本日5月19日は、靉嘔先生のお誕生日です。
靉嘔先生、94歳! おめでとうございます。
今年2月には11点組の新作版画《いろはにほへとちりぬる》を発表された靉嘔先生。
昨年は香港の美術館「М+(エムプラス)」で個展が開催され、世代を超えてファンが増えています。
ときの忘れもので4月に開催した「2025 コレクション展1」では、初めて来た美大の学生さんが「靉嘔さんの大ファンで真似をして絵を描いたこともある。見ていると本当に元気がでる。」と言って何十分も見つめた後で作品を買っていただきました。
アートフェア東京では初めて靉嘔作品を見たという女性が版画《6》(1992年)が忘れられなかったようでフェア後にお問合せいただいたのですが、時すでに遅し。すでに海外からのお客様に売れていたので残念がっていました。
良い作品は何十年経っても好きな人の心に響きますね。
まだまだ靉嘔先生には作品を作り続けていただきたいと思います。
●香港 M+「靉嘔:虹虹虹」展(終了しました)
https://www.mplus.org.hk/tc/exhibitions/ay-o-hong-hong-hong/
●オーラルヒストリー
2014年6月28日 靉嘔アトリエにて
インタビュアー:ヤリタミサコ、柿沼敏江
書き起こし:永田典子
https://www.kcua.ac.jp/arc/ar/ay-o-oral-history_jp/
ブログでは何度もご案内していますが、
ときの忘れものの前進である画廊亭主が主宰した「現代版画センター」のファースト・エディションは、靉嘔先生の「I love you(Love letter(s)」でした。
亭主は刷り上がった版画を清瀬の靉嘔先生のアトリエに運び込み、16時間!かけてその全てにサインを入れていただきました。

靉嘔 Ay-O
"I love you"(Love letter(s))
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:53.0×34.0cm
紙サイズ:61.7×44.2cm
Ed.11,111
サインあり
*レゾネNo.267、レゾネのタイトル表記は「Love letter(s)」
*現代版画センターエディション
この作品が生まれた経緯については、作者である靉嘔先生ご自身の回想を再録させていただきます。
<'74年の或る日、岡部君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。 若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと (現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向に沢山のエディションナンバーを作り安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシアで作ったリトグラフのNo. 247 「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」のシルクスクリーンが生まれた。
11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2, 3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。
One day in 1974 Okabe came to Kiyose with Fujio Watanuki and a group of five or six young people. They discussed printing and selling prints by young artists that would appeal to the younger set, to be handled through a modern print center. I heartily endorsed the idea and suggested that they print a large-number edition so that the price of a print could be lowered. This meant that the prints should be sold not on the merit of the artist's name but on the appealing subject matter of the print itself. The discussion advanced by leaps and bounds, and two or three weeks later we had arrived at the idea of printing an edition of 11,111 copies. The price was to be one or two thousand yen per print. I provided my lithograph work No. 247, "Love letter", which I had made in Nova Scotia. Everyone approved of this selection, and Okabe printed up No. 267, “Love letter(s)", as a silk screen print.
It is no longer clear just who thought up the idea of an edition of 11,111 copies. I remember saying myself that as probably no one had as yet printed up more than 10,000 copies of a work, I should like to go just a little over that figure. I seem to have heard from someone that Mr. Kubo heard of this comment of mine and suggested the 11,111 figures, but no one seems to remember for sure. At any rate, the number appealed to me immediately. It may be a romantic bit of witticism, but it is also a bit of fantasy that entices man to enjoy life. I thought it would be fun if the signing and numbering of the 11,111 prints could all be done in a single day, so one day about two or three days before my departure for New York I enlisted the aid of one woman and two men and we got down to work, our fingers protected by Bandaids. About 16 hours later we finished the chore and shook hands and embraced each other in joy.
靉嘔『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』146頁より(1982年、久保貞次郎編 叢文社刊)>
ときの忘れもののでは、100号の靉嘔先生のタブローも扱っています。

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #11》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #12》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #14》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《虹の精霊のすむところ B》
1998年
アクリル、カンヴァス
138×167cm
サインあり
昨年6月に開催した靉嘔展(2024年6月12日(水)~6月22日(土))では、
会期中の2024年6月19日に靉嘔先生が来廊くださいました。
左から社長綿貫令子、副社長の尾立麗子、靉嘔先生、松下



2階の図書室にて、右から飯島花子さん(靉嘔先生のお嬢様)、飯島クレイシ・ハールーンさん(花子さんの旦那様)、画廊亭主の綿貫不二夫。


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●5月11日のブログで「中村哲医師とペシャワール会支援5月頒布会」を開催しています。
今月の支援頒布作品は島州一、ブーランジェ、仙波均平です。
皆様のご参加とご支援をお願いします。
申し込み締め切りは5月20日19時です。
◆次回展覧会のお知らせ
「2025コレクション展3/駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫」
2025年5月21日(水)~5月24日(土)11:00-19:00
※前回展DMで予告していた日程から会期が変更となりました
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

