王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥第38回」

横浜美術館「おかえり、ヨコハマ」展を訪れて


横浜美術館リニューアルオープン記念展「おかえり、ヨコハマ」(会期:2025年2月8日~6月2日)を訪問した。

1.横浜美術館の改修
 横浜美術館は、丹下健三・都市・建築設計研究所によって1989年に臨海開発地区「みなとみらい21」の横浜博覧会(YES’89)会場中央部に建てられた。地方博は、1981年に神戸市の人工島で開催された神戸ポートピア博前後から試みられ、博覧会開催と同時に、計画地の経済投資、インフラ(交通路、設備)や外構(広場、植栽、ストリートファニチャーなど)の整備などの開発が行われ、博覧会閉会後の街づくりに結びついていた。みなとみらいも例外ではなく、横浜博覧会のパビリオンであり同時に恒久的な開かれた施設である美術館は、博覧会閉会後に開発されていく地区をリードするシンボルでもあった(*1)。美術館の中央にある半円型の高層棟は主として収蔵庫であり、1989年当時、最上階の展望ギャラリーから、フェスティバル通り(博覧会の軸線だった)と臨港パーク方向が見渡せた。

 2021年10月~23年11月、TANGE建築都市設計による改修工事で、自然光の入るグランドギャラリーの再生、美術図書室の移設(2階から1階へ)、ギャラリー9の新設(半屋外の列柱空間ポルティコの一部をガラスで囲い室内化)、ギャラリー8とプロジェクトスペースの整備、エレベーターの増設などが行われた。ギャラリー7と8には屋外からもぎりを通らずに入ることができる。
 改修工事と同時期、美術館職員の調査により30年以上前の「横浜美術館開館関連資料」が掘り起こされた。そして、当時の横浜市と丹下健三・都市・建築設計研究所の設計思想が紐解かれ、グランドギャラリー、展示室フロアの回廊、休憩コーナーなどの空間のポテンシャルを引き出すことに繋がっていったようだ。筆者は、市民に親しまれるパブリック施設は、(ハードよりも)ソフトから、と常々感じている。建築の多くは祝福されて生まれるが、そこに込められた自治体の準備室と設計者の想いは時が経つと薄れていく。永く大切にされている公共施設は、地域の利用者と「中の人」によって育まれているものだ。まさに横浜美術館のように。
 乾久美子氏、菊地敦己氏によるインテリアとグラフィックデザインを用いた「空間構築」は2024年11月に実現し、可動の家具がグランドギャラリーやポルティコに配置された。これらインテリアの色は、一見固く冷たい印象の御影石から、ピンクから茶色に至る各色を抽出したものである。「じゆうエリア」を訪れる人たちの表情、アフォーダンス(歩き回る、昇降する、集まる…)を見ると効果は明らかで、家具が空間の質を和らげることに成功している。特にグランドギャラリーの南北の階段の「プラザ」(小広場)の形である正円と三角を可視化したことは、幾何学形態を多用した建築を読み解いたインテリアとグラフィックの協業(*2)として興味深かった。

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グランドギャラリー

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2.横浜美術館の写真コレクション
 横浜美術館のコレクションの特徴に「開港期から現代までの充実した写真コレクション」がある。開館以前からある収集方針に「近代美術の一分野としての写真の代表作品」とあり、現在のギャラリー7は当初「写真展示室」として設計されていた。現在、1万4000点を超える所蔵作品のうち写真は4000点を超えている(*3)。下岡蓮杖が野毛に初めての商業写真館を開くなど、横浜が写真文化発祥の地であること(*4)や、美術館がコレクション形成で重点をおいていたダダとシュルレアリスムに写真表現が多いことも関係しているのだろう。写真コレクションが充実している特徴は展覧会にも表れている。

 6章「あぶない、みなと」では、戦後から朝鮮戦争期の横浜の状況を撮った奥村泰宏、新収蔵の奈良原一高、米軍基地、大学闘争、中国残留孤児などをテーマにした浜口タカシらの作品が展示されている。中でも、常盤とよ子の女性の職業を主題にした『危険な毒花』シリーズは、館蔵作品と横浜都市発展記念館の所蔵作品がともに展示され、市内ネットワークを活かしたシリーズの補完がされた。カメラに視線を向ける遊郭の女性たちを隠し撮りする距離感、女性だけが診療所を訪れる検診日、女子プロレスという興業などの違和感が捉えられている。

