の貸し画廊、ギャラリー・オカベでした。
亭主の記憶によれば木彫一体がたしか30万円くらいでした。ほとんど売れずお母さま(つまり舟越保武夫人の道子さん)が1点お買いになったとか。
そのころ、私たちはお父様(保武先生)の版画制作に夢中でした・・・・
1986年~87年にかけて桂さんは文化庁の在外研修員に選ばれロンドンに留学します。
そのとき、初めて上掲の銅版画3点を制作されました。
ロンドンでは3点のみが作られ、その後、版画はしばらくやらず、次の制作は1990年になってからでした。アメリカのクラウン・ポイント・プレスでの制作でした。いきなり1メートル近い大判の銅版を発表され、私も驚きましたが、あれよあれよと言う間に彫刻、ドローイング、版画と幅広いファンが増え、スターとなっていったのはご承知の通りです。
この処女作銅版3点は、まだブレークする前の初期のもので瑞々しい感性が漂う秀作です。
この後もサンフランシスコの版画工房などで銅版画を制作していますが、1993年には版画工房「エディション・ワークス」で初めてリトグラフを制作します。
リトグラフはインクが紙の上に「食いついていない」という印象で好きになれなかったそうですが、トナーを水に溶かずに粉のまま筆に付けて描き、火であぶって亜鉛板に定着させるという、リトグラフの制作過程の中でもあまり試みられていない技法によって、望むような強い黒の線が出せたといいます。その技法によって制作されたのが、「水の下の小石」というポートフォリオにまとめられた5点です。
作家の言葉を引用すると、
「水のなかを覗くというのは、自分のなかを見ることではないかと思うようになったのです。ひとりひとり、北欧にあるような深い湖をもっていて、自分を確かめるということは、そのなかに潜っていって、小さな石を拾ってくるということじゃないか―—そんな風に考えるようになったのです。」
――「みずからを語る」、「舟越桂」展カタログ、神奈川県立近代美術館、1993年 より引用
舟越桂《The mirror in the distance 遠い鏡》
1993年
リトグラフ
イメージサイズ:85.0×65.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50 Signed
舟越桂《The room of sand 砂の部屋》
1993年
リトグラフ
イメージサイズ:78.0×45.0cm
シートサイズ:93.0×75.5cm
Ed.50 Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■舟越 桂(ふなこし かつら)
彫刻家の父・舟越保武と母・舟越道子の次男として岩手県盛岡市に生まれる。姉は作家の末盛千枝子、弟は彫刻家の舟越直木。
1975年東京造形大学彫刻科卒業。1977年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1982年にギャラリー・オカベ(東京)で初個展を開催。1986年から翌年まで文化庁芸術家在外研修員としてロンドンに滞在したのを機に活躍の場を海外にも広げ、ベネチア・ビエンナーレ、ドクメンタなど大規模な国際展にも代表作家として選ばれる。大理石の玉眼を用いた異形の人体像などが評価され、第26回中原悌二郎賞優秀賞(1995年)、第18回平櫛田中賞(1997年) 、芸術選奨文部科学大臣賞(2009年)、 紫綬褒章受章(2011年)を受章。楠の木彫作品のほか、版画作品や小説の挿絵なども手がける。2024年3月29日死去。
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