「槇文彦 メモリアル会」
会期:2024年10月11日(金)~13日(日)
会場:代官山ヒルサイドプラザ
今年6月に亡くなられた建築家・槇文彦先生のメモリアル会が代官山ヒルサイドプラザで行われたので、参列して参りました。
槇文彦先生には、生前ときの忘れものにお越しいただいたことがあり、巨匠の訪問にお客様も驚き、皆さん遠巻きに見ていたことが懐かしい記憶です。

メモリアル会には、若かりし頃のお姿や奥様との写真パネル、遺品展示にはパスポートや几帳面に書かれた手書きのアドレス帳(レストランの電話番号など)、ライカのカメラとたくさんのレンズ、帽子、英語で書かれた手帳などがあり、お人柄がよく表れている素敵な私物でした。



別室には英語での講演会や多くの方から寄せられた写真やメッセージの映像コーナーがあり、ときの忘れものからも数枚お送りしたお写真が映りました。

ーーー
「磯崎新と西洋建築史」
会期:2024年10月13日(日)13時開場 13:30~17:00
会場:東京大学 工学部1号館15号会議室
主催:日本建築学会西洋建築史小委員会
共催:岡山県立大学デザイン学部岡北研究室
司会:伊藤喜彦(東京都立大学)
同時開催:「磯崎新の洋行スケッチ展」(東京大学 工学部1号館 15号講義室:KAJIMA HALLホワイエ)

東京大学で開催された「磯崎新と西洋建築史」の講義に参加してきました。
西洋建築史小委員会の学会の発表だそうで、募集とともに会場120席がすぐに満席になり、オンラインで聞けるようにするもすぐに人数制限に達したそうです。それだけ西洋建築史に関心があるのかというとそうではなく、私を含め、「磯崎新」という名前で申し込みをした方がほとんどだったとか。

