なかなか纏まった時間がとれずすいません。
そろそろ結論に入りましょうか。
名作「束の間の幻影」は今まで見て来た公刊された資料によれば、少なくとも70部は刷られたようです。これはレゾネなど各資料に明記された限定部数を単純に足した数字が根拠です。

しかし、駒井先生の時代の限定部数には以下のようなやっかいな場合もあります。
駒井先生の没後の1979年、美術出版社から刊行された『駒井哲郎版画作品集』には366点が収録されており、生前の『駒井哲郎銅版画作品集』に漏れたものやデータの遺漏を修正しています。
近くにいらした加藤清美先生がこの『駒井哲郎版画作品集』の中で重要なことを書かれています。以下< >内が引用です。

初期作品など、限定総数のすべてが市場に出たとは考えられないものもあり、また第一の限定数未満で打ち切られ、第二の限定に移った作品もあると思われる。

 困りましたねえ。ここでいう<初期作品など>に「束の間の幻影」も含まれるとしたら、私が前述した「少なくとも70部は刷られた」という根拠自体が怪しくなってしまいます。
加藤先生の上述の文章は私たちプロにはすぐに合点がいくことなのですが、一般の方には何のことかおわかりにならないでしょう。

 駒井先生のみならず、版画家にとって1950年代の日本には制作をサポートしてくれる版元や工房が少なく、また画商による版画の流通システムも、市場自体も非常に未成熟でした。
どういうことが起こるかといいますと、作品に記入された限定部数の分母は必ずしも実際の刷り部数を反映せず(つまりいっぺんに限定部数を刷るということは稀でした)、版画家たちは注文に応じて少しづつ刷って、その都度次の限定番号(分子)を記入していくという具合でした。
 駒井先生のような若くしてスターになった作家ですらそうだったようですから、まして売れない版画家たちは、例えば限定50部と記入されていても、50部を一度に刷り切ることなんかなかったわけです(売れないのに刷っても紙代はかかる)。
実務的な版画家や、優秀なマネージャー(多くは夫人)がいて、きちんと限定番号の記録をノートしておけば問題はないのですが、長年のあいだには記録の漏れや紛失も起こることもあるでしょう。ついつい記録をしそびれることもあるかも知れない。
そうなると、何番まで刷ったかわからず、結局<第一の限定数未満で打ち切られ、第二の限定に移>らざるを得ない状況になります。駒井先生もそういうことがあったと、加藤清美先生は証言しておられるわけです。

 駒井先生は1954年のパリ留学時にはこの「束の間の幻影」の原版を持参し、パリでも刷っていました。記録にはない「Ep.」もきっとあったに違い無いと私は推測しています。
こういう話しをやり出すときりがありませんね。
 結論は、名作「束の間の幻影」は何度も刷られた、その部数は70部前後、もしくはそれ以上刷られたのではないか。にも拘わらず、この作品の評価は益々高騰している、ということでどうでしょうか。