2026.1.8

杣木浩一のエッセイ「宮脇愛子さんとの出会い」第13回

Ⅳ 老いと病い

 40代までは医者知らずであったが、50才で身の衰えを感じはじめた。このころ40才の妻が女児を生んだ。筋力ではなかった。まず歯周まわりの劣化にはじまり、ついで下血と体重減の異変で大腸ポリープが発覚し切除入院。身の衰えは内臓系からじんわりすすんだ。
 1996年、武蔵村山市の東京画廊倉庫に宮脇愛子さん作品を調査したが、同行された山本壮六さんが喫茶店でコーヒーカップを摘みながら、しみじみ「年取ると手元が滑るのよ。」と言われた。当時は聞き流したが、わが身60代で掴んだつもりが落とすことたびたびあり、実感した。
 あげくに脊椎間狭窄症を患い、10m歩くと右下肢、尻からシビレがはしり、しゃがみ込むしまつだ。整形外科矯正も効き目無く、脊椎根ブロック入院で歩行改善した。しかしその代償に両足裏に砂を踏むような麻痺がのこった。
 ABSTの牛腸くんにならってはじめて胃のピロリ菌検査をしたら早期食道がんが見つかり食道除去手術で命を繋いだ。だが、胃袋を喉につないで胃管にしたので夜な夜な強い胃酸が逆流し、肺に誤嚥して七転八倒する。医者は術後指導にわりと無頓着である。胃がないから量が食えない。食後は立って歩いて重力で小腸へ落とす。逆流がこわいので夜は上体は起こして寝るから睡眠は浅い。桑田某とかの男性歌手がどこかで同じような体験談を記していた。
 胃酸逆流が喉を荒したのか下咽頭ガンが発覚した。1回目の放射線療法のつよい日焼けで首の皮が焼イカみたくペロリと剥けた。以後、歯科治療での抜歯は厳禁となる。抜くと顎骨が腐ると画像で脅された。これが2回3回と発症し、こんどは耳鼻咽喉科で食道と気道あたりの癌を10円玉大にうすく切除してもらった。病棟には声帯を失って筆談しているオバちゃんが居る。声帯除去も覚悟したが「終わりましたよ。」の声に麻酔から醒めて「ハイ。」あれ?答えられるではないか!このときは我ながら感動した。
 アトリエ引っ越し作業では、昔は難なく一人で抱えていた大作が持てなくなって愕然とした。腕力が落ちればこれからの制作にも支障をきたす。近所に24時間出入り自由なジムを見つけたので7月から通っている。昔と違い各部位ごとの筋トレマシンがズラリと並び実に充実している。空手の稽古みたく汗だくにならないのがいい。20代ですこしかじった型は体が覚えているから2畳もあればできる。ジムのあと自宅で基本型を反復したらパワーが違うぞ!このくみあわせで行こう。老体には2日後に筋肉痛が襲うことがわかった。

 

Ⅴ 展望

1.作品

80年代に手つかずにしたままの傍系パネルの表面処理が残っている。これが課題のひとつである。80年代に「杣木君、黒い作品制作を続けなさい」と言われた宮脇愛子さんのことばが耳に残っている。まあ習い性で始終手だけは動かしつづけていたことが傍系作品の所以である。杣木が今も展開しているすべての色の生成は、愛子さんが杣木作品に名づけたタイトル「黒への幻想」(2003)へ帰結するのかもしれない。
 もうひとつは、初期作品の補修とその再展示であろうか。1970~80年代、神田から銀座に集中していた貸し画廊システムは、会期が一週間、月曜日がオープニングで土曜夕方には搬出するという短さで、常連と内輪で120人くらい来訪するかんじだったか。しかし、この当時の作品は、スケールと質において強い。これらを今昔同位に提示すること。古い作品は劣化損傷しているので修復作業にも時間を充てたい。新旧の通奏と差から新たな相を提示できればとおもう。

2.アトリエ53

 2020年、大塩博美代表が「アートソーコ53」の解散を宣言した。1980年「アトリエ53」発足以来ついにこの時が来た。アトリエ・メンバー全員が還暦を迎えたころから大塩も終活を始めた。大塩が念願の長崎の武家屋敷に居を構えるという。「アトリエ53」運営も終活へ向けておおきく舵を切った。毎月1度の月末集合日には、10人のメンバー全員でソーコとアトリエの作品、荷物を破棄して空にする作業にとりかかった。ソーコ敷地内に産廃バケットを設置して各自が不要な作品とゴミを投棄する日々が2年間続いた。【図25