13:30から始まり17:30まで4時間(休憩はわずか8分)、こんなに真面目に授業を受けたのは初めてというくらいみっちり発表を聞きました。
集中して聞きましたが、諸先生方の発表は私にとっては難しく、理解が追いついていないところも大いにありますがとっても勉強になりました。
僭越ながら、必死でメモした一部をみなさんに共有します(公開処刑)。
プログラムは以下の通り。
磯崎建築の位相 ジュオ・ロマーノからブルネッレスキへ ――稲川直樹(中部大学)
『磯崎新の建築談義』で語られたこと ――五十嵐太郎(東北大学大学院)
磯崎新の世紀末 『20世紀の現代建築を検証する』を検証する ――印牧岳彦(神奈川大学)
エフェメラルな永続性 磯崎新とロシア的なるものの交錯 ――本田晃子(岡山大学)
コメント(要点まとめ) 横手義洋(東京電機大学)
●磯崎建築の位相 ジュオ・ロマーノからブルネッレスキへ ――稲川直樹(中部大学)
磯崎新建築は10年ごとに(10年かけて)変化するという話でした。
50年代、磯崎は丹下健三の下、香川県庁舎や倉敷市庁舎を担当し、丹下建築を「空間性が稀薄で、皮と骨だけだ」と否定しているが、60年代の磯崎建築(旧大分県立大分図書館や大分県医師会館など)にはあきらかに丹下建築の影響が表れている。
また、中山邸は、菊竹清訓のスカイハウスやバウハウスを参照したと思う。
70年代、貝島邸では堀口捨巳の試みを追体験をしてるし、堀口捨巳の大島測候所の正方形の連続を参照し、群馬県立近代美術館や北九州市立美術館は平面構成に立方体格子の連結による設計手法を用いる。また、大島測候所の平面の屈折は、群馬のエントラスの屈折に見いだされる。
つくばセンタービルで変化が訪れ、幾何学的フォルマリズムから、装飾や歴史的言語の多用に傾いた。
80年代は今まで見たことのない建築を創作するも、それが歴史上の建築に共通や類似していると気付く。
●『磯崎新の建築談義』で語られたこと ――五十嵐太郎(東北大学大学院)
磯崎は全歴史的に見ていた極めて特異な建築家であった。
『建築行脚』と『建築談義』(『建築行脚』の廉価版)の話が中心。
『建築談義』に関わった五十嵐は、軽井沢に泊まりがけで3回訪問して磯崎にインタビューをした。磯崎は「待ってました」と言わんばかりに、堰を切ったようにインタビューに答えてくれた。
『建築行脚』は全12巻、篠山紀信の写真集『家』に感動したことがきっかけで、篠山に依頼し、いわゆる建築写真ではなく(三脚を立て、水平をとるとかではなく)、人物を撮るように撮影してと依頼したらしい。
『建築行脚』は、建築史で代表的な建築は選ばなかった。唯一、パルテノン神殿だけは選んだが、磯崎は時代のオモテではなく、ひねったものを選んだ。
――――
『建築行脚』
第1巻ナイルの祝祭 カルナック神殿
第2巻透明な秩序 アクロポリス
第3巻逸楽と憂愁のローマ ヴィラ・アドリアーナ
第4巻きらめく東方 サン・ヴィターレ聖堂
第5巻中世の光と石 ル・トロネ修道院
第6巻凍れる音楽 シャルトレ大聖堂
第7巻メディチ家の華 サン・ロレンツオ聖堂
第8巻マニエリスムの館 パラッツオ・デル・テ
第9巻バロックの真珠 フォンターネ聖堂
第10巻幻視の理想都市 ショーの製塩工場
第11巻貴紳の邸宅 サー・ジョン・ソーン美術館
第12巻ゆらめくアールデコ クライスラー・ビル
――――
●磯崎新の世紀末 『20世紀の現代建築を検証する』を検証する ――印牧岳彦(神奈川大学)
磯崎は1963年に初めて海外に行き、翌年に二川幸夫と都市を巡る。西洋建築史は必要な知識だと認識し、西洋建築史に取り組む。1970年代末に『建築行脚』に取り組む。90年代以降は日本建築に関心を抱く。
磯崎は自身の建築は、既存の作品を下敷きにして、断片的に引用した。ゴシック建築には興味はなかった。
歴史家・鈴木博之との視点の対比・対立について。
磯崎は前例から切断された革新性を評価し、鈴木は時代的な制約の中で連続性・オーソドックスの確立を重視した。歴史家と建築家の視点のすれ違いである。
●エフェメラルな永続性 磯崎新とロシア的なるものの交錯 ――本田晃子(岡山大学)
磯崎のロシアアバンギャルドの偏愛の話。
磯崎はモスクワに行った際に、メルニコフの自邸を探しに行ったが見つけられなかった。メルニコフ邸は外壁と木々に覆われていたから見つけられなかったのだろう。
メルニコフ邸はシリンダー状が二つあり、間に斜線を入れている。磯崎もまたグリッドの秩序に任せるのではなく、切込みを入れた。モダニズムからの逸脱である。
メルニコフやレオニドフなどロシアの建築は、磯崎がやろうとしていたことを先取りしてやっていた。レオニドフの「太陽の都」を見て、幾何学が崩れた。
ロシアの構成主義の建築の模倣はしていないのに、酷似していたと言及している。
磯崎はタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」を勧めている。
以上、先生方の発表は素晴らしいもので、もっと多くを発表されましたが、私の報告はほんの一部です。たいへんお粗末様でした。
(おだち れいこ)
●本日のお勧め作品は槇文彦と磯崎新です。
槇文彦
「日仏会館ポスタ-1」
1984
シルクスクリーン(刷り:久利屋グラフィック)
イメージサイズ:28.0x32.0 cm
P.P、サインあり
磯崎新
「栖 十二 挿画22コンスタンティン・メルニコフ[メルニコフ自邸]1927年 モスクワ」
1998
銅版(刷り:白井四子男)+作家による手彩色
イメージサイズ:15.0x10.0 cm
シートサイズ:28.5x38.0 cm
A版:手彩色・アルシュ紙 Ed.8(I/VIII~VIII/VIII)
B版:単色刷り・和紙(楮鳥の子) Ed.27(1/27~27/27)
サインあり
*ときの忘れものエディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
会期:2024年10月11日(金)~13日(日)
会場:代官山ヒルサイドプラザ
今年6月に亡くなられた建築家・槇文彦先生のメモリアル会が代官山ヒルサイドプラザで行われたので、参列して参りました。
槇文彦先生には、生前ときの忘れものにお越しいただいたことがあり、巨匠の訪問にお客様も驚き、皆さん遠巻きに見ていたことが懐かしい記憶です。