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6章「あぶない、みなと」常盤とよ子作品展示風景

 7章「美術館が、ひらく」では、原田正路の「横浜」シリーズから4点が展示されている。真四角のフィルムに収められた整った構図の写真で、被写体はそれぞれ1989年横浜博覧会閉会後のガリバー館、解体中の横浜博覧会国際交流館、基礎配筋作業としている巨大建設現場と1993年に完成するランドマークタワーである。大男(ガリバー)の写真の隣に数十人もの小人が働いているように見える写真が並んでいるのも面白い。写真に写る複数のタワークレーンが揃って同じ方向を向いている事情はわからないが、バブル景気の終盤に計画された当時日本一高かったランドマークタワーは、その写真が撮られる前にバブル崩壊により景気が悪化していた。ランドマークタワー以前と以降の社会状況が異なることに気づく(*5)。こうした背景は、慢性的に美術館のコレクション形成にも影響を与えている可能性がある。

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7章「美術館が、ひらく」原田正路作品展示風景

3.グランドギャラリーで思うこと
 展示を見終え、グランドギャラリーの四角側(南側)の階段を降りるとき、そこにはスロープがないことに気づく。というのも、丸側(北側)には、檜皮一彦氏による《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》があり、映像作品を用いたインスタレーションとして大階段にスロープが張り巡らされているからである。檜皮氏はこれまでに参加者と共に協力しながら車椅子を健常者と同じルートで目的地まで移動するプロジェクト「walkingpractice」を行なってきた。

 改修工事による恒久的なものではないスロープから、2017年に「ミュージアム・オブ・トゥギャザー」展の会場構成で、槇文彦氏の建築「スパイラル」(1985年完成)にアトリエ・ワンが急勾配のスロープを挿入したことを思い出した。建築計画において1980年代は社会包摂の考えが未熟であったこと、名建築でさえも現代の感覚からすると配慮が及ばない部分があったことをアトリエ・ワンの塚本由晴さんが指摘した(*6)。横浜美術館にも同様の指摘が当てはまることだろう。加えて、車椅子ユーザーが自力で行けない場所に置かれた車椅子のインスタレーションに目的地への強い意志が感じられ、エレベーターを計画することが必ずしも階段の代替にはならないことも示唆されているように思う。

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檜皮一彦《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》

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檜皮一彦《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》

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*1:横浜博覧会会場計画をプロデュースし、会場内の横浜館と前述の国際交流館を設計したのは、みなとみらい21の計画初期から携わっていた建築家・大髙正人(1923-2010)である。彼はかつて1970年の大阪万博で丹下健三(1913-2005)が率いた基幹施設設計グループの一員であり、国際科学技術博覧会の会場計画もリードした。横浜博覧会と日本万国博覧会の会場計画は類似点があり、YES’89のフェスティバル通りとEXPO’70の大屋根を重ねると、横浜美術館は《太陽の塔》に対応する。いずれも単独で残された。

*2:インテリアデザインでは家具の配置によって場所の形が強調された。グラフィックデザインでは、浅葉克己氏による開館時からのシンボルマークとそれに加えられたと菊地敦己氏によるリニューアルロゴに、それぞれ四角形と正円が用いられている。

*3:コレクションの特徴、横浜美術館公式ウェブサイト
https://yokohama.art.museum/about/collection/features/

*4:横浜市は写真文化発祥の地であることを意識した「ヨコハマフォトフェスティバル」(2010年~2015年)の取り組みがある。

*5:横浜美術館開館後、みなとみらいでは1990年に磯崎新が総合監修した「バルセロナ&ヨコハマ シティ・クリエーション’90」が開かれた。2000年代は、赤れんが倉庫(改修設計:新居千秋氏、2002年)、大さん橋(FOA、2002年)、みなとみらい線各駅(設計:伊東豊雄、早川邦彦、内藤廣ほか、2004年)、象の鼻パーク(設計:小泉雅生氏、2009年)等が次々と建てられた。これらの建築は、いずれも既存の手がかりが存在する所に付加され、場所性、時間性(歴史)を負っている。一方、横浜美術館は、場所やそのコンテクストには接続することなく、空白の土地に未来のビジョンとして描かれた。

*6:AIT(Arts Initiative Tokyo)レクチャー、2018年11月8日「脱施設型建築の実践」

(おうせいび)

◆展示概要
横浜美術館リニューアルオープン記念展「おかえり、ヨコハマ」
2025年2月8日(土)~6月2日(月)
横浜美術館
〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1  
TEL:045-221-0300(代表)
FAX:045-221-0317

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2025年6月18日更新の予定です。

王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。

●本日のお勧め作品は木村利三郎です。
kimura_10 (1)《City 205》  
1974年
シルクスクリーン
イメージサイズ23.5×31.2cm
シートサイズ28.7×36.5cm
Ed.40
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はメール(info@tokinowasuremono.com)またはお電話(03-6902-9530)で承ります。「件名」「お名前」「連絡先(住所)」とご用件を記入してご連絡ください。


「ポートレイト/松本竣介と現代作家たち」展
2025年4月16日(水)~4月26日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
377_a出品作家:松本竣介、野田英夫、舟越保武、小野隆生、靉嘔、池田満寿夫、宮脇愛子+マン・レイ、北川民次、ジャン・コクトーほか

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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