栗田秀法「現代版画の散歩道」

第12回 戸村茂樹


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戸村茂樹《秋》

 このモノクロームの版画は、東北の秋の静謐な美しさを細やかに描写している。横長の画面の中ほどを、緩やかな起伏を持つ丘が横切り、その上には雲ひとつない空が広がっている。前景から中景にかけて、すすき野が穏やかに広がり、秋の日差しを浴びてわずかに揺らぐような気配が感じられる。

 画面中央やや右には一本のブナの大木が立ち、垂直に伸びる幹が画面全体を引き締めている。その脇には別の樹木の葉が豊かに生い茂り、その右の小ぶりな樹木の葉とともに、葉むらが生み出す濃淡の表情が目を引く。丘の向こう側にも木々の茂みがのぞいており、奥行きと広がりを感じさせる構成となっている。

 画面右手から差し込む光が風景を照らし、木の葉の部分には光を受けて揺らいだり、ちらついたりするような表現が見出される。一方で、左手の丘は影に沈み、明暗のコントラストが作品に立体感と深みを与えている。繊細な線の積み重ねが、木々や草原の質感を際立たせ、秋の澄んだ空気感と穏やかな時間の流れを静かに伝えている。

 注目されるのは、作者の目と内面を通して濾過された、一瞬の秋の記憶を想起させる詩情豊かな作品世界が、ドライポイント技法で生み出されていることである。

 銅版を直接ニードルで刻むドライポイント技法というと、現代ではまずはヴォルス池田満寿夫、さらには吉岡弘昭のきしむような表現が想起されるが、戸村の作品ほど繊細な表現をするドライポイントの版画家は珍しい。ドライポイントは古くはデューラーも試みているが、その数はエングレーヴィングに比べると圧倒的に少ないものであった。レンブラントはエッチングを多用し、ときにドライポイントを併用している。《エッケ・ホモ》のようにドライポイントだけのものもあり、この技法ならではの、銅版のまくれによるインクのにじみの表現が実に効果的である。20世紀ではジャック・ヴィヨンが《卓上》などでドライポイント技法による重厚な作品を残している。長谷川潔のドライポイント版画に見られるように、画面が硬質になりがちな直刻の技法によるものでありながら、ニードルの針先を巧みに操ることで醸し出された雰囲気の柔らかさは驚嘆に値する。

 青森県出身の戸村茂樹(1951- )は、岩手県で美術を学び、大学卒業後から版画の出品を続け、1984年頃から版画に専念するようになった。本作品はドライポイント技法に本格的に集中した初期に生み出された作品である。横長の判型からは例えばレンブラントの風景版画やバルビゾン派のドービニーのそれと比較できるが、作品をよく見ると、それらでは多くの場合風景に添景として人の営みが挿入されていることがわかる。人の気配のない戸村の作品世界とは対照をなす。かといって客観的な地誌的な描写ではなく、この版画は、東北の秋の情景の持つ静けさと広がり、そして一瞬の光の移ろいを美しく切り取りつつも、現実と幻想のあわいで造形の詩に見事に高められた作品と言えよう。

 戸村は当初からエッチングを試みており、最近でもエッチングによる風景にも取り組んでいる。初期にはトリノの聖骸布を描いたユニークな作品も存する。東京でもこの作家の静謐な作品世界がまとめて見られる日が遠からず来ることを楽しみに待ちたい。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は5月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は戸村茂樹です。
20250328155034_00001《秋》
1985年
ドライポイント
イメージサイズ:14.6×29cm
シートサイズ:26.7×39cm
Ed.50
サインあり


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「ポートレイト/松本竣介と現代作家たち」展
2025年4月16日(水)~4月26日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
377_a出品作家:松本竣介、野田英夫、舟越保武、小野隆生、靉嘔、池田満寿夫、宮脇愛子+マン・レイ、北川民次、ジャン・コクトーほか

松本莞さんが『父、松本竣介』(みすず書房刊)を刊行されました。ときの忘れものでは莞さんのサインカード付本書を頒布するとともに、年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートークを開催してゆく予定です。
『父、松本竣介』の詳細は1月18日ブログをお読みください。
ときの忘れものが今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
画家の堀江栞さんが、かたばみ書房の連載エッセイ「不手際のエスキース」第3回で「下塗りの夢」と題して卓抜な竣介論を執筆されています。
1200-hyoshi著者・松本莞
父、松本竣介
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円

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建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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