太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」第28回

よりみち未来派(第28回):未来派芸術家列伝(その7)――フィッリア:20世紀生まれの未来派の寵児

太田岳人

イタリアの北西ピエモンテ州の州都トリノは、1861年にイタリア王国が成立した際には最初の首都となり、20世紀にはフィアットに代表される工業都市として発展する一方、労働・社会運動と結びついた知的ダイナミズムの場としても知られる【注1】。しかし、この地で未来派運動が本格的に成長したのは、ミラノやフィレンツェに遅れる1920年代に入ってからのことである。トリノから遠くないクーネオ県レヴェッロに生まれ、母方の名字を芸術家名としたフィッリア(Fillia、本名ルイージ・コロンボ/1904-1936)【図1】は、1923年に「未来派芸術家組合」の発起人となると、夭折するまでこのトリノ・グループの先頭に立った人物である。初期未来派の主要メンバーが1870年代-1880年代前半生まれであることを考えると、1904年生まれのフィッリアは「第二世代」というより「息子世代」と呼んだ方がいいかもしれない。

図1 フィッリア《自画像》、1925-26年
図1:フィッリア《自画像Autoritratto》、1925-26年頃(キャンバスに油彩、54×44cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Fillia: fra immaginario meccanico e primordio cosmico, Milano: Mazzotta, 1988より。


しかし、その文筆と造形芸術を横断するその精力的活動は、独自の繊細さを持ちつつも「父親世代」に劣るものではない【注2】。彼の早熟な活動は未来派加入以前から始まっており、公的な詩作の最初の発表は、同地の「プロレタリア文化協会」が発行した詩集『ダイナマイト:1+1+1=1』(1922年)への寄稿によるものであった。一般的な抒情詩から「自由語詩」スタイルによる詩集、さらに小説、戯曲、芸術批評(編者としても)をまとめたものは、生前に「未来派芸術家組合」やトリノの名門UTET(トリノ印刷出版連合)社から、複数出版されている。未来派の芸術メディアの編集者としても、『ラ・チッタ・フトゥリスタ』(1929)、『チッタ・ヌオーヴァ』(1932-1934)、『スティーレ・フトゥリスタ』(1934-1935)など複数のものに加わった。マリネッティとの共著『未来派料理』(1932年)【図2】は、奇書もしくは芸術上のトリヴィアの愛好者なら何かしら聞いたことがある名前だろう【注3】。

図2 『未来派料理』より
図2:『未来派料理』より「未来派の第一食Le prime vivande futuriste」写真紹介。
※ Filippo Tommaso Marinetti e Fillia, La cucina futurista, Milano: Longanesi, 1986 (1932年の復刻版) より。


造形芸術については、ここでは絵画に話を絞りたい。1920年代、「機械の芸術」が未来派で提唱されていた頃の作品【図3】は、まだ模索期と言えるものであり、ローマやパリを拠点とした先輩のエンリコ・プランポリーニ、あるいはピュリスム的な画面構成の模倣が強く見て取れる。彼の独創性が際立つようになるのは1920年代末以降、とりわけ1930-1931年にかけて、プランポリーニやルイージ・ルッソロとともにフランスに滞在し、「円と正方形」グループ、またシュルレアリスム運動の活動に触れたことによると考えられている。

図3 フィッリア《女性性》、1928年
図3:フィッリア《女性性Femminilità》、1928年(キャンバスに油彩、95×68cm、アントニオ・エ・マリーナ・フォリキーノ・コレクション、トリノ)
※ Enrico Crispolti, Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。


フィッリアとマリネッティの二人による「未来派宗教芸術宣言」(1931年6月初出)は、実際の信仰がなくても高度な「精神性」を体現する「宗教芸術」は可能であり、むしろ現代生活に見合ったそれを描き出すには、同時性・機械性・抽象化といった未来派的要素がなくては不可能であると訴えるものであった。この宣言の中で《礼拝》【図4】は、「未来派宗教絵画」を体現する作品の一つとして紹介されている。砂塵色をベースにした画面に描かれている事物の多くは、古典的なキリスト教のシンボルや事物――傾斜のついた立体はゴルゴタの丘、曇り空のような色で平板に塗られた十字形はもちろん十字架、地面から伸びた黒いパイプ状のものは祈る聖母マリア――を想起させる。しかしいずれも、抽象的な形態として処理されており、ルネサンス美術の遠近法的世界とは異なる空間内での、構築的な幾何学性に基づく「精神性」の表出が目指される。

図4 フィッリア《崇拝》、1931年
図4:フィッリア《礼拝L’adorazione》、1931年(キャンバスに油彩、125×100cm、マリネッティ・コレクション、ミラノ)
※ Enrico Crispolti, Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。


またフィッリアは、同じ1931年より大々的に喧伝されることになる、「未来派航空絵画宣言」の9人の署名者の一人にもなっている。しかし彼の描いた「航空絵画」は、トゥリオ・クラーリが描いたような現実の飛行機の運動がもたらすスペクタクル感とは無縁であった。彼の「航空絵画」シリーズの中でも、私がとりわけ強い印象を受けるのは《空気より重い》【図5】である。画面中央の白い円形のベースに、上昇する飛行機のような形状が灰色の線によって記号的に大きく描かれているものの、それに覆いかぶさるように画面左上には黒く輝く球体が浮かび上がる。先の《礼拝》で、十字架とマリアを思わせる形状の足元に鎮座していた赤い球体は、キリストの流血などを想起させるが、こちらの浮かぶ黒い球体が表すものは《空気より重い》感覚、すなわち「重力」である。望遠鏡でのぞいたような白い円形の下部には、よく見るとわずかに建物が描かれていて、人間の世界とのつながりが抹消されているわけではないものの、それが根ざす大地は空に浮かぶ球体の輪郭のように湾曲している。現代の鑑賞者は、極端な「重力」によって光すら吸い込んでしまうブラックホールという概念――フィッリアの時代にはなかった――を知っていれば、《重力の感覚》と題する類似作(ジェノヴァ近代美術館)を知らなくても、その印象が感覚的に理解できるのではないだろうか。