【図252020.8/2 ㈰,「アトリエ53」集合日 メンバーの廃物処理が毎月続けられた。
右から三輪春樹、米満泰弘、平松壮、豊崎洋二、高原尚司、大塩博美

3.杣木 & 櫻井美智子アトリエ

 杣木は1981年以来在籍した「アトリエ53」を去り、櫻井美智子も厚木市「アトリエМ」から「アートソーコ53」を改装して合流することにした。梅林に囲まれ、和庭のある橋本邸は築200年の母屋と絹織製品を納めていた倉庫とプレハブ別邸の3棟からなる。【図26
 これらを大塩からすべて引き継ぐことができた。3層に組んだ鉄パイプをばらして12名の作品の重みと湿気で傷んだ床板を剥がした。杣木、櫻井の作品、工具、素材の引っ越しに1年費やした。2023 年末には大塩夫妻も長崎に帰り、20254月をもって「ソーコ使用」最後の1名が撤収したので、ようやく「杣木&櫻井アトリエ」としてスタートできた。


【図26】橋本邸、八王子市下恩方 手前から、プレハブ、母屋、アトリエ


【図272025.7. アトリエで櫻井美智子の制作。

 櫻井美智子との活動は1986年に遡る。2015年ベイスギャラリー企画において、はじめて『櫻井美智子×杣木浩一展』( text : 笠井裕之、詩 : 杉本徹「にじむ緑を、灯す ― 櫻井美智子、杣木浩一 新作展のために」)で展覧会として合流した。【図28.29】この実質二人展示は、なぜか各々個展扱いとなっている。
 ベイスギャラリーと櫻井美智子の付き合いは1990年代に遡る。( 個展1997,1999,2001,2015 ) 櫻井への制作依頼のたびに【図30-33】本厚木の櫻井「アトリエM」時代から八王子市高尾「杣木&櫻井アトリエ」へ、なんども来訪された。
櫻井の大分オアシスタワー設置(1998)の際は、なぜか、おまけに杣木の日航、滞在費まで手配してくれ、機上CA主任から挨拶されたのには驚いた。


【図28】〈内庭は鏡を降りていく/外庭に鍵を置く〉櫻井美智子・杣木浩一 新作展 2015.6.29-7.31 Base Gallery


【図29 2015.6.29-7.31 〈内庭は鏡を降りていく/外庭に鍵を置く〉櫻井美智子・杣木浩一 新作展 Base Gallery


301998. 櫻井美智子 大分オアシスタワーホテル壁画制作 帆布にアクリル


【図311998. 櫻井美智子 大分オアシスタワーホテル壁画. 画布の貼り込み


【図321998. 櫻井美智子 大分オアシスタワーホテル壁画、画布貼り込み完了


【図33】櫻井美智子 大分オアシスタワーホテル1Fロビー壁画 1998.

4.終活へ

2025.10月にベイスギャラリーが「杣木&櫻井美智子アトリエ」をスタッフ3名連れて作品整理してくれることになった。【図34】終活に向けてありがたい提案だ。すでに長野の画家の絵画整理などを手掛けられているが、大量の作品には足の踏み場がなかったという。

5.新潟県国上をむすぶ構想

 徳川政権が再編し番々出世組織と化した曹洞宗に見切りをつけ、『正法眼蔵』道元(1200-1253) 『法華経』、『老子』に立ち返り、生涯托鉢乞食行で庶民子供!と交わった聖者良寛(1758-1831)の地、国上(くがみ)。故郷でもあり、とても魅力あるのだが、いまのところ移住には二の足を踏む。
 7月初旬、本覚院に弟の納骨法要を済ませると、長押のうえに細い筆使いの良寛書『般若心経』を見つけた。良寛が五合庵から一時、同寺に仮寓したときの書で、超博識な良寛は多くの経典を暗唱していたが、末尾一文字が誤字のまま寺が表具したというユーモラスな逸品だ。となり先代住職の几帳面な書とは好対照で、極細の文字と行間のゆるやかなコンポジションは声のように息づいている。良寛は膨大な漢詩、和歌をのこしたが、托鉢行では酒(割り勘)も囲碁(賭け)もたしなみ、盆踊りにも加わった。庄屋に寄寓すれば厨房にも立ったらしい。自炊は岡山、円通寺時代に身につけたのだろう。商業化した江戸中期の書家、調理人の料理、歌人の詩、とりわけ新古今の系譜を批判し、万葉を愛でたという。


