栗田秀法「現代版画の散歩道」

第17回 百瀬寿

《Square – Limelight》 1975年 シルクスクリーン

「グラデーションは理想です。希望です。」(百瀬寿)

本作品《Square – Limelight》は、グラデーションの美術家・百瀬寿が作風確立期の1975年にシルクスクリーンの技法で制作したものである。わずか数色の顔料でいかに豊かな光の表現が可能かを教えてくれる百瀬の創作原理を図解したような作品でもある。減法混色の印象派といっては言い過ぎであろうか。

その抽象的な正方形の画面は、三原色を基調とした三つの色彩の帯で成り立っている。その構成の骨格は、上下の短辺と長辺の比率が1:2の直角台形が画面の両端に左右で上下反転されて配されていることにある。これにより、直角台形に挟まれた中央の空間が自然と斜めに走る帯の形を形成しており、濃色の領域(マゼンタ系とシアン系)がこの傾斜の左右に配置されている。よく見ると、画面左手の直角台形の長編は画面右手のものより短く、それによって中央の帯の上辺は下辺よりやや短くなっており、わずかながら帯が狭まって見えることから奥行き感が感じられる。

色彩は、主にイエロー(Y)、マゼンタ(M)、シアン(C)の三原色系統の顔料インクが、極めて高い透明度をもって多層的に刷り重ねられている。画面左側ではマゼンタ系顔料とイエロー系顔料の重なりにより鮮やかなオレンジ色が生じ、右側ではシアン系顔料とイエロー系顔料の重なりによりグリーン色への移行が見られる。支持体である和紙の色は温かみのあるアイボリー色であるが、その上にアイボリーの顔料が透明度の高い状態で上刷りされていると推察される。中央部は、このアイボリー層に透明度の高いイエローの顔料が薄く重ねられた領域である。減法混色の原理に基づき、オレンジとグリーンはやや濁った感じだが、その対比において中央のイエローの区画がライムライト色に光り輝いているように見える。

作品の最大の特質は、インクの濃度や透明度を徹底的に制御した二方向のグラデーション(暈し)表現と、境界を消し去るための複雑な重ね刷りにある。水平方向の「ぼかし」のメカニズムについていえば、画面に見られる境界の曖昧な「ぼかし」の効果は、高度な重ね刷りによって達成されていることがわかる。マゼンタやシアンなどの濃色顔料が刷られた後、そのエッジ部分に、アイボリーの顔料がグラデーションを付けて重ねられることで、濃色インクの境界線が光学的に消し去られ、顔料が空間に溶け込むかのような滑らかな移行と融合が実現されている。対して、垂直方向のグラデーションはというと、イエローの顔料は、画面の下端から画面の上から三分の一程度の位置までにかけて、徐々に濃度が薄くなるように縦方向のグラデーションで刷られている。

Square – Limelight》は、作家の緻密な計算と高度な印刷技術により、物理的な顔料を、観者の知覚の中で純粋な「光」として機能させることに成功した作品である。特に、中央のイエローとアイボリーの領域は、周囲の濃い色彩と精緻な「ぼかし」の技術によって、画面の奥深くから自発的に発光しているかのような効果を生み出している。この作品は、幾何学的な斜めの構図、複数の顔料層を用いた複雑な重ね刷り、そしてグラデーションの制御を組み合わせることで、百瀬寿独自の、朦漠でありながら力強い抽象的な光の表現を確立している。

百瀬は1980年頃までに制作手法を確立し、その後は大型のシルクスクリーン作品やインクジェットの先駆をなすNECOプリントによるタブロー作品に取り組んだ。1985年頃からは、顔料に和紙やネパール紙を重ねることでグラデーションを生み出す作品にも取り組んだ。それでは、なぜ百瀬はここまでグラデーションにこだわるのか。それを示す言葉が残されているので、紹介しておこう。21世紀も四半世紀を過ぎ、分断の時代の到来とともにその言葉はますますその意義が増しているのは残念でもあるのだが。

「美しいグラデーションが全人類の理想的な有様、例えば、人の肌、言語、宗教、国家、イデオロギーなどの理想的な形態を提示できるのではないかと考えるからです。」(『季刊 版画館』21号、1988年)

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は新春2026年1月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

百瀬寿 Hisashi MOMOSE
1944年北海道・札幌市生まれ。北海道教育大学旭川分校卒業、岩手大学専攻科修了。シルクスクリーンやネコ・プリントの技法によって、美しい色彩の版画作品を手がける。80年代以降、和紙や箔などを用いた平面作品を制作、色彩のうつろう鮮やかな絵画世界を確立。オレンジからグリーンへ、イエローからピンクへなどグラデーションによる作品構成が特徴である。
作品は神奈川県立近代美術館やスコットランド王立美術館など、国内外の多数の近代美術館に収蔵されている。また2007年に東京ミッドタウンに設置されたパブリックアートワークも話題となった。

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特集展示「磯崎新 版画展」
会期:2025年1224日(水)―12月27日(土) 11:00-19:00
ときの忘れものでは4日間の短い会期ですが、磯崎新の版画を特集展示します。
私たちが版元に名乗りを上げ(現代版画センター)、神楽坂時代の磯崎アトリエを初めて訪ねたのは1976年でした。第一作の〈ヴィッラ〉シリーズ及び大作《空洞としての美術館》の誕生は1977年です。
以来、40数年にわたり版元として、磯崎版画の誕生に立ち会ってきました。
現代版画センターおよびときの忘れもののエディションだけで250点(種類)を超します。
本展では、シルクスクリーンや銅版画、木版画、ポスターなどをご覧いただきます。

磯崎新
《影1》
1999年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35
サインあり
※「磯崎新版画集 影」(ティーム・ディズニー・ビルディング)の中の1点。
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●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。photo (2)