岡安常武詩集<GOLGOTHA>つい先日、手にすることができた「岡安常武詩集」について書いてみます。
まず実物を紹介する前に、駒井哲郎の文献にはどのようにこの詩集が説明されているかをみます。
駒井哲郎の生前昭和48年11月30日付で美術出版社から刊行された最初のレゾネ「駒井哲郎銅版画作品集」には、1935年の「河岸」から、1973年の「街」まで227点の銅版画が収録されており、この「GOLGOTHA」に挿入された作品のデータは以下のように記載されています。
52 鬼火 アクワチント 12.8×10.5cm 1953 限定15部
(52-53 岡安常武詩集<GOLGOTHA>挿絵,歴程社,1953)
53 GOLGOTHA アクワチント 12.8×10.5cm 1953 限定15部
また同書149ページの年譜欄・詩画集,オリジナル版画集のところには、「岡安常武詩集<GOLGOTHA>15部 歴程社刊, 1953」
以上です。
作家自選によるこの最初のレゾネの記述が後に刊行される没後のレゾネや、東京都美術館の1980年の「駒井哲郎銅版画展」図録にも踏襲されています。これだけ読むとこの銅版画は1953年に15部が刷られたと思わざるを得ない。
もうひとつ文献を参照しましょう。
駒井没後の1982年に形象社から刊行された『駒井哲郎ブックワーク』は岩部定男さんが編集した268ページの労作で、駒井研究には欠かせない資料ですが、その91ページに<GOLGOTHA>の表紙と挿入された2点の銅版画、合わせて3点の図版が掲載され、以下のように説明がされています。
『岡安常武詩集GOLGOTHA』への銅版画による挿絵は二点。「古い程村紙・・・ それに雁皮をつかって、自分で造ったインキで印刷した。」という。柔らかい紙に、灰色調に近いインキでパステル画のような刷りであっつあ。奥付には限定五〇部とあるが、銅版画の限定部数の書き込みは一五部であった。定価三千円。
なるほど、図版を詳しく見ると作品左下に4/15と読める限定番号が記載され、作品右下にTetsuro Komaiの鉛筆サインがされています。前述のレゾネの説明よりは丁寧ですが、「奥付には限定五〇部とあるが、銅版画の限定部数の書き込みは一五部であった。」という記述もいまひとつ曖昧な説明ですね。詩集の部数が50部であり、うち15部に限定部数が記載されていると読めますが、では残りの35部に駒井哲郎の版画が入っていたのかいなかったのか、よくわかりません。
では実物を見ましょう。
駒井哲郎の銅版画が2点挿入されています。作品にはサインも限定番号も記載されていません。奥付を正確に引用しましょう。
GOLGOTHA
昭和28年4月5日印刷・昭和28年4月10日発行・50部限定・No.24(*数字は手書き)
著作者岡安常武・刊行者草野心平・印刷者松本昌平・印刷所両毛印刷株式会社
定価2,000円
刊行所東京都練馬区下石神井1.403 歴程社
以上が全文です、あっさりしたものです。
駒井哲郎の名は奥付にはなく、9ページ目にあたるところに「装画 駒井哲郎」とあるのと、61ページの後記に「最後に、一面識もなかつた僕に 陸離として蒼明を幻ずる、すばらしい銅版画を送つて下さつた駒井哲郎氏に深謝します。昭和二十八年二月二十七日記」とある二ケ所にあるだけです。
私が手にした詩集は限定50部のうちの24番と記されたものですが、挿入された2作品にはサインも限定番号も入っていません。作品名もどこにも明記されていません。
上述の文献類と実物を確認してやっとこの詩集がいくつ出されたのか、私はわかりました。
つまり、レゾネの記載は正確ではなく、
『岡安常武詩集GOLGOTHA』は限定50部が制作され、駒井哲郎の銅版画2点が挿入された。うち15部に自筆サインと限定番号(1/15~15/15)が記入され、残り35部にはサインも限定番号もない銅版画が挿入された。サイン入りの定価三千円、サイン無しの定二千円。
ということになります。
挿入された2点の銅版画はその後、駒井先生がセカンド・エディションしていますが、それについてはあらためて論じましょう。


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