杣木浩一のエッセイ「宮脇愛子さんとの出会い」

第6回 制作の起源 後編

原因5「黒への幻想」宮脇愛子(2003) illusion ~ vision
黒のラッカー塗装(1977)から始まった。成田と造形大学の山を削った風通しの悪い絵画棟裏で作業した。moistureのなか圧縮ポンプでの吹き付け塗装では、いつもmoistureが塗り肌に悪さをしたが運よく課題作品は滑らかな塗り肌に仕上がった。

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【fig .15,無題.2002 赤青黄の重層色 各21x21cm. acrylic、帆布、合板】

成田は6月梅雨入り前の5月の晴れ間を狙って吹き付け塗装に賭けたのだ。実習時はいつも晴れていた。4月から作業を初めて、ベニヤ合板の切削組み上げ、ただちにラッカーパテ付け水研ぎ、サーフェーサー中塗り研磨後、ラッカー「黒」仕上げ塗りにてフィニッシュだから、2か月に満たないかなりハイピッチな工程だったわけだ。成田の指示した色が「黒」だったことは重要だ。「黒」はその後の杣木のあらゆる表面色のillusionの帰結だから。

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【fig.16.無題.1993 GalleryαМ.140x420x70cm.urethan研磨、合板】

2002年には宮脇愛子との展覧会において奇しくも『黒への幻想』という題名をいただいた。すでに田園調布のRoot Gallery個展(1986)の折りには、宮脇愛子から「杣木君、黒い作品を続けなさい!」と進言されていたのだ。

1992年ころだったか、画家の櫻井美智子に誘われた『ゲーテ自然科学』研究会ではゲーテ『色彩論』の翻訳を進めていて幾度かのぞいたことがあり、ゲーテの説く色彩現象にふれる機会をえた。造形大の聴講同期生、川上陽子知人のシュタイナー翻訳を通して予備知識はあった。

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【fig.17.1991無題 黒urethan白cashew研磨、合板】

主催者の粂川麻里生がウィトゲンシュタイン死の直前の350の断章『色彩についての考察』を訳出していて、色相環の幾何学からごっそり漏れてしまう、モノの色と人間知覚の拾い上げは、概念上のではなく、モノの色の状態に根差した具体的な考察であった。ふだん経験する絵画illusionやガラスや鏡をふくむ色の状態に目を向けた断章であった。

色とツヤあり、つや消し、Gold、赤、緑、透明などなどへの言及、これは杣木が日常使うurethan塗料に直結した。

以下に若干、抜粋すると、
(143). 「透明な」は「鏡面となる」と比較できる。
(150). 透明さと鏡面性は視覚像の深層にのみ存在する。
(152). 光沢のある黒とつや消しの黒はちがう色名を持つことも有りえたのではないか?
(159). 滑らかな白い面には、物が「映る」ことを思い出せ。その鏡像はその面の背後にあるように見え、「ある」意味ではその平面を通して見えていることになる。
(237). 人は「黒い鏡」という。しかし、それにものが映ったとき、暗くはなろうが黒くはならず、この鏡の「黒」は色を「くすませ」もしないだろう。

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【fig.18,19.無題.白J2Gallery1992. cashew ,合板.140x270cmⓒ高橋淳子】

原因6 三つどもえ、のIllusion
数少ないが魅了された、いくつかのillusionに出会ってきた。重なり沈む色相の櫻井英嘉(1935~1999)、照り輝く色相のマクラッケン(1934~2011)、線消滅のOtto Boll(1952~)、超楕円、超双極面体の初期Isa Genzken(1948~)。それらの作家の試行はいずれも自分の模索に解と展開をもたらした。これらIllusionは複合しうるか、単一か、パラレルか?そのジレンマのはざまで製作していた。例えば成田始原の「曲面」自体がすでにillusionであり、櫻井英嘉系絵画illusionとは相容れない。異なる次元の二つの工程の組み合わせによって【曲面帆布貼りこみ/原色順列吹き付け積層】を考案した。

illusionの変遷史。
■(1976~1978)【ラッカー吹き付け塗装】

■(1979)卒制作品のillusion
170x170cm反り孕み反転曲面パネル、
水性アクリルメディウム刷毛塗砥ぎあげ銀箔粉擦りこみ仕上げ
木炭デッサンの炭粉にも比する弱定着性であった。
※これは櫻井英嘉個展、藍画廊(1978)における黒鉛仕上げのillusionに感化されたことによる。

