日和崎尊夫展看板


 柄澤齊さんなど親しい人たちは「ヒワさん」と呼んでいたそうだけれど、日和崎尊夫のちいさな展覧会に出かける。ギャラリーに入るといくつかの額縁がみえて、中心に