ホリエモンのライブドアの粉飾決算が連日報道されている。
引き合いに出されるのが「西武鉄道」と「カネボウ」、ともに実体を闇に葬り、株主を欺いた。
花王への事業売却をドタキャンして迷走、産業再生機構にかけこんだ「カネボウ」だが、結局、花王の傘下での再建に。
明治20年創業の名門で、戦前、日本の全産業の中でダントツの売り上げ第一位を占めていた超大企業が崩壊した。
亭主は1990~95年まで、736ページという電話帳並の大部な本『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』を編集していたので、資生堂はもちろん、企業の社史をかなり専門的に集め読みふけったことがある。
いまでこそ世界的な大企業である資生堂は、戦前は鐘紡には比べるべくもない零細企業で、何度も存亡の危機に陥り、乗っ取り騒ぎ、人員整理(くび切り)、身売り話し、はては税金滞納で国税庁から差し押さえまで受けた。凄いのはそんな苦境時でもギャラリーの灯は消さなかった。
(「画廊主のエッセイ」を参照下さい)
一昨年2004年の春、資生堂の椿会展のために原稿を頼まれ、その中に「星製薬、日本楽器、鐘紡などの大企業が宣伝や社会貢献を目的にギャラリーを持つことも珍しいことではなかった」という一文を書き入れた。
今はない星製薬(作家・星新一の父の会社)は大正時代に、日本楽器と鐘紡は昭和戦前期にともにギャラリーをもっていた。当時の若い前衛画家たちの発表場所として重要な歴史的位置を占めており、美術史研究者なら誰でも知っていることだが、日本楽器、鐘紡両社の分厚い社史には「ギャラリー」のギの字もない。つまり、社内では「たいしたものじゃない」という位置付けで、自社の文化的資産の重要さに気付いていない、すっかり忘れ去られている。
因に、戦前「鐘紡サービスステーション」で展覧会を企画していたのは「和田六郎」という警視庁鑑識課あがりの人だった。推理小説のファンならぴんとくるかも知れない、後に「大坪砂男」と名乗り処女作「天狗」や「私刑」で知られた推理小説家である。
そんな面白い人材を抱えていた日本の繊維産業の名門企業が素晴らしい染織コレクションを蒐集し、大阪に美術館(鐘紡美術館)まであることを知っている人が何人いるだろうか。日本の小袖・能衣裳・古代裂(ぎれ)、エジプト・コプトの染織裂、南米プレインカの染織裂、インド更紗、インドネシア・インド・日本の絣、ペルシアの染織裂、ヨーロッパ近世の染織裂など、その数約1万2000点。
今回の企業破綻で、これらの美術品の運命もどうなることやら・・・・。
「文化」はすぐには金にならないけれど、しかし企業の歴史や長年にわたり培われた社風を支える「何か大切なもの」を次の世代の社員に伝える役割を持っているのだが・・・・。