■(1979~)【金属箔/粒粉、のもつ色あいへ】
(1978~)後期から【色相環】からまったく外れた【金属色】の含む【渋さ】や【輝き】の要素に魅せられ、塗りと研ぎの反復工程によって色合いを引き出した。金属は重く沈むので水性acrylicmediumに溶解せず、たえず攪拌しつつ塗布した。

■水性アクリルメディウム刷毛塗+金属粉水研ぎ仕上げへ
(1979、真和画廊)銅粒粉
(1980ルナミ画廊)鉄粒粉
(1980ギャラリー山口)【fig.12,13】亜鉛箔粉
(1982銀座絵画館)鉛箔粉

■(1984~)【ウレタン塗料】
金属箔粉とならんで【ウレタン塗料】のもつ「色=物」感に魅せられた。1984年を転機に、1977年来の成田克彦から習った【1液性ラッカー塗料】をやめて、後輩で額製造㈱古径の豊崎洋二から教示された【2液性ウレタン塗料】へ変えた。これは1/10硬化剤を加えるひと手間あるが、より強い被膜が得られた。〈Glass Art Akasaka〉設計:磯崎新(1984)では黒鏡面が基調だった。

■(1997Gallery宏地)
色彩のLiteralな透明性へ。
成田夫人から提供してもらった極厚帆布に石灰ヘラ付け研ぎ出し下地、透明アクリル+cadmium red刷毛塗り水研ぎ積層仕上げ

■(2000)川崎IBM市民文化Gallery、GalleryQ、【fig.14】GalleryINOS、
Pigment三原色→赤、青、黄の順列噴霧塗布
Pigment二次色→橙、緑、緑の順列噴霧塗布

■絵画の色illusion6態 ①~⑥
杣木は、成田克彦の薫陶色濃い、トポロジカルな支持体の上に「重層色」系と「研磨色」系とが乗る形で2系のillusion表現をほぼ交互平行して発表してきた。すなわち、成田系の支持体【fig.11】の上に乗る、櫻井英嘉系色彩重層性と【fig.20】、マクラッケン系の研磨色【fig.21】の2つの表層表現を平行するスタンスである。おもに、この3系のはざまで杣木の表現をつづけている。加えるに最近は、80年代に無意識裡に手のみが作動した傍系パネル群の空間設置と塗装の解法をさがしている。                     2024年8月に〈ときの忘れもの〉エントランス正面壁に設置した、7点組の斜行する赤い矩形は、まさに傍系パネル群がこの空間において解を得たのだった。

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【fig.30無題2024.〈ときの忘れもの〉】

成田のトポロジカル表裏連続体illusionはルチオ・フォンタナの「画面の裏闇」への一刀切り込みillusionに通底しているし、しいては宮脇愛子絵画のリテラルな光と陰影に親近している。

■杣木作品における
色層 2態      研磨色としての ②マクラッケン系
           重層色としての ①櫻井英嘉系   

Canvas support 3態  基層としての ⑥成田克彦系 
           遠因としての ③フォンタナ
           echoとしての ④宮脇愛子

17才で観たフォンタナの《空間概念》にみる画面の向こうへと空間を切り裂く弧線は、絵画範疇に成る妙態だが、これは、成田克彦の表裏連続態illusion『ペタル』(1975) とも類縁にあろう。延いては同系の杣木の木工パネルにおける、反り、むくり、切断、の操作にも遠くこだましている。

■作品画像で参照してみると
① 【fig.20 櫻井英嘉 無題blue/yellow, acrylic on cotton 1991】順列する原色重層illusion
② 【fig.21 John McCracken, Lavender box, polyester resin on fiberglass and plywood1969】濃いツルツルのillusion 
③ 【fig.22 フォンタナ 空間概念1968】切り込む闇の露呈illusion
④ 【fig.23 宮脇愛子Work 1961】 literalな光を掬うillusion
⑤ 【fig.24 杣木浩一 無題2002】たわみ+重層色のillusion【fig.25 杣木浩一 無題 1987】たわみと切断+研磨色の illusion
⑥ 【fig.26 成田克彦The petal 1975】表裏連続体トポロジカルillusion

