Ⅵ マクラッケン 4つのテキスト (1988)
1.翻訳
1988年4月20日にロサンジェルス、マクラッケン邸でサインして貰った図録を放置したままだったが、1990年、そのテキスト4題を自宅高尾から乃木坂宮脇アトリエへむかう中央線内の移動時間で訳した。視覚で理解できるから、英文でもジョン・マクラッケンの作品に纏わる形と光と空間の記述は目にありありと浮んだ。近年はYouTubeを開けばマクラッケン作品や本人の動画も容易に閲覧できて、ミディアの進化には今昔雲泥の差がある。
『McCRACKEN HEROIC STANCE THE SCULPTURE OF JOHN McCRACKEN 1965-1986』
CONTENTS
1.Heroic Stance Edward Leffingwell エドワード・レフィングウェル (1941~2014)
2.The Test of Time Nicholas Wilder ニコラス・ワイルダー (1938~1989)
3.Spiritual Dimensions in the Art of John McCracken Melinda Wortz メリンダ・ウォーツ (1940~2002)
4.Connecting Heaven and Earth: The Angelic Madness of John MacCracken Anne Ayres アン・エアーズ (1936~)
宮脇愛子(1929-2014)は、その歩みの要所において、自らの芸術について多くのコメントを残しているが、ジョン・マクラッケン(1934-2011)が背負った思想文脈とはかなり異なるかにみえる。ジョン・マクラッケンの異界やUFO比喩には、彼が親しんだジェーン・ロバーツ(1929-1984)『セスブック』とリンクしている。
若き宮脇愛子の必携書、『近代芸術』(瀧口修造1938)は、のちのパリでハンス・リヒター(1888-1976)やマン・レイ(1890-1976)との出会いにおいて既知感すら抱いたというほどの驚くべき同時代美術の情報源であった。そして阿部芳文(展也)(1913-1971)と瀧口修造(1903-1979)の詩画集『妖精の距離』(1937)からの衝撃と、斎藤義重(1904-2001)からの助言がある。
しかし、愛子さんがSF文学に馴染まないかと言えば、じつは駒込宮脇愛子アトリエの蔵書には(ハヤカワ文庫SF)がズラリと並んでいた。愛子さんが1988年ころ赤坂自邸で「アイザック・アシモフ(1920-1992)ってどういう人か知っている?」とわれわれ3人のアシスタントを前に謎かけのように問うたことがある。
20世紀ミニマリズムのただなかに居た、愛子さんとマクラッケン、どうも2人のマテリアルへの反語的な言葉には共鳴しているものがある。宮脇愛子のいう「在らぬものへの眼差し」「彫刻というよりは媒体」ということばと、マクラッケンがいう “ Real and Disappear” という概念はとても近い。
メリンダ・ワーツ(1940 – 2002)は、上述のテキスト3.“Spiritual dimensions in the Art of John McCracken ” においてマクラッケン作品の形体と色彩媒体性を、マレーヴィチ(1879-1935)やカンディンスキー(1866-1944)ら、20世紀初頭の「時代精神」に遡行拡張する。
宮脇愛子も自らの油絵表現の模索のなかで、第一次世界大戦で手足損傷して芸術に転身しマレーヴィチと協働したのち「ユニスム」を標榜したシチュシェミンスキー(1893-1952)絵画の蠢くコンポジションに早くから着目していた。
以下にジョン・マクラッケンについてのメリンダ・ワーツのテキスト
“Spiritual dimensions in the Art of John McCracken ”の訳文を掲載したい。
“Connecting Heaven and Earth: The Angelic Madness of John MacCracken”Anne Ayres アン・エアーズ(1936~) 訳文は、梅津元さんとのトーク(於、ときの忘れもの、2024.11.16)で配布させていただいた。
2.ジョン・マクラッケンのアートにおける精神的次元
Melinda Wortz 1987
