ジョナス・メカス「映画美術館建設賛助計画」インタビュー

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『Ed 101号』41ページ、1984年4月1日・現代版画センター発行


世界中の仲間や友達に呼びかける
そうしないと美術館は建たない


ジョナス・メカス インタビュー
(1983年12月)

ーまず日本の印象は。

メカス 東京からずっと西の方まで行きましたけど、景色を見ても新しいものが生まれつつあるんだろうと思いました。
そして何よりも感じるのは、出会った人々の表情の中に、生きている歓びというのが見えて、ニューヨークの若い人に感じる緊張感がちっとも見えなかったということです。それから日本各地に美術館が建ちつつあるという話を聞きました。それは日本の人たちが、それを必要としているということでしょうし、新しい芸術に対する好奇心が活発に働いているということです。日本の良い一面でしょう。

ーアメリカでの映画美術館の状況は。

メカス まず美術館の役割りは保存すること、研究すること、そして見せるということです。保存ということについては’70年までは殆んど問題はありませんでしたが、それから褪化の問題が始まったわけです。研究ということでは、今では1400もの映画の研究講座が各地の大学にあります。美術館の必要性が増してきているわけてす。私のもとに次々とフィルムが寄贈されていますが、いまはそのままになっている状況です。

ウォーホルは今度のポートフォリオによる基金計画を“時間の浪費”、SONYに買ってもらえと言ってますね。

メカス 確かに、企業が買ってくれたらいいんですが、実験映画や個人映画はお金にならないし、コマーシャルなものにはならないんですね。ですから自分はこうやって世界中の仲間や友達に呼びかけて寄附を仰いているわけです。でもウォーホルもそういうことを理解し、フィルムアーカイブが本当に必要だと承知した上でわざと言ってるんです。

一絵画作家との交流は?

メカス ‘60年代は絵かきの作品だけが平らなところに置かれるというのではなく、ハプニングやマス・メディアを使った創作活動が盛んでした。ラウシェンバーグ、ウォーホル、オルデンバーグ、みんな私の場所を使って創作活動をしていたんてす。だから今度もみんな協力してくれた。

ー今度、版画をつくられましたが。

メカス ええ、でもひとつ言っておかねばならないことは、あれは映画のひとコマをそのまま起こしたものです。それをまず分って欲しい。でも非常に面白いものが出来たと思ってますし、多分これで映画作家が自分の映画の中からとまった・・・・形のものを残すことが起きるんじゃないかと思います。それなりの価値があると思いますし。

ー最後に、メカスさんの職業は何言ったらいいてしょう。映像作家? 詩人?

メカス まあ、前衛の首相(ミニスター)というのか(笑)…何でもいいですよ。普通はフィルム・キューレターですね。(了)