図5 フィッリア《空気より重い》、1933-34年
図5:フィッリア《空気より重いPiù pesante dell’aria》、1933-34年(キャンバスに油彩、175×150cm、ガウデンツィ・コレクション、ジェノヴァ)
※ Enrico Crispolti, Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。


理論と実作の双方に通じるフィッリアは、反未来派と目された年配の人物へ積極的に論戦を仕掛けるスタイルによっても、マリネッティの評価を得た。一方で彼は、トリノの未来派仲間や運動全体の中核メンバーだけでなく、グループの周辺にいた年下の人物たちからも慕われていたようである。第二次世界大戦後の指導的美術史家であったジュリオ・カルロ・アルガン(1909-1992)は、1920年代末にトリノ大学の学生時代に、彼の師匠のリオネッロ・ヴェントゥーリがその攻撃対象の一人だったにもかかわらず、フィッリアのアトリエをたびたび訪れている。晩年のインタビューでアルガンは、フィッリアが画家としては「平凡だった」としつつも「実に繊細で、何でも知っていた」とその知性を高く評価した。また、絵本などで日本でもおなじみのレオ・レオーニ(1910-1999)は、ジェノヴァに住んでいた1930年代初頭の数年間、近隣地域の未来派たちと交流をもっていたが、その自伝ではフィッリアが友人となった数少ない未来派メンバーの一人として言及されている【注4】。

1936年2月、マリネッティらも出征していた対エチオピア戦争の最中、トリノに残るフィッリアは結核で死去した。彼は遺言書で、簡素な葬儀や情報伝達の制限などについて細かく指示しており、その20年前の第一次世界大戦中に早世したボッチョーニと比べて、はるかに静かに世を去っていった。しかしその後、トリノの未来派グループが急速に解体してしまったことからも分かるように、彼の「重力」は小さいものではなかった。

【告知】
ところで、本稿で言及したレオーニについては、板橋区立美術館で「レオ・レオーニと仲間たち」展が11月9日より開催されます。展覧会は巡回する予定があるとのことですが、特に板橋では11月中に、レオーニのお孫さんによる講演など興味深い企画が多数用意されています(私もシンポジウムの一つに参加する予定です)。ぜひ足をお運びください。

レオ・レオーニと仲間たち Leo Lionni and his Circle of Friends
会期:2024年11月9日(土)~2025年1月13日(月・祝日)
休館日:月曜日、12月29日~1月3日(但し、1月13日(月・祝日)は開館)

シンポジウム「未来派とレオーニ」
2024年11月17日(日)午後1時~午後4時
発表 1 「レオ・レオーニの自己形成とイタリア未来派」
太田岳人(千葉大学非常勤講師)


発表 2 「似ている?違う?同じ時代を生きたレオーニとムナーリ」
藤田寿伸(東京成徳大学子ども学部准教授)

発表 3 「グラフィックデザイナーとしてのレオーニ」
室賀清徳(編集者、デザイン評論)

モデレーター:森泉文美(本展企画者)、松岡希代子(板橋区立美術館長)
定員:60名(事前申込制)
受付開始:10月18日(金)午前9時

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【注】
注1:20世紀のトリノに出現したラディカル(特に学知や文芸における)の群像については、ノルベルト・ボッビオ『光はトリノより:イタリア現代精神史』(中村勝己訳、青土社、2003年)、マイケ・アルバート『トリノの精神:現代イタリアの出版文化を築いた人々』(佐藤茂樹訳、明石書店、2021年)に詳しい。また、そうした知的環境を醸成したトリノ独自の都市空間に関しては、多木浩二『トリノ:夢とカタストロフィーの彼方へ』(多木陽介監修、BEARLIN発行、新宿書房発売、2012年)も参照。

注2:未来派のトリノ・グループは、第一次世界大戦後の未来派の再評価を行おうとする批評家・研究者にとって、最も早い時期に注目された集団であった。Enrico Crispolti (a cura di), Il secondo futurismo: Torino 1923-1938, 5 pittori + 1 scultore, Torino: Fratelli Pozzo, 1962. フィッリアについては、1980年代後半に出版された2冊(モノグラフと展覧会カタログ)が非常に綿密に書誌や出展記録の調査を行っており、現在でも基準点となっている。Silvia Evangelisti (a cura di), Fillia e l’avanguardia futurista negli anni del fascismo, Milano: Mondadori/ Daverio, 1986; Enrico Crispolti (a cura di), Fillia: fra immaginario meccanico e primordio cosmico, Milano: Mazzotta, 1988.

注3:1922年の「ローマ進軍」前後の時期における共産主義運動と未来派の関係、および『未来派料理』の内容には興味深いものがあるので、それぞれ今後別の機会に書いてみたい。

注4:ロッサナ・ボッサーリア「美術史家ジュリオ・カルロ・アルガンとの対話(2)」、(森田義之・小林もり子訳、『五浦論叢』第28号、2021年); Lio Lionni, Between Worlds: The Autobiography of Leo Lionni, New York: Knopf, 1997.

おおた たけと

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2024年12月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学ほかで非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

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