ときの忘れものの生命線は、瑛九と駒井哲郎です。つまりこの二人の物故作家の作品で食っているわけです。
こういう乱暴な言い方をするからお前は駄目なんだと言われそうですが、たくさんの作品を動かし、それが営業の「定番」になっているという意味で申し上 げています。
画商にはそれぞれ得手、不得手があり、たとえば私はアンディ・ウォーホルには強いがジャスパー・ジョーンズはあまり得意ではない。
同じように、駒井哲郎にはめっぽう強いが、浜口陽三はほとんど扱ったことはない。
創作版画や建築家の作品なら無条件で心躍りますが、いまどきのアニメ風作品にはからきし弱い、苦手です。
得手不得手の原因ですが、第一に好き嫌いがありますね。好きこそものの上手なれ、好きな作家ならどんなことでも耐えられるし、また勉強も苦にならな い。
第二に(これが重要ですが)それを買って下さるお客さまを持っているか。いくら熱心に勉強し、また作品をたくさん在庫していたところで、画商はコレクターではないので、売れなければしようがない。つまり顧客あっての得手不得手です。
誰よりもその作家を愛し、たくさんの在庫を抱えながら、残念ながらそれを買って下さるお客さまがいない、これこそ画商の悲劇です。そういう例は実はたくさんあります。私たちもそのすれすれのところで生きているといってもいいでしょう。
さて本題に戻り、瑛九と駒井哲郎ですが、ご承知の通り瑛九に関しては年に最低一回は展覧会を開き、いつでも油彩、水彩、版画、フォトデッサンと豊富な在庫作品を皆さんにお目にかけることができます。
片や駒井哲郎ですが、看板とはいいながらあまり展覧会も開かず、数点の在庫はいつもあるものの、瑛九ほどにはない。お前、それじゃあ「看板に偽りあり」ではないかと言われそうですね。
理由は簡単です、駒井哲郎があまりにメジャーになり(つまり仕入れも高く、良い作品は入手困難)、私どものような貧乏画商では多数の在庫を長期間抱えることができないのです。というより入れば直ぐに売れてしまう。
私にとっては瑛九も駒井哲郎も同じように大切な作家ですが、仕入れの困難さは月とスッポンほど違います。
駒井哲郎の代表作、例えば「束の間の幻影」は今なら300万円~400万円は優にするでしょう。市場に出てくれば必ず複数の画商が競り合うに違いありません。
「束の間の幻影」ほどでなくとも、駒井哲郎の400点近い銅版画の中で、既に2割前後の作品は100万円以上でなければ入手できないでしょう。
片や瑛九、代表作「旅人」は先年銀座の某画廊が200万円前後で売ったという話しを聞きましたが、私自身は1974年から30数年、いまだに瑛九の版画を100万円以上で売った(売れた)ことは一度もありません。
これを簡単に言えば、駒井の秀作を数点買うだけで、瑛九の版画(リトグラフ、銅版)を最低20点、うまくすれば30点~40点は買える。そのくらい違うわけです。
比較はそれ位にして、私が駒井哲郎先生にお目にかかった1974年から今日まで、たくさんの駒井作品(銅版画はもちろん、水彩、モノタイプなど)を扱うことができました。中には新発掘の珍しい作品や、文献にはなかった新事実を作品を実際に扱うことで知ることができました。
いずれ、それらのことは専門の研究者によって精査されるでしょうが、ここでは一画商が直接触れることのできた駒井作品の中から、今まで明らかにされてこなかった事実やエピソードを書き綴ってみたいと思います。
先ずはご挨拶まで。
こういう乱暴な言い方をするからお前は駄目なんだと言われそうですが、たくさんの作品を動かし、それが営業の「定番」になっているという意味で申し上 げています。
画商にはそれぞれ得手、不得手があり、たとえば私はアンディ・ウォーホルには強いがジャスパー・ジョーンズはあまり得意ではない。
同じように、駒井哲郎にはめっぽう強いが、浜口陽三はほとんど扱ったことはない。
創作版画や建築家の作品なら無条件で心躍りますが、いまどきのアニメ風作品にはからきし弱い、苦手です。
得手不得手の原因ですが、第一に好き嫌いがありますね。好きこそものの上手なれ、好きな作家ならどんなことでも耐えられるし、また勉強も苦にならな い。
第二に(これが重要ですが)それを買って下さるお客さまを持っているか。いくら熱心に勉強し、また作品をたくさん在庫していたところで、画商はコレクターではないので、売れなければしようがない。つまり顧客あっての得手不得手です。
誰よりもその作家を愛し、たくさんの在庫を抱えながら、残念ながらそれを買って下さるお客さまがいない、これこそ画商の悲劇です。そういう例は実はたくさんあります。私たちもそのすれすれのところで生きているといってもいいでしょう。
さて本題に戻り、瑛九と駒井哲郎ですが、ご承知の通り瑛九に関しては年に最低一回は展覧会を開き、いつでも油彩、水彩、版画、フォトデッサンと豊富な在庫作品を皆さんにお目にかけることができます。
片や駒井哲郎ですが、看板とはいいながらあまり展覧会も開かず、数点の在庫はいつもあるものの、瑛九ほどにはない。お前、それじゃあ「看板に偽りあり」ではないかと言われそうですね。
理由は簡単です、駒井哲郎があまりにメジャーになり(つまり仕入れも高く、良い作品は入手困難)、私どものような貧乏画商では多数の在庫を長期間抱えることができないのです。というより入れば直ぐに売れてしまう。
私にとっては瑛九も駒井哲郎も同じように大切な作家ですが、仕入れの困難さは月とスッポンほど違います。
駒井哲郎の代表作、例えば「束の間の幻影」は今なら300万円~400万円は優にするでしょう。市場に出てくれば必ず複数の画商が競り合うに違いありません。
「束の間の幻影」ほどでなくとも、駒井哲郎の400点近い銅版画の中で、既に2割前後の作品は100万円以上でなければ入手できないでしょう。
片や瑛九、代表作「旅人」は先年銀座の某画廊が200万円前後で売ったという話しを聞きましたが、私自身は1974年から30数年、いまだに瑛九の版画を100万円以上で売った(売れた)ことは一度もありません。
これを簡単に言えば、駒井の秀作を数点買うだけで、瑛九の版画(リトグラフ、銅版)を最低20点、うまくすれば30点~40点は買える。そのくらい違うわけです。
比較はそれ位にして、私が駒井哲郎先生にお目にかかった1974年から今日まで、たくさんの駒井作品(銅版画はもちろん、水彩、モノタイプなど)を扱うことができました。中には新発掘の珍しい作品や、文献にはなかった新事実を作品を実際に扱うことで知ることができました。
いずれ、それらのことは専門の研究者によって精査されるでしょうが、ここでは一画商が直接触れることのできた駒井作品の中から、今まで明らかにされてこなかった事実やエピソードを書き綴ってみたいと思います。
先ずはご挨拶まで。
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