メモリアル会には、若かりし頃のお姿や奥様との写真パネル、遺品展示にはパスポートや几帳面に書かれた手書きのアドレス帳(レストランの電話番号など)、ライカのカメラとたくさんのレンズ、帽子、英語で書かれた手帳などがあり、お人柄がよく表れている素敵な私物でした。



別室には英語での講演会や多くの方から寄せられた写真やメッセージの映像コーナーがあり、ときの忘れものからも数枚お送りしたお写真が映りました。

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「磯崎新と西洋建築史」
会期:2024年10月13日(日)13時開場 13:30~17:00
会場:東京大学 工学部1号館15号会議室
主催:日本建築学会西洋建築史小委員会
共催:岡山県立大学デザイン学部岡北研究室
司会:伊藤喜彦(東京都立大学)
同時開催:「磯崎新の洋行スケッチ展」(東京大学 工学部1号館 15号講義室:KAJIMA HALLホワイエ)

東京大学で開催された「磯崎新と西洋建築史」の講義に参加してきました。
西洋建築史小委員会の学会の発表だそうで、募集とともに会場120席がすぐに満席になり、オンラインで聞けるようにするもすぐに人数制限に達したそうです。それだけ西洋建築史に関心があるのかというとそうではなく、私を含め、「磯崎新」という名前で申し込みをした方がほとんどだったとか。

