福原義春さんの講演「わがコレクション:駒井哲郎」世田谷美術館 2006年11月19日

福原さんは資生堂の社長・会長を歴任、現在は名誉会長であり、同時に東京都写真美術館館長、企業メセナ協議会会長(理事長)として文化関係でも活躍されています。美術品のコレクターとしても知られ、特に駒井哲郎のコレクションは質量ともに有数のものであり、その多くが世田谷美術館に寄託されています。
この日の福原さんのトークは、ご自身の慶應幼稚舎時代の回想から始まりました。
恩師の吉田小五郎先生から「あなた達の先輩に普通部を卒業後、美術学校に進んだ駒井哲郎という人がいる」と繰り返しいわれたと福原さんは語りだします。
この「繰り返しいわれた」というのが大事で、慶應の幼稚舎というところは1年から6年まで一人の教師が同じクラスを担任するのですね。
慶應大学史学科の講師も兼ねる大学者が平教員として小学校1年から6年までを継続して教える、子供達に決定的な影響を与えたに違いありません。「個性」を尊び、ただ漫然と慶應を出て社会人になることだけが人生ではない、ということを教えられたのでしょう。

 因みに吉田小五郎は、川上澄生のパトロンとして有名な瓢亭吉田正太郎の弟で、明治35年、新潟県柏崎で生まれ、慶応義塾大学文学部史学科に進み、幸田成友(露伴の弟)の薫陶を受け、キリシタン史を学ぶ。卒業後幼稚舎の教員になり、舎長10年、再び平教員となり定年を迎える。この間、人間味あるれる師弟の交流は深く、死後「回想の吉田小五郎」が教え子たちにより発刊された。著書には名著「キリシタン大名」を代表に、キリシタンものの翻訳などのほか、「犬・花・人間」「柏崎ものがたり」などの人間愛と英知にみちた随筆集がある。また、趣味豊かな美の追求者で草木を愛し、民芸に通じ、明治の石版や丹緑本などの収集家でもあった。昭和48年、郷里柏崎へ戻り、昭和58年夏、81歳で没。(広報かしわざきより引用)

 吉田先生の教えが福原さんに大きな影響を与えたことは、駒井哲郎先生のことを知り、後に1960年頃(資生堂の新人社員時代)、南画廊や版画友の会で駒井作品を購入するきっかけになったことでも明らかでしょう。「僕にもあの駒井さんの作品を買えるんだと思った」と述懐されています。
そうやって先輩駒井哲郎のことを知り、サラリーマン・コレクターとしてぽつぽつと作品を買い続け、結果的に日本有数の福原コレクションが形成されます。
トークの最後に「私の夢は、東京都現代美術館の銅版画コレクション、世田谷美術館のブックワークのコレクション(挿画、カット他)、そして私のモノタイプ、水彩などのカラー作品がまとめられ、完全なカタログレゾネが刊行されることです。」とおっしゃっていました。

世田谷美術館の館長室にて 左から綿貫不二夫、駒井先生のフランス留学時代の友人野村二郎先生(筑波大学名誉教授)、駒井美子さん、福原義春さん