「刷り師・石田了一の仕事」

第9回「錆・サビ・寂」


 彫刻家・脇田愛二郎さん(1942-2006)のお住まいであった原宿のビラ・セレーナ(設計・坂倉準三建築研究所)に伺ったのは1972年。当時、レナウンの本社が近くにあった。
 粋なリビングルームの一角に、倉俣史朗さんの『変形の家具』が異彩を放ち、ぽつんと美しく立っていた。

 脇田さんは、鉛のワイヤーを使って作品を作り続けていたとかで、鉛中毒で体調が思わしくないとこぼしていた。
70年代前半、街では有鉛ガソリンのクルマが排気ガスをまき散らして走っていた時代
でもある。

 その鉛のワイヤーを巻いた彫刻作品の写真が基となっているので、一般に写真でよく
使われていた「網点スクリーン」ではなく、線の太さで濃淡を表す「万線スクリーン」を使った製版にした。

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1972年 Continuation-4 2版2色2度刷り636×636㎜

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のせている図版を少しずらして、色の響き合いの変化、
視覚的効果を狙った1982年の作品。(2版3色3度刷り350㎜角)
同じ仕上がりのものを100枚仕上げるには、
当然、紙の位置合わせ(見当)の厳しさが要求される。

ズレで表現しているのだけれど、
ズレが同じ様にズレていないといけない。
ズレズレでは1枚1枚違った発色のモノになってしまう。

この頃、艶消しインクにも蒸発乾燥型と乾きの遅い酸化重合型
があった。
油絵具と同じタイプの酸化重合型は、濃い地色の上に明色を
際立たせるには向いていた。
乾燥が遅いというのはインクに急かされることなく
落ち着いて刷りの作業が出来ることでもある。
ただ、空気(酸素)に触れて固まっていくので、長期保存が
難しい。段々、かさぶたが成長するよう硬化してしまう。

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5版6色6度刷り *部分(259×224㎜)
1985年 辻井喬+脇田愛二郎の詩画集「錆」TIME OF RUST
の出版に併せて、錆びた金属板をシルクスクリーンの刷りで
紙に表現した。
鉄板を紙に憑依させるには、やはりメディウム(透明インク)
という媒体の助けが必要となってくる。
インクの濃度、色味を調合し、刷り重ねてサビを植えてゆく。


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1985年 8版9色9度刷り (350×311㎜)


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1985年 8版9色10度刷り (345×298㎜)


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1988年 6版7色7度刷り (518×450㎜)


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1988年 6版8色9度刷り (518×450㎜)


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これらの作品と同じ1988年から乗り続けている
私のPIAZZAのエンジンルームから掻き出された錆。
サビというよりはDust of Time  
取り置きのコップには2012年とある。
ついこの間のような気がしていたが、採取からもう13年。

寂(さび)の旅はまだまだ続く。

(いしだりょういち)

■石田了一(いしだりょういち)
シルクスクリーン刷り師・石田了一工房主宰
1947年北海道根室生まれ、1970 年美學校で岡部徳三氏に師事。
1971年、宇佐美圭司展(南画廊)で発表された<ボカシの 40 版>の版画で
工房をスタート。これまでにアンディ・ウォーホル、安藤忠雄、磯崎新、
草間彌生、熊谷守一、倉俣史朗、桑山忠明、五味太郎、 菅井汲、関根伸夫、
田名網敬一、寺山修司、鶴田一郎、萩原朔美、
毛綱毅曠、元永定正、脇田愛二郎、脇田和 他 ,
様々なジャンルのアーティストのシルクスクリーン作品を手掛ける。

●連載「刷り師・石田了一の仕事」は毎月3日の更新です。
次回は3月3日を予定しています。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
4-06 (3)《倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 4》
A版 シルクスクリーン 10点組/
B版 《68.ミス ブランチ(1988)》入り11点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 2024年
技法 シルクスクリーン
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
発行 ときの忘れもの
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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