靉嘔先生、94歳! おめでとうございます。
今年2月には11点組の新作版画《いろはにほへとちりぬる》を発表された靉嘔先生。
昨年は香港の美術館「М+(エムプラス)」で個展が開催され、世代を超えてファンが増えています。
ときの忘れもので4月に開催した「2025 コレクション展1」では、初めて来た美大の学生さんが「靉嘔さんの大ファンで真似をして絵を描いたこともある。見ていると本当に元気がでる。」と言って何十分も見つめた後で作品を買っていただきました。
アートフェア東京では初めて靉嘔作品を見たという女性が版画《6》(1992年)が忘れられなかったようでフェア後にお問合せいただいたのですが、時すでに遅し。すでに海外からのお客様に売れていたので残念がっていました。
良い作品は何十年経っても好きな人の心に響きますね。
まだまだ靉嘔先生には作品を作り続けていただきたいと思います。
●香港 M+「靉嘔:虹虹虹」展(終了しました)
https://www.mplus.org.hk/tc/exhibitions/ay-o-hong-hong-hong/
●オーラルヒストリー
2014年6月28日 靉嘔アトリエにて
インタビュアー:ヤリタミサコ、柿沼敏江
書き起こし:永田典子
https://www.kcua.ac.jp/arc/ar/ay-o-oral-history_jp/
ブログでは何度もご案内していますが、
ときの忘れものの前進である画廊亭主が主宰した「現代版画センター」のファースト・エディションは、靉嘔先生の「I love you(Love letter(s)」でした。
亭主は刷り上がった版画を清瀬の靉嘔先生のアトリエに運び込み、16時間!かけてその全てにサインを入れていただきました。

靉嘔 Ay-O
"I love you"(Love letter(s))
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:53.0×34.0cm
紙サイズ:61.7×44.2cm
Ed.11,111
サインあり
*レゾネNo.267、レゾネのタイトル表記は「Love letter(s)」
*現代版画センターエディション
この作品が生まれた経緯については、作者である靉嘔先生ご自身の回想を再録させていただきます。
<'74年の或る日、岡部君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。 若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと (現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向に沢山のエディションナンバーを作り安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシアで作ったリトグラフのNo. 247 「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」のシルクスクリーンが生まれた。
11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2, 3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。
One day in 1974 Okabe came to Kiyose with Fujio Watanuki and a group of five or six young people. They discussed printing and selling prints by young artists that would appeal to the younger set, to be handled through a modern print center. I heartily endorsed the idea and suggested that they print a large-number edition so that the price of a print could be lowered. This meant that the prints should be sold not on the merit of the artist's name but on the appealing subject matter of the print itself. The discussion advanced by leaps and bounds, and two or three weeks later we had arrived at the idea of printing an edition of 11,111 copies. The price was to be one or two thousand yen per print. I provided my lithograph work No. 247, "Love letter", which I had made in Nova Scotia. Everyone approved of this selection, and Okabe printed up No. 267, “Love letter(s)", as a silk screen print.
It is no longer clear just who thought up the idea of an edition of 11,111 copies. I remember saying myself that as probably no one had as yet printed up more than 10,000 copies of a work, I should like to go just a little over that figure. I seem to have heard from someone that Mr. Kubo heard of this comment of mine and suggested the 11,111 figures, but no one seems to remember for sure. At any rate, the number appealed to me immediately. It may be a romantic bit of witticism, but it is also a bit of fantasy that entices man to enjoy life. I thought it would be fun if the signing and numbering of the 11,111 prints could all be done in a single day, so one day about two or three days before my departure for New York I enlisted the aid of one woman and two men and we got down to work, our fingers protected by Bandaids. About 16 hours later we finished the chore and shook hands and embraced each other in joy.
靉嘔『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』146頁より(1982年、久保貞次郎編 叢文社刊)>
ときの忘れもののでは、100号の靉嘔先生のタブローも扱っています。

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #11》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #12》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《Rainbow Field: Finnegans Wake #14》
1994年
アクリル、カンヴァス
130.3×162.0cm
サインあり

靉嘔
《虹の精霊のすむところ B》
1998年
アクリル、カンヴァス
138×167cm
サインあり
昨年6月に開催した靉嘔展(2024年6月12日(水)~6月22日(土))では、
会期中の2024年6月19日に靉嘔先生が来廊くださいました。
左から社長綿貫令子、副社長の尾立麗子、靉嘔先生、松下


2階の図書室にて、右から飯島花子さん(靉嘔先生のお嬢様)、飯島クレイシ・ハールーンさん(花子さんの旦那様)、画廊亭主の綿貫不二夫。

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●5月11日のブログで「中村哲医師とペシャワール会支援5月頒布会」を開催しています。
今月の支援頒布作品は島州一、ブーランジェ、仙波均平です。皆様のご参加とご支援をお願いします。
申し込み締め切りは5月20日19時です。
◆次回展覧会のお知らせ
「2025コレクション展3/駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫」2025年5月21日(水)~5月24日(土)11:00-19:00
※前回展DMで予告していた日程から会期が変更となりました
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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