栗田秀法「現代版画の散歩道」

第8回 倉俣史朗


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倉俣史朗《無極Ⅱ》

 一体、これは倉俣史朗の作品なのだろうか。人物が重々しく倒れ込んでいる様子が一瞬の閃光が空間に焼き付けられた残像のようにとらえられている。引力からの解放、浮遊感といった言葉が代名詞のこのデザイナーから生まれたものとは一瞥では到底思えず、圧倒的な衝撃ともに言葉を失ってしまう。そのためもあってか、この作品が突っ込んで語られることはほとんどなかった。何が語りうるのか、まずは作品とじっくり向き合うことにしよう。

 階段の踊り場から筋骨隆々としたサイボーグのような男性が前方に倒れ込んでいる。右手は階段の上部をつかもうとしているのだろうか、上から1段目に置かれた左腕とともに、身体が転がり落ちるのを必死に押しとどめているように見える。階段の中央には強い光の帯が当たり、段差が見えなくなっている。およそ現実にはあり得ないようなシュールな光景が提示されている。金地のこの作品と対をなす銀地の《無極I》もこれに劣らず不可思議な作品だ。階段の上部にやはり裸体の男性がこちらは仰向きに倒れており、両手を伸ばして救いを求めているようでもある。

 大判オフセットのこれら両作品には「無極」というタイトルが付され、1979年の第11回東京国際版画ビエンナーレに出品された。結果として最終回となったこのビエンナーレでは、釘を和紙に漉き込んだ河口龍夫の《関係―質》や榎倉康二の《一つのしみ No.4》など、版画の定義を再考させる問題作も出品されたことで注目されてきた。東京国際版画ビエンナーレでは、戦後の美術界の動向に呼応して、版画における抽象表現の可能性を追求した作品が高い評価を得てきた。野田哲也が国際大賞を受賞した1968年の第6回展辺りから写真を版表現に積極的に活用する作品に注目が集まり、1974年の第9回展では木村秀樹が、1976年の第10回展では斎藤智が高評価を得たことはよく知られている。現代版画は、写真を援用することで、知覚や認識とイメージ、記憶とイメージの関係等を問い直す実験的な場となっていたのである。

 倉俣の作品も、実際に現場で撮影した写真を加工したのか、あるいは既存のイメージを合成したのかが判然としないなど、ある種の実験性をはらんでいることは注目される。《無極Ⅰ》の人物は走り高跳びの背面飛びでバーを越える姿勢のようでもあり、《無極Ⅱ》の人物はベリーロールでバーを越えたような姿勢にも見えなくはないからである。他方、代表作《硝子の椅子》が出品されたグループ展「見えることの構造 6人の目」(西武美術館、1977年)図録の倉俣のセクションにおける「倉俣史朗による倉俣史朗」に収められたネガのベタ焼きのコマに見いだされる裸の舞踏家の特異なポーズを収めた写真などから採られた可能性もあり、そうなると生前交流のあったとされる舞踏家・田中泯の名も当然浮かんでこよう。いずれにせよ、両作品の人物からは何かしらの不安定感が感じられる。

 ところで、タイトルの「無極」とは何を意味しているのであろうか。無上至極や果てのないことを示しているのであろうか。作品からの印象からは、磁極がないことを示しているように思われ、羅針盤が働かない五里霧中の状況を暗示しているのかもしれない。ただし、倉俣は後年、「空間の中間に位置する時の解放感は一種の反重力の中での精神的浮遊感のせいではなかろうか」と述べており、倉俣のデザインにおける特徴、透明性、浮遊感、軽やかさなどが意図的に破壊されているようにも見え、われわれを当惑させる。実際「倉俣史朗のデザイン―記憶の中の小宇宙」展(2023-2024)では「言語化された自分と暗中模索」のセクションに本作品は位置づけられていた。

 当時倉俣はデザイナーとして用や機能を意識しつつも、それを超えたデザインを追い求めていた。デザイナーの領分を離れた版画制作という自由な表現の場を与えられた倉俣が、40代半ばを迎え、仕事が軌道に乗りつつも不安を抱えた自身の当時の逡巡ぶりが本作品には反映されているのか否か、その謎は永遠に解き明かされることはないのだろう。その後倉俣は、1981年にイタリアのエットレ・ソットサスの誘いでデザイン運動「メンフィス」に参加して以降、吹っ切れたようにデザイン活動に突き進み、《ミス・ブランチ》(1988)に結実していったことは周知のとおりである。ともあれ、一見して倉俣の作品らしさを感じさせない本作品は、異色ながらも、遅れてきた倉俣の青春の苦悩の一ページとして、記憶に深く刻まれることになるに違いない。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2025年1月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
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《How High the Moon》
1986年デザイン(2020年製造)
素材:スチール・エキスバンド・メタル
仕様:ニッケル・サテン・メッキ
サイズ:W95.5×D82.5×H69.5(SH33.0)cm
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◆「生誕90年 倉俣史朗展 Cahier
会期=2024年12月13日(金)~12月28日(土) ※日・月・祝日休廊
出品全作品の詳細は12月9日ブログに掲載しました。
75_Kuramata Shiro_案内状 表面
(映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也)
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●パリのポンピドゥー・センターで開催されているシュルレアリスム展にはときの忘れものも協力し瀧口修造のデカルコマニーを貸し出し出品しています。カタログ『SURREALISME』の仏語版は完売し、現在は英語版を発売しています。ご注文の方はメール(info@tokinowasuremono.com)または電話(03-6902-9530)でお問合せください。
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