1. 完璧な実現(perfect realization)は、抽象化されたものが永遠であるという(timeless)ことを単に例証するだけではない。それはそれ以上のことを行う:それは本質的には過ぎ去るものに永遠性 (timelessness)を植え付けるのだ。
完全な瞬間(perfect moment)は、時の流れのなかで色褪せない(fadeless)。
そのとき、時間は“永久に消滅する”という特徴を失い、“永遠の動く像”になる。
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド,『過程と実在、(Process and Reality)』1929
アートは、時間と空間から作られる。
ジョン・マクラッケン,未発表ノート 1973
定言条件 Ⅷ。
主観的強度の定言。
概念的感情の起源となる主観的目的[すなわち、神の根源的性質における]とは、 (a)直接的な主体における、そして(b)関連する未来における感情の強度のことである。
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド,同書
私は基本的に快楽を信じているようだ。肉体的な感覚の喜びと神を見いだす喜びを完全に切り離すことはできない。もしもそのような快楽が、単に同じ経験の範囲、つまり現実の異なる点やレベルであれば、いかなる種類の快楽も、その性質やレベルにかかわらず本質的に 「悪い」ということはありえない。
快楽に関する唯一の悪い点は、よりよい良い快楽へと発展し続けるのではなく、一つのレベルに留まってしまうことだろう。でなければ 唯一の快楽 へ向かって進んでいくことだ。
ジョン・マクラッケン, 未発表ノート 1969
2. ジョン・マクラッケンがアーチストとしての自分の役割を考えるうえで好んでつかうメタファーは、見えざるもの、未知のもの、未来へ冒険した後、地球にアートを持ち帰るUFO旅行者というものだ。
驚くべきシンクロニシティの実例があり、スタンリー・キューブリック監督の1968年の名作映画『2001年宇宙の旅』でこれらの要素を体現するために選ばれたエンブレムが、事実はそうでは無いものの、マクラッケンが制作した単色の黒い板と非常によく似ていたのだ。
このラディカルなリダクティヴ・フォームはいまだ知られぬ未知な自然、未来への希望のイコンとしてのキューブリックフィルムの何百万もの観客によって認定された。したがって、20世紀初頭の抽象芸術の先駆者たち、たとえばワシリー・カンディンスキー、カジミール・マレーヴィチ、ピエト・モンドリアン、バウハウスを魅了した純粋な幾何学的形体と強烈に彩度の高い単色カラーの神秘性は、20世紀最後の4半世紀においてもその時代精神の機能を維持できているように思われる。
3. マクラッケン彫刻は1960年代その怜悧な幾何学的抽象に関して“ミニマル”アートムーヴメントに関係づけられる。
しかし、その表面処理はフィリップ・レイダーとジョン・コプラン2人の多数の要素を内包し、このころのユニークな南カリフォルニアセンシビリティとともに、この地域のアーチストたちが最初の国家認定を受けたその期間、深い共感を得たのだ。
ドナルド・ジャッドやロバート・モリスの初期作品とは対照的に、マクラッケンと彼のカリフォルニアの仲間たちは清浄無垢なクラフトマンシップとマテリアルとテクニックをポピュラーサブカルチャー、たとえばサーフィンとカスタムカー製作から引用した。
マクラッケンの場合は、ファイバーグラススキンで合板スケルトンを覆い、次いで表層にスプレーイング、研ぎ、磨きを幾多の自動車ラッカーで積層し、すべてを一体化する。
マクラッケンの表面仕上げがあまりにパーフェクトなので、それらはレイダー氏によってフェティッシュ崇拝としての称号を与えられた。
4. あるていどはマクラッケンも、対抗する東海岸のジャッドやモリスのように、昔も今も知覚のゲシュタルト心理々論に関心はあった。彼はフリッツ・パールズ文庫の ゲシュタルトセラピー が詳説する知覚のエクササイズも数多く実験した。
だが、モリスとジャッドとマクラッケンの初期彫刻におけるゲシュタルト一元化のねらいには強い違いがある。それらの定まった空間範囲内における攻撃的で人目を引く物質性(physicality)に代わって、マクラッケンの幾何学フォームは〈ポストとリンテル〉〈ピラミダル〉あるいは〈モノリシック〉であろうが占有空間に消滅する(disappear)傾向があるのだ。