キャプチャ            

テスト2
【fig.22】          【fig.26】           【fig.23】

■成田克彦、作品のトポロジー空間
『petal』(1975)シリーズは「メビウスの輪」を扁平にした幾何形そのものである。【fig.26,the petal成田克彦】まだ、このころは80年代『Shade』(1982~87)シリーズのような兎毛、リボン,描画などが纏わりつかない白く柔らかい幾何形体である。敢えていえば『the petal/葉っぱ』という奇妙なタイトルが付着している。作家自らが申告する象徴言語に拘泥すると作品構造を見逃がすが、そうかと言って、とくに『the petal』以降『Wondering form』(1979)とりわけ兎毛付きの成田克彦作品(1980~89)では、そのタイトルすら成田の多義的な仕掛けに一枚嚙んでいる。晩年の『Shade一遍上人絵伝』(1985)『生命樹』(1989)では成田の観想宇宙を呈するに至った。

※付記、前田信明の証言には驚いた。忘れていたが(1980)前田は成田とともに本郷の(株)ニッソーの杣木の宿舎に来たことがあるという。

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【fig.27 McCracken’s studio Los Angeles 1988】

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【fig.28 画家, McCracken夫人, John McCracken,佐竹英一,杣木浩一,上田雄三,青野智子】

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【fig.29 作品の前で】

1988年マクラッケンとの出会いは偶然に訪れた。ロサンゼルス、LA Art coreで四人展のおり、日本に滞在したこともある画家が観客の中にいて、彼の絵画は研ぎ出しであったが、マクラッケンの知人でもあったのだ。杣木の黒い鏡面作品を見ていた彼から「マクラッケンを知っていますか?」と声掛けがあった。1979年に康画廊で、ある一点の小品に釘付けになった。作者は「マクラッケンだよ。」と成田克彦から教えてもらっていただけで、杣木の中ではマクラッケン作品へ思いが募っていたころでもあった。4月20日、願ってもなくマクラッケンのスタジオを案内してもらえた。マクラッケンは図録テキストに署名してくれた。

urethan塗料をはじめて用いた1984年は、まだ表面表現の模索の過中で、urethan塗料に対して少しずつ確信をつかみかけた時期であった。LA Art coreのリディア竹下はマクラッケンを評して「彼はとてもゆっくりとした歩みの人です。」と語った。

(そまき こういち)

 

杣木浩一(そまき こういち)
1952年新潟県に生まれる。1979年東京造形大学絵画専攻卒業。1981年に東京造形大学聴講生として成田克彦に学び、1981~2014年に宮脇愛子アトリエ。2002~2005年東京造形大学非常勤講師。
1979年真和画廊(東京)での初個展から、1993年ギャラリーaM(東京)、2000年川崎IBM市民文化ギャラリー(神奈川)、2015年ベイスギャラリー(東京)など、現在までに20以上の個展を開催。
主なグループ展に2001年より現在まで定期開催中の「ABST」展、1980年「第13回日本国際美術展」(東京)、1985年「第3回釜山ビエンナーレ」(韓国)、1991年川崎市市民ミュージアム「色相の詩学」展(神奈川)、2003年カスヤの森現代美術館「宮脇愛子と若手アーチストたち」展(神奈川)、2018年池田記念美術館「八色の森の美術」展(新潟)、2024年「杣木浩一×宮脇愛子展」(ときの忘れもの)など。
制作依頼、収蔵は1984年 グラスアート赤坂、1986年 韓国々立現代美術館、2002 年グランボア千葉ウィングアリーナ、2013年B-tech Japan Bosendorfer他多数。

・杣木浩一のエッセイ「宮脇愛子さんとの出会い」次回は2月8日の更新を予定しています。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は、磯崎新です。
isozaki_w051_kiri1「霧 1」
1999年
シルクスクリーン
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35
サインあり
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●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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杣木浩一作品