【図34】杣木、櫻井の作品が混在したままだ。 2025.7

 

杣木浩一(そまき こういち)
1952年新潟県に生まれる。1979年東京造形大学絵画専攻卒業。1981年に東京造形大学聴講生として成田克彦に学び、1981~2014年に宮脇愛子アトリエ。2002~2005年東京造形大学非常勤講師。
1979年真和画廊(東京)での初個展から、1993年ギャラリーaM(東京)、2000年川崎IBM市民文化ギャラリー(神奈川)、2015年ベイスギャラリー(東京)など、現在までに20以上の個展を開催。
主なグループ展に2001年より現在まで定期開催中の「ABST」展、1980年「第13回日本国際美術展」(東京)、1985年「第3回釜山ビエンナーレ」(韓国)、1991年川崎市市民ミュージアム「色相の詩学」展(神奈川)、2003年カスヤの森現代美術館「宮脇愛子と若手アーチストたち」展(神奈川)、2018年池田記念美術館「八色の森の美術」展(新潟)、2024年「杣木浩一×宮脇愛子展」(ときの忘れもの)など。
制作依頼、収蔵は1984年 グラスアート赤坂、1986年 韓国々立現代美術館、2002 年グランボア千葉ウィングアリーナ、2013年B-tech Japan Bosendorfer他多数。

●本日のお勧め作品は杣木浩一と宮脇愛子です。

No.7
No7_Somaki杣木浩一
無題
1994
ウレタン、合板
21.0×21.0×83.0cm
サインあり


No.8
No8_Somaki杣木浩一
無題
1990
カシュー、合板
30.5×200.8×13.5cm
サインあり


No.9
No9_Somaki_1998杣木浩一
無題
1998
ウレタン、合板
21.6×21.6×8.3cm
サインあり


No.10
No10_Somaki杣木浩一
無題
1998
ウレタン、合板
21.6×21.6×8.3cm
サインあり


No.11
No11_Somaki杣木浩一
無題
2021
ウレタン、合板
8.5×20.5×H10.5cm
サインあり

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●杣木浩一と宮脇愛子の出品作品26点を収録した展覧会カタログを刊行しました。
杣木・宮脇展_カタログ表紙1-4_1200『杣木浩一×宮脇愛子展』カタログ(25.7×17.2㎝、24頁)
発行:ときの忘れもの
発行年:2024年
執筆:杣木浩一
図版:26点掲載(杣木浩一作品13点、宮脇愛子作品13点)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:1,100円(税込)+送料250円
ご注文はこちらから

宮脇愛子のオリジナル・ドローイングとシルクスクリーン入り小冊子、
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)
宮脇愛子オマージュマン・レイ表紙『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』
発行日:2010年9月28日
発行:ときの忘れもの
限定25部(番号・サイン入り)
著者:宮脇愛子、マン・レイ
写真:宮脇愛子、磯崎新
シルクスクリーン刷り:石田了一
デザイン:北澤敏彦
折本形式(蛇腹)、皮ケース入り、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm


マンレイへのオマージュ正面1マンレイへのオマージュ正面2
・ 宮脇愛子オリジナルドローイング、自筆サイン入り
・ 宮脇愛子が1959年より2010年まで制作したドローイングより、シルクスクリーン13点を挿入
・ 磯崎新撮影「アトリエのマン・レイと宮脇愛子」カラー写真1点貼り込み
・ 宮脇愛子に贈られたマン・レイ作品の画像貼り込み(印刷)
・ マン・レイとの交流と、『うつろひ』への宮脇愛子インタビューDVD(約10分)付き

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Tricolore 2026/藤江民・谷川桐子・釣光穂

会期:2026年1月9日(金)―1月24日(土) 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
2010年から開催しているシリーズ企画「Tricolore展」は、ときの忘れものが選ぶ作家3名の展覧会です。
6回目となる本展は、女性アーティストの藤江民・谷川桐子・釣光穂の作品をご紹介します。
版画家・藤江民は、版画だけなく、オリジナル手法で制作した大作の油絵や、タイルの作品「割絵」などを出品します。
谷川桐子は、油彩で緻密に描いた砂利や地面の上にハイヒールやブラジャーなどを描いた作品を制作しています。
陶芸家・釣光穂は手びねりという陶芸の技法で、まるで編み物で編んだようなオブジェを制作しています。
三者三様のユニークな作品をご覧いください。

 

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
杣木浩一作品

 

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