この幻想的な(illusive)質は、高度な研磨で光を反射する表面作用によっている。その瞬間(at one moment)、その強く濃い色彩は、観る者をして激しい経験に誘う強度なのである。しかし、継続的注視と、わずかな視点変化は、おなじ表面でありながら、その光を反射する性質によって、あたかも環境に溶け込み、消滅(disappear)したように感じられるのだ。このような知覚変化との出会いは 観る者(あるいは彼/彼女が投影される)のなかに、さまざまな神秘性、驚き、掴まえ所の無い視覚の質と拡張によって、知覚の過程全体に完全な状態を喚起する。
民俗的知恵が与える、一般に信じられているアフォリズム「見るとは信ずることである」とは、それどころか逆も真なり。われわれの感覚的認識(senses)は、事実に基づいた実在(reality)の証明をわれわれに与えるように思えるが、そのたびに頻繁にわれわれを欺くのだ。とりわけそのほかにも、視点の数学的方式は2本の平行線が遠い点で出会うように見える視覚世界 [ ※ 注 : 一点透視法 ] を通してわれわれに与える不正確な情報のうえに基礎づけられた。
5. これらのわれわれをさらに遠くへ誘う知覚上の沈思は、マクラッケン作品固有の精神的衝動の本質であると見做す。彼の彫刻の幻覚的なエレメントは、その初期アーチストとしての展開と関係がある。かれはキャンバスにペインティングを始め、そしてしだいに他のマテリアル、たとえはキャンバスにラッカーのような、そして壁に掛けるレリーフを制作し、そしてついに文字通り壁から外れて空間に自由に立つことになった。( fig.1 ~ fig.4 参照 )しかし、興味深いことには壁から環境における三次元存在へ解き放たれた作品は、この冗長な全過程を終えたあと、ただちに、彼がみなされる彼をアーチストとして連想させるもっともユニークなフォーマット : 壁に立て掛けるプランク「厚板」、へと進めたのである。( fig.5 )堅固に直立するにはあまりに薄いので、その愛を込めた精巧で、高度に光を反射するオブジェクトは、支えのための壁を必要としたのだ。ある意味でこの工夫は、60年代後期におけるジャッドやフランク・ステラのような他のアーチストたちの努力、壁に統合しあるいは孤立した存在として扱う代わりに、芸術作品とともにある、芸術作品存在のなかの文脈的状況と関連づけられる。
この探求の方向はこの時期のマクラッケンをふくむ多くの彫刻家たちを、創造的なインスタレーション/あるいはアースワークス、そしてそこではいくつかのオブジェクトが相互に、あるいは環境、あるいは両方に、関係的に操作され、導かれた。
相互関係の概念は重要な意味合いをもち、それは個人主義、制度あるいは国家、世界に罰を加え、大破壊を引き起こす20世紀後期文化にたいして隠喩的に共鳴するのである。
6. マクラッケンの〈プランク〉のケースでは、矛盾は、ユークリッド幾何学 ― プラトンに対する、そのメタフォリカルな身分、この世界に普通に達成し得ない完全性とイデアリズムの範例としてある伝統的連合 ― と、そしてそれら固有の外部の支えに従属していることの間に設定される。この感覚において、それらが人間の条件として隠喩的に “ 立つ ” 、それは垂直に留まるよう努めるが、しかし、それが支えのために他を頼らねばならないことが避けられないことがわかる。
7. 人間の状態において経験される不完全さ、すなわち私たちが習慣的に経験の多くを解釈する五感の幻想にせよ、幻想を打ち破ろうとする努力の中で遭遇する挫折にせよ、それがマクラッケンの精神的探求の根底にある。
かれの創造プロセスにもっとも関連があるとわかったものは、カール・ユング(1875~1961)、エドガー・ケイシー(1877~1945)、カルロス・カスタネダ(1925~1998)の著作、そしてとりわけセス文庫、ジェーン・ロバーツ(1929~1984)の本である。カスタネダとセス文庫が特にマクラッケンにとりわけアピールするのは、両作家が述べている「経験の多次元性」であり、それは肉体的であると同時に精神的な多次元性でもある。
マクラッケンは、視覚的に喚起される聴覚的価値をもつ先史時代のアートについてのセスの記述に興味をそそられ、それは明らかに20世紀初頭ワシリー・カンディンスキーが描いたものに似た共感覚体験である。マクラッケンはまた、他の次元、とりわけ夢から視たアートは、ふつう覚醒状態で眺めるアートに比べ、同じかあるいはそれ以上の力をもっていると信じている。
