佐藤圭多のエッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」第21回
揺れる寛容

カフェのテラスでくつろいでいると、野良犬がふらふらと迷い込んで来た。おこぼれを狙って各テーブルの間をうろうろ。テラス席はどこまでが店でどこからが公道といった明確な区切りはない事が多いから、テーブルから落ちた食べ物を狙って鳩が来ることはよくあるし、野良犬が来てもさほど驚かない。

雰囲気を察して店員がテラスに出て来た。軽く諭すように向こうに行きなさいとやるのだけれど、その時は引き下がってもすぐに戻ってくる。相当腹を空かせているのだろうか。店員が店の中に戻ったので、追い払うための棒でも持ってくるのかと思って何気なく成り行きを見ていると、店員はなんともう1人の店員と一緒に、ボウルに入れた水と食べ物の残りを持って来たのだ。そして食べに来た犬をよしよしとやりながら、2人で談笑している。棒を持って来るんじゃないかと想像した自分が恥ずかしくなった。自分がお腹が空いたからカフェに来たように、犬もお腹が空いてカフェに来たのだ。そんな寛容さがこの国にはある。

いまの日本では、喫煙者はすっかり肩身が狭くなった。歩きタバコなどしようものなら犯罪級の扱いだが、ポルトガルでは路上喫煙は極めて普通だ(そのせいで道は吸い殻だらけではある)。店内はどこも禁煙なので、昭和の居酒屋のように店中がモクモクということはないのだけれど、屋外では至って自由である。ポルトガルに来たばかりの頃、小学生の娘が歩きタバコをしている人を見て「あ、悪者がいる」と言った。街なかでタバコを吸っている人は悪い人なので近づかないようにと、教えられてきたという。ところがそうした悪者たちは、路上ですれ違う時に、必ずタバコを反対側に持ちかえて子供に危険がないようにする。向こうから子供が来るとわかると、消す人すらいる。ポルトガル人は優しい人が多く、特に小さい子供は自分の子供でなくてもとても気にかけてくれる。そんな様子を毎回目にして、娘は言った。「タバコを吸う人でも、良い人もいるんだね」


ポルトガルにおいても、他のEUの国々と同様に移民排斥を訴える政党が存在感を増している。サラザール独裁時代から自由を勝ち得てまだ50年、やっと民主化の道を歩み始めたのにまたポピュリズムになびくのが不思議でならない。家族で移り住んでいる身としては全く人ごとでないのだが、そう考える人々の気持ちがわかる事もある。リスボン中心部はここ数年で観光客が激増して、住める場所ではなくなりつつある。ロシオ広場の近くにジンジーニャ(ポルトガル名産のさくらんぼ酒)を提供するカウンターだけのお店がいくつかあるのだけれど、ある時その一つが建物ごとドイツ人投資家の手に渡り、100年以上の長い歴史に幕を下ろすというニュースがあった。そのコメント欄は当然荒れる。リスボンっ子が大切にしてきた、思い出の場所を奪う外国人は出て行け。「移民=社会悪」という構図は強固で、また僕自身そういった店が好きだから、ダブルバインドでただ悲しく黙るしかない。


近所のビーチでタバコの吸い殻が多いことが問題になり、自治体が対策をとった。まず考えそうなのは「禁煙」の看板を随所に立てる、という対策。もしくは喫煙者専用エリアを作る、というのもあり得るかもしれない。しかし自治体のとった対策は違った。ビーチに小さなゴミ箱をいくつか設置するとともに、ゴミ箱の傍に見たことのないコーン型のメラミン樹脂の灰皿が並んでいて、自由に取っていけるようになっている。自治体の発したメッセージは「ビーチでは喫煙するべからず」ではなく、「ビーチで喫煙する場合はこちらに灰皿を用意したのでどうぞ」だった。


コーン型デザインの灰皿は、砂遊びの道具のようで喫煙者でなくても砂に刺してみたくなるアフォーダンスがある。自立しない形なので砂浜以外では使えず、家に持ち帰られることもない、単純だけどよく考えられたデザインだと思った。この提案は「人は他者への配慮がある」ことを前提にしているので、面倒がって使わない人が多ければ機能しないかもしれない。けれど「あなたは他者への配慮がある人だから」と言われて気分を害する人はいない。何よりこの方法なら「喫煙者=社会悪」という構図を生まない。喫煙者も非喫煙者もほんの少しだけ前向きに協力し合おうという気持ちを引き出すプロダクト。こういうシンプルな解決策が、今の世界でいかに難しくなっていることか。なぜ見知らぬ人にもみな優しくするのか?と尋ねた時、ポルトガル人の友人はこう答えた。「ポルトガルは小さな国だから‥‥。人に親切にしない理由なんて、ないじゃない?」
(さとう けいた)
■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。跡見学園女子大学兼任講師。リスボン大学美術学部客員研究員。SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰。
・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は2025年12月20日の予定です。
◆ときの忘れものは今年もアート台北「Art Taipei 2025」に佐藤研吾さんと参加出展します。
会期:2025年10月23日~10月27日(10月23日はプレビュー)
会場:Taipei World Trade Center Exhibition Hall 1
ときの忘れものブース番号:B29
公式サイト: https://art-taipei.com/
出品作家:靉嘔、安藤忠雄、佐藤研吾、仁添まりな、釣光穂

出展内容の概要は10月13日ブログをご参照ください。
会場では、作家の佐藤研吾さんと、松下、陣野、津田がお待ちしております。
招待状が若干ありますので、ご希望の方はメールにてお申込みください。
●10月11日のブログで「中村哲医師とペシャワール会を支援する10月頒布会」を開催しています。
今月の支援頒布作品は北川民次と元永定正です。皆様のご参加とご支援をお願いします。
申し込み締め切りは10月20日19時です。

*画廊亭主敬白
難聴がどんどん進んで、最近は社長か副社長が傍にいてくれないとひとと対話もできない。つい先日も大事な作家との打合せがあったのですが、ほとんど亭主の独演会になってしまった(聴こえないないものだから一方的に自分がしゃべってしまう)。
S先生、ごめんなさい。
さて、音楽の秋ですね。
難聴で小さな音、繊細なハーモニーは難しいのですが、聴きなれた(知っている曲)だと想像力が働くせいか楽しめます。オケを聴きに行けなくなったら辛いだろうなあ・・・
今月は故郷のグンキョウ(群馬交響楽団)の東京公演があり友人夫婦と聴きにいきます。
来月は水戸室内管弦楽団の定期演奏会に社員全員で行きます。
そして年末は恒例の東京アマデウス管弦楽団の第九を友人夫婦と聴きに行く予定。
音楽好きのお客様と毎年会場でお目にかかることが多い。どうぞ今年もよろしくお願いします。
●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
靉嘔作品
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