前回掲載した「束の間の幻影」の限定番号は<Ep>です。
駒井哲郎の文献にはどのように説明されているかをみましょう。
駒井先生の生前昭和48年11月30日付で美術出版社から刊行された最初のレゾネ「駒井哲郎銅版画作品集」には、
29 束の間の幻影 アクワチント 18.0×29.0cm 1951
限定30部(1/20-20/20, I/X-X/X印刷) E.A.
と記載されています。
う~ん、難しいですね。つまりこれをそのまま読むと、この生前のレゾネ刊行時の1973年時点での駒井先生自らの記録によれば、2回にわけて20部(1/20-20/20)と10部(I/X-X/X)が刷られ、その他にE.A.が何部かあることになる。
次に、没後の1980年の大回顧展、東京都美術館「駒井哲郎銅版画展」図録には、
36 束の間の幻影 アクァチント 18×29cm 1951
Ed 20, 30, X, E.A.10
と記載されています。
ますますわけがわからなくなる。
相当の部数が増えています。生前のレゾネの記載が間違っていたのか、それとも1973年の刊行後から亡くなる1976年までの間に、新たに刷ったのか。これだけではわかりません。単純に計算すると、20+30+X+E.A.10=70部となります。
それでは、私の手許にある資料から実物の限定番号を拾ってみましょう。
1)東京都現代美術館
同館は2点所蔵しており、<Ep.>と<V/X>です。
2)埼玉県立美術館
図録を見ると<E.A.>と記載されています。
3)町田市立国際版画美術館
図録を見ると<IV/X>です。
4)福原コレクション
世田谷美術館に寄託されており、<Ep.>です。
5)佐谷画廊
同画廊が1999年5月に展示したリストには、<Ⅲ/X>と記載されています。
6)不忍画廊
同画廊が2001年6月に展示したリストには、<E.A.>と記載されています。
尚、4)と6)の作品は別のものです。
(私はマックで書き込みしているのですが、ローマ数字がウインドウズでは文字化けしてしまいます。III/Xなどと記載したのはアルファベットで代用したためです)
上記の資料でお分かりの通り、駒井哲郎「束の間の幻影」という名作は、1951年に原版が制作され、その後何度も番号入りや、Ep.が刷られました。
最低でも70部は刷られたことになります。
ではそれだけか?
駒井哲郎の文献にはどのように説明されているかをみましょう。
駒井先生の生前昭和48年11月30日付で美術出版社から刊行された最初のレゾネ「駒井哲郎銅版画作品集」には、
29 束の間の幻影 アクワチント 18.0×29.0cm 1951
限定30部(1/20-20/20, I/X-X/X印刷) E.A.
と記載されています。
う~ん、難しいですね。つまりこれをそのまま読むと、この生前のレゾネ刊行時の1973年時点での駒井先生自らの記録によれば、2回にわけて20部(1/20-20/20)と10部(I/X-X/X)が刷られ、その他にE.A.が何部かあることになる。
次に、没後の1980年の大回顧展、東京都美術館「駒井哲郎銅版画展」図録には、
36 束の間の幻影 アクァチント 18×29cm 1951
Ed 20, 30, X, E.A.10
と記載されています。
ますますわけがわからなくなる。
相当の部数が増えています。生前のレゾネの記載が間違っていたのか、それとも1973年の刊行後から亡くなる1976年までの間に、新たに刷ったのか。これだけではわかりません。単純に計算すると、20+30+X+E.A.10=70部となります。
それでは、私の手許にある資料から実物の限定番号を拾ってみましょう。
1)東京都現代美術館
同館は2点所蔵しており、<Ep.>と<V/X>です。
2)埼玉県立美術館
図録を見ると<E.A.>と記載されています。
3)町田市立国際版画美術館
図録を見ると<IV/X>です。
4)福原コレクション
世田谷美術館に寄託されており、<Ep.>です。
5)佐谷画廊
同画廊が1999年5月に展示したリストには、<Ⅲ/X>と記載されています。
6)不忍画廊
同画廊が2001年6月に展示したリストには、<E.A.>と記載されています。
尚、4)と6)の作品は別のものです。
(私はマックで書き込みしているのですが、ローマ数字がウインドウズでは文字化けしてしまいます。III/Xなどと記載したのはアルファベットで代用したためです)
上記の資料でお分かりの通り、駒井哲郎「束の間の幻影」という名作は、1951年に原版が制作され、その後何度も番号入りや、Ep.が刷られました。
最低でも70部は刷られたことになります。
ではそれだけか?
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