テレビドラマの全盛時代を担った脚本家の向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったのは1981年8月22日でした。

向田 邦子( 1929年(昭和4年)11月28日 – 1981年(昭和56年)8月22日)
テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。
週刊誌のトップ屋時代は幸田 邦子名義で執筆していた。共同ペンネーム「葉村彰子」の一員でもある。
父親の転勤で全国を転々とするが、本人は鹿児島時代が文学の原点と語った。実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。
1980年短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に所収)で直木賞受賞。
1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。51歳没。
1997年(平成9年)、母校・実践女子大学(在学時は実践女子専門学校)に特殊文庫「向田邦子文庫」が設立。

『向田邦子・映画の手帖:二十代の編集後記より』
 向田邦子著、上野たま子、栗原敦編(徳間書店、1991年 )ISBN 4-19-890596-7

*画廊亭主敬白
なぜ画廊のブログで、一面識もない向田さんのことを書くのか。
(一昨日20日は宮脇愛子先生の命日、きょう22日は向田邦子さんの命日、偶然ですがお二人は顔が良く似てらっしゃった。)
このブログでよくニッパチのことを書きます。
冬の2月と、夏の8月は例年、売り上げが激減する。
実は44年前のこの日のことを鮮明に覚えているのは、前日(1981年8月21日)に渋谷にあった現代版画センターの事務所にある政治家(東北出身のIさん)の関係者が訪ねてこられました。
政治のこととは全く関係なく、私たちの扱っている版画作品の販売についてのご相談でした。夏はいつも売り上げが少なく苦労するので、ありがたい話でした。
「ちょっと明日から台湾に行くので、帰国したら具体的に詰めましょう」という話でした。
翌日の航空機墜落事故のニュースで、その方の同行者が向田邦子さんと知りました。

当時、現代版画センターは渋谷の桜ヶ丘に事務局と企画室、松濤に直営のギャラリー方寸をもっていました。
事故の翌々日から開催したのは「続・多様化する版表現」展
会期:1981年8月24日~9月2日
会場:ギャラリー方寸
出品:島州一、高松次郎、榎倉康二、木村光佑、河口龍夫、若江漢字、横尾忠則、他 でした。
ご紹介する島先生の作品も展示したはず。

島州一 Kuniichi SHIMA
「愛」
1974年
シルクスクリーン
30.0×28.0cm
Ed.100 
サインあり
*現代版画センターエディション

 

向田邦子さんの著書は亭主の愛読書で、今でも枕元に文庫本を積んでときどき読みふけっています。

8月24日(日)~9月1日(月)は夏季休廊いたします。誠に勝手ながらメール等のお問い合わせには9月2日以降に対応しますのでご了承ください。

生誕120年 難波田龍起展

2025年9月3日(水)~9月20日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊 
ギャラリートーク
9月13日(土)16時~17時半
対談:難波田武男さん(龍起三男)×福士理さん(東京オペラシティ アートギャラリー シニア・キュレーター)
要予約(予約はこちらから)、参加費1,000円

●お詫び
本日8月22日は、今村創平の連載エッセイ「建築家の版画」の掲載日ですが(毎月22日の更新)、私ども(ときの忘れもの)の都合で8月は休載とさせていただきます。筆者の今村創平先生と読者の皆さんにはお詫び申し上げます。
次回は9月22日に掲載予定です。
今村先生だけではなく他の連載も同様で、一~二ヶ月ほど休載させていただきます。
先日少しご報告しましたが、ホームページを全面的に改変し、連動してブログその他も全く今までとは異なるサイトでの公開作業にかかっています。
思ったより手間で、いまだに道半ばというところで、スタッフも喘ぎながら作業を進めています。
ご理解のほどお願い申し上げます。 

●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。