13:30から始まり17:30まで4時間(休憩はわずか8分)、こんなに真面目に授業を受けたのは初めてというくらいみっちり発表を聞きました。
集中して聞きましたが、諸先生方の発表は私にとっては難しく、理解が追いついていないところも大いにありますがとっても勉強になりました。
僭越ながら、必死でメモした一部をみなさんに共有します(公開処刑)。
プログラムは以下の通り。
磯崎建築の位相 ジュオ・ロマーノからブルネッレスキへ ――稲川直樹(中部大学)
『磯崎新の建築談義』で語られたこと ――五十嵐太郎(東北大学大学院)
磯崎新の世紀末 『20世紀の現代建築を検証する』を検証する ――印牧岳彦(神奈川大学)
エフェメラルな永続性 磯崎新とロシア的なるものの交錯 ――本田晃子(岡山大学)
コメント(要点まとめ) 横手義洋(東京電機大学)
●磯崎建築の位相 ジュオ・ロマーノからブルネッレスキへ ――稲川直樹(中部大学)
磯崎新建築は10年ごとに(10年かけて)変化するという話でした。
50年代、磯崎は丹下健三の下、香川県庁舎や倉敷市庁舎を担当し、丹下建築を「空間性が稀薄で、皮と骨だけだ」と否定しているが、60年代の磯崎建築(旧大分県立大分図書館や大分県医師会館など)にはあきらかに丹下建築の影響が表れている。
また、中山邸は、菊竹清訓のスカイハウスやバウハウスを参照したと思う。
70年代、貝島邸では堀口捨巳の試みを追体験をしてるし、堀口捨巳の大島測候所の正方形の連続を参照し、群馬県立近代美術館や北九州市立美術館は平面構成に立方体格子の連結による設計手法を用いる。また、大島測候所の平面の屈折は、群馬のエントラスの屈折に見いだされる。
つくばセンタービルで変化が訪れ、幾何学的フォルマリズムから、装飾や歴史的言語の多用に傾いた。
80年代は今まで見たことのない建築を創作するも、それが歴史上の建築に共通や類似していると気付く。
●『磯崎新の建築談義』で語られたこと ――五十嵐太郎(東北大学大学院)
磯崎は全歴史的に見ていた極めて特異な建築家であった。
『建築行脚』と『建築談義』(『建築行脚』の廉価版)の話が中心。
『建築談義』に関わった五十嵐は、軽井沢に泊まりがけで3回訪問して磯崎にインタビューをした。磯崎は「待ってました」と言わんばかりに、堰を切ったようにインタビューに答えてくれた。
『建築行脚』は全12巻、篠山紀信の写真集『家』に感動したことがきっかけで、篠山に依頼し、いわゆる建築写真ではなく(三脚を立て、水平をとるとかではなく)、人物を撮るように撮影してと依頼したらしい。
『建築行脚』は、建築史で代表的な建築は選ばなかった。唯一、パルテノン神殿だけは選んだが、磯崎は時代のオモテではなく、ひねったものを選んだ。
――――
『建築行脚』
第1巻ナイルの祝祭 カルナック神殿
第2巻透明な秩序 アクロポリス
第3巻逸楽と憂愁のローマ ヴィラ・アドリアーナ
第4巻きらめく東方 サン・ヴィターレ聖堂
第5巻中世の光と石 ル・トロネ修道院
第6巻凍れる音楽 シャルトレ大聖堂
第7巻メディチ家の華 サン・ロレンツオ聖堂
第8巻マニエリスムの館 パラッツオ・デル・テ
第9巻バロックの真珠 フォンターネ聖堂
第10巻幻視の理想都市 ショーの製塩工場
第11巻貴紳の邸宅 サー・ジョン・ソーン美術館
第12巻ゆらめくアールデコ クライスラー・ビル
――――
●磯崎新の世紀末 『20世紀の現代建築を検証する』を検証する ――印牧岳彦(神奈川大学)
磯崎は1963年に初めて海外に行き、翌年に二川幸夫と都市を巡る。西洋建築史は必要な知識だと認識し、西洋建築史に取り組む。1970年代末に『建築行脚』に取り組む。90年代以降は日本建築に関心を抱く。
磯崎は自身の建築は、既存の作品を下敷きにして、断片的に引用した。ゴシック建築には興味はなかった。
歴史家・鈴木博之との視点の対比・対立について。
磯崎は前例から切断された革新性を評価し、鈴木は時代的な制約の中で連続性・オーソドックスの確立を重視した。歴史家と建築家の視点のすれ違いである。
●エフェメラルな永続性 磯崎新とロシア的なるものの交錯 ――本田晃子(岡山大学)
磯崎のロシアアバンギャルドの偏愛の話。
磯崎はモスクワに行った際に、メルニコフの自邸を探しに行ったが見つけられなかった。メルニコフ邸は外壁と木々に覆われていたから見つけられなかったのだろう。
メルニコフ邸はシリンダー状が二つあり、間に斜線を入れている。磯崎もまたグリッドの秩序に任せるのではなく、切込みを入れた。モダニズムからの逸脱である。
メルニコフやレオニドフなどロシアの建築は、磯崎がやろうとしていたことを先取りしてやっていた。レオニドフの「太陽の都」を見て、幾何学が崩れた。
ロシアの構成主義の建築の模倣はしていないのに、酷似していたと言及している。
磯崎はタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」を勧めている。
以上、先生方の発表は素晴らしいもので、もっと多くを発表されましたが、私の報告はほんの一部です。たいへんお粗末様でした。
(おだち れいこ)
●本日のお勧め作品は槇文彦と磯崎新です。
槇文彦 「日仏会館ポスタ-1」
1984
シルクスクリーン(刷り:久利屋グラフィック)
イメージサイズ:28.0x32.0 cm
P.P、サインあり
磯崎新「栖 十二 挿画22コンスタンティン・メルニコフ[メルニコフ自邸]1927年 モスクワ」
1998
銅版(刷り:白井四子男)+作家による手彩色
イメージサイズ:15.0x10.0 cm
シートサイズ:28.5x38.0 cm
A版:手彩色・アルシュ紙 Ed.8(I/VIII~VIII/VIII)
B版:単色刷り・和紙(楮鳥の子) Ed.27(1/27~27/27)
サインあり
*ときの忘れものエディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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