19年前の今日、つまり1987年2月22日、アンディ・ウォーホルが死んだ。その4年前に私は生まれて初めてパスポートをとって独りニューヨークへ渡り、ウォーホルと会った。何十ページもの契約書を交わし、「KIKU」「LOVE」のエディションにサインをして貰った。
ランチを一緒にし、「君の肖像も描いてあげるよ」と言われたのだが、遠慮してしまった。
続いて企画していた「昭和の日本人」シリーズのために、湯川秀樹、山口百恵、長嶋茂雄、松下幸之助、芥川龍之介、坂東玉三郎らの写真も持っていったのだが、これは不発に終った。ウォーホルが知っていたのは玉三郎だけだった。
1989年に私は息子たちとニューヨークを再訪したのだが、そのときファクトリーの主はもういなかった。
そしてまた何年かが過ぎ、5年前の2001年2月22日、ウォーホルの命日に友人の栗山豊が死んだ。
街で倒れ、病院に運ばれたが、誰にも看取られず、枕元にあった手帖から看護婦さんが友人たちに電話してその死を知らせた。
栗山は、知る人ぞ知る史上最強のウォーホル・ウォッチャー だった。
栗山は、1946年に和歌山県の田辺に生まれた。父が南方熊楠に師事し たというから、後年の何でも蒐集癖は血かも知れない。文化学院を卒業後は、 新宿、銀座、上野の街頭で似顔絵描きとして暮らした。暖かくなると旅に出て、全国の主要なお祭りはほとんど制覇した、寅さんの如き生涯だった。彼が60年代から集めた膨大なアンディ ・ウォーホルに関する資料類は、1983年、及び1996年の大規模な回顧展の折にはカタログ編集の重要な源泉となった。
ウォーホルの命日に死ぬなんて彼らしいね、と友人達は追悼会で天国の二人の再会を祝した。
栗山のことはもっと書かねばならぬが、今日は静かにウォーホルと栗山の冥福を祈ろう。
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