マクラッケンは、インスピレーションの源である夢やトランス状態について次のようにコメントしている・・。
8. 5感を超えた知覚を伴うこれらの状態は、非常にはっきりと見えるので、持ち帰って生活に役立てたいと思うものになるだろう。強いアートは心理学や数学など他の形式に翻訳できるものだと私は考えている。アートはノーマルな5感ではアクセスできない何かを示すものとして作用する。たとえプラトンでさえ、その完璧な形態をなんらかの形で見ないことには、それらについて 議論することができないのだから。 そしてセスにとって内なる感覚とは、外なる感覚よりも発達しているのである。なぜなら、そこには私たちが地球に生まれる前からもっていた意識のモードが含まれているから。たとえば、眼を閉じれば内なる感覚にアクセスすることができる。私たちは過去を変えたり、過去の経験になにかを挿入したりすることもできる。これをじゅうぶんに強く行えば、あなたと同じ過去を共有した他の人々を見つけることができるかもしれない。過去がすぐに消え去り、未来が具体的に見えるような現実もあるのだ。現状をただ単に扱うアートは低級なアートだと思う。もしも、私がUFOで到着するならば、退行的なアートではなく、進歩的なアートで到着したいものだ。
ジョン・マクラッケン談 (著者とのインタヴューで、1986)
9. アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとジョン・マクラッケンの両者にとって、未来へ貢献できるという考えは極めて重要である。そして、この姿勢は20世紀最後の四半世紀においては稀有なものである。
アートの世界であろうと、一般世界であろうと、人々は金銭面でも批評面でも目先の個人的利益を求めるか、あるいは、未来にまったく影響を与えることができないと絶望するかのどちらかになりがちである。 誇張と絶望は、目立つことをもとめて互いに競い合う。
プロのアーチストとして20年間活動した後も、マクラッケンが精神的な目標と未来への希望を持続していることは、並みはずれていると同時に、心強いことである。
このアーチストが過去20年間にわたって書き綴った膨大な日記を読むことは、つねに学びをあたえてくれる。最近のインタヴューで彼は次のようにコメントしている:
10. 私にとって、スピリチュアルとは、異次元との接触、想像力、視覚化、抽象的な素材を意味する。私が幾何学をもちいるのは、こうした理由からである。
また私は具象的な緑や茶色ではなく、赤、青、黄、黒といった抽象的な絶対色を使う。私の彫刻は別次元から来たかのように見せたい。
ここで私が認識していることは、私自身についてしか話せないという事、このことについてどう考えるか、「神」に仕えているのか、それともただ「リアリティ」に仕えているのか、まだわからないということだ。
両者はどちらも同じもの、むろん同じ「全て」を指している・・では、私は何と言うべきなのだろう?もしかしたら、たぶん、自分はただ正しいこと、適切なことをしているだけなのかもしれないし、あるいは人々が求めるものを与えるだけなのかもしれない。
そこにあるすべての言葉を、神とどのように関係するかという観点からまとめると、おそらく二次元で観れば「神」を頂点として完璧な三角形を形成し、三次元であればピラミッドになるだろう。
人間が自然と等しいものを創造するとはいかなることか?人間が自然の一部なのだと認識するまでは何もできない。
ジョン・マクラッケン、ノート、1968
11. ついに、マクラッケンの純粋幾何学フォームと濃色の使用は、カンディンスキー、マレーヴィチ、モンドリアンとおなじく、事物の究極の本質を深く思索するための媒体として機能した。
※太文字、下線は筆者による
訳、杣木浩一
■杣木浩一(そまき こういち)
1952年新潟県に生まれる。1979年東京造形大学絵画専攻卒業。1981年に東京造形大学聴講生として成田克彦に学び、1981~2014年に宮脇愛子アトリエ。2002~2005年東京造形大学非常勤講師。
1979年真和画廊(東京)での初個展から、1993年ギャラリーaM(東京)、2000年川崎IBM市民文化ギャラリー(神奈川)、2015年ベイスギャラリー(東京)など、現在までに20以上の個展を開催。
