「MORIOKA第一画廊 1975年11月28日~12月7日 国際視覚詩展 高橋昭八郎」について
中村惠一
昨日はありがとうございました。楽しい機会でした。また今回の資料、大変貴重ですね。まさにN39の活動から大宮さん、伊藤さん、高橋さんがカフェ・モンタンでの高橋さんや清水さんの視覚詩の展覧がだぶる展覧会です。噂には聞いていましたし、『あ・いの国』は高橋昭八郎展の際に高橋さんから組み立てていない印刷物を預かり、折り込みを企画したメンバーが行ったりもしました。盛岡第一画廊でのこの展覧会は話には聞いておりましたが、資料も少なくて今回のメモなどは大変貴重です。
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昭和50(1975)年11月28日から12月7日まで盛岡第一画廊で開催された「国際視覚詩展」は高橋さんから聞いておりましたが、詳しい資料を見たことはありませんでした。出品作家、作品名の一覧はとても貴重だと思います。出品作家を見ると高橋昭八郎さんや清水俊彦さんが、「VOU」を通じて交流し、結果として欧米で開催された多くの視覚詩に関係する展覧会に参加し、その参加者を招待したのだろうなと想像しました。この段階ですでにハンブルクのクラウス・ペーター・デンカーさんとの交流があったのだなと驚きました。デンカーさんとはセルビアで発行されていた視覚詩とメールアートの紹介を主に行っていた雑誌『SIGNAL』で私は知り合いましたが、高橋さん、清水さん、藤富さんはすでに知り合われていたんですね。
1977年からドイツとオーストリアで開催された「日本ヴィジュアルポエム展」の企画説明のためにデンカーさんは来日されました。会場となったドイツ文化会館には高橋さん、伊藤さん、藤富さんもおられ、私は画家の松本旻さんと参加し、会場で日本の視覚詩人に初めて出会ったのでした。1999年北上市の日本現代詩歌文学館において「詩を視るー日独ヴィジュアル・ポエトリィ展」が開催されました。デンカー教授やオーストリアのリンシンガー教授が来日されたこの展覧会で清水俊彦さん、塩見允枝子さんと初めてお会いしました。新幹線が遅れたために東京からのパフォーマンス参加者が間に合わず,急遽私もフルクサスのスコアーを演じることになり、塩見さんとリハーサルを行ったのも得がたい機会になりました。高橋さんからは私が企画する視覚詩展が開催される際には大宮さんと連絡をとってみて欲しいと依頼を受けながら、その機会がないままになってしまいました。新聞の記事を読みながら、大宮さんの論点の鋭いのが理解でき、ご一緒できなかったのを悔しく思いました。現在、当時のような視覚詩に関する大きな動きはなくなっています。少し寂しいです。盛岡で先鋭的な活動を行った「N39」の活動もたどってみたいと改めて感じました。
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高橋昭八郎

















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