栗田秀法「現代版画の散歩道」

第14回 恩地孝四郎


恩地孝四郎 《Composition》 1953年 リトグラフ

 晩年の恩地孝四郎が、自身の芸術的探求の極致としてたどり着いた境地、それが、限られた色彩とシンプルな形態の中に、宇宙的な広がりと繊細な詩情を宿した抽象版画であったことはよく知られている。亡くなる2年前の1953年、稀なことに2点の大判の石版画、《Poème Winter》と本作品《Composition》を制作した。その作品の特色と意義はどんなところにあるのであろうか。

 この作品は、抽象的な構図で、主に黒、白、そして様々な濃淡のグレーで描かれている。画面中央を縦に走る太い線によって、作品は左右に大きく分かれているように見える。左側には、上部に黒い四角形が配置されており、その下には黒い太い線で縁取られた逆三角形が描かれている。三角形の右側の辺は中央の鉛直線に重なっており、その頂点は、画面下部にあるもう一つの黒い四角形と繋がっているように見える。これら幾何学的な図形の間には、柔らかな曲線を持つ白い有機的な形が大きく描かれている。逆三角形が上に重なっているものの、その輪郭線はほぼ何ものにも遮られることなく画面を横断し、前景化している。

 右側では、上部の黒い円が目を引く。その下には、細かい点描や擦れたような質感で描かれた部分があり、その上には縦方向のハッチング(線)が施されている区画がある。似たハッチングによる区画は画面左下にも配され、上辺が有機的な形態によって一部が隠された黒い方形がその上に置かれている。

 全体の印象としては、幾何学的な要素と有機的な要素が対比されながらも調和しているように感じられる。また、黒と白、そしてグレーの濃淡のコントラストが、作品に深みと視覚的な面白さを与えている。中央の鉛直線には複数の形象の辺が重なり、ピリッとした緊張感を画面に与えている。他方、画面左手上方の黒い区画の左辺の延長線は左下の黒の区画の左辺とは重ならず、画面右手の円形の下端の延長線は左手の逆三角形の上辺と重なるものの、その大きさが左手上方の矩形の上辺の延長線ほどまで到達するほどにはなっておらず、画面の右上と左下のハッチングの区画の端が斜めにギザギザしていることなどと相まって、秩序の中に不規則性が織り込まれている。また、幾何学的な構成と定規で引かれたような鋭い線と、手書きのフリーハンドな線と黒い区画に感じ取れる微妙なムラとの対比が画面に豊かさを与えている。面の重なりによりわずかな奥行き感、虚のイリュージョンが生じており、画面に揺らぎさえ感じ取れるのがこの作品の魅力の源泉である。画面右下の手書きの「composition」と「KO-92」の小さな文字も構図全体の押さえとして目立たないが大切な要素である。

 モノクロームで単純そうでありながらこのように豊かで複雑な画面を成立させることができたのは、当時の恩地が「実在版画」に集中していたことと関わっている。この実在版画は戦後間もない1948年頃から試みられたもので、型紙や布地、時には紙紐、木切れや木の葉を版として用いたブリコラージュ的かつモノタイプ的な版画で、「フォルム」「イマージュ」「リリック」「ポエム」「即興」などのタイトルが付された作品群が制作された。本作品のタイトルとなった「コンポジション」に関連しては、《コンポジション No.1》(1949)に触れたメモに「この題[コンポジション]を採る。つまり静物を組織化したものに宛てるつもり」という言葉が残されていることは注目される。手書きの縦線のハッチングの区画は、ピカソやブラックの総合的なキュビスム作品よろしく、布地のようなものが意識されているのかも知れない。同時にフロッタージュ(擦りだし)の効果も喚起されていることも興味深い。他方、恩地が実在版画の制作にあたって下図を準備していたことを思い起こすと、この版画はある意味で構想図案的な意味合いを持っているとも見なせるが、実在版画が少部数しか摺れない限界を克服し、より多数の刷り部数を確保すべく、「実在版画」思考を石版画に託したのかも知れない。実際は思うほどは売れなかったようであるが。インターネットで検索すると、恩地の署名とエディション番号のある本作品とは別エディションが10年ほど前の海外のオークションに出品されたことがわかる。他の恩地作品と同じように海外のコレクターにはいくらかは売れたのであろう。恩地の石版画はほとんど注目されることはなかったが、今回作品を細かく観察してみて、なかなか含蓄のある作品であることがわかった。本作品《Composition》は、単なる幾何学的抽象に留まらず、恩地が戦後追求した実在版画の構想と、素材との対話から生まれる偶発性を、より多くの人々に伝えるための試みであり、恩地版画の知られざる奥深さを示す貴重な証左と言えよう。

 参考文献:『恩地孝四郎展』(展覧会図録)東京国立近代美術館、和歌山県立近代美術館、2016年。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は8月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

恩地孝四郎 Koshiro ONCHI
1891年東京生まれ。竹久夢二に感化を受ける。東京美術学校で洋画・彫刻を学ぶが中退。藤森静雄・田中恭吉と[月映]を刊行。萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の装幀と挿画を担当、28年『北原白秋全集』の装幀で装本家の地位を確立。抽象画の先駆者、また日本の版画界のリーダーとして大きな足跡を残した。『飛行官能』『海の童話』『博物誌』『虫・魚・介』など優れた自作装画本を刊行した。1955年永逝(享年63)。
繊細でシャープな抽象作品の数々が、創作版画のみならず日本における抽象表現の先駆として高く評価されている恩地孝四郎ですが、94年に横浜美術館で開催された回顧展では、初期から晩期にいたる版画作品をはじめ、本の装幀、オブジェ、写真作品などが網羅され、この画家の才能がいかに時代に先駆けていたかを改めて再認識させるものでした。

 

◆追悼 細江英公展 は7月26日(土)までです。

「第379回 追悼・細江英公展」
Part 1=2025年7月4日(金)~7月12日(土)
Part 2=2025年7月16日(水)~7月26日(土)
11:00-19:00
※7月15日(火)に展示替え、日・月・祝日休廊

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info[at]tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。