主なグループ展に2001年より現在まで定期開催中の「ABST」展、1980年「第13回日本国際美術展」(東京)、1985年「第3回釜山ビエンナーレ」(韓国)、1991年川崎市市民ミュージアム「色相の詩学」展(神奈川)、2003年カスヤの森現代美術館「宮脇愛子と若手アーチストたち」展(神奈川)、2018年池田記念美術館「八色の森の美術」展(新潟)、2024年「杣木浩一×宮脇愛子展」(ときの忘れもの)など。
制作依頼、収蔵は1984年 グラスアート赤坂、1986年 韓国々立現代美術館、2002 年グランボア千葉ウィングアリーナ、2013年B-tech Japan Bosendorfer他多数。
●本日のお勧め作品は宮脇愛子です。
宮脇愛子のオリジナル・ドローイングとシルクスクリーン入り小冊子、
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)
『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』
発行日:2010年9月28日
発行:ときの忘れもの
限定25部(番号・サイン入り)
著者:宮脇愛子、マン・レイ
写真:宮脇愛子、磯崎新
シルクスクリーン刷り:石田了一
デザイン:北澤敏彦
折本形式(蛇腹)、皮ケース入り、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm


・ 宮脇愛子オリジナルドローイング、自筆サイン入り
・ 宮脇愛子が1959年より2010年まで制作したドローイングより、シルクスクリーン13点を挿入
・ 磯崎新撮影「アトリエのマン・レイと宮脇愛子」カラー写真1点貼り込み
・ 宮脇愛子に贈られたマン・レイ作品の画像貼り込み(印刷)
・ マン・レイとの交流と、『うつろひ』への宮脇愛子インタビューDVD(約10分)付き
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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開催日時:2026年2月28日(土)14時~(要予約)
会場:ときの忘れもの
どなたでも参加いただけますが、事前予約制とします。
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参加ご希望の方は、お名前(フルネーム)、ご連絡先(住所)を明記の上、メールにてお申込みください。
前回は12時開始でしたが、今回は14時開始となります。
*第1回の様子は2月4日のブログをお読みください。
菅井汲「スクランブルG」

1976年
凸版+シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:35.5×25.0cm
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Ed.150 サインあり
*現代版画センターエディション
■三上 豊(みかみ ゆたか)
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964-1998』、『秋山画廊 1963-1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。
2026年2月6日(金)~2月21日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
洋画家・松本竣介と彫刻家・舟越保武の二人展を開催します。 1912年生まれの二人は、岩手県立盛岡中学(現在の県立盛岡第一高等学校)の同級生で、ともに絵画俱楽部に所属し、終生の友情を結びました。
その後二人はそれぞれの道を歩みますが、1941年と45年に盛岡・川徳画廊にて松本竣介と舟越保武の二人展を開催。
現在、岩手県立美術館には二人の常設展示室が設置されています。
本展では松本竣介の素描と舟越保武の彫刻・版画作品をご紹介いたします。
●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
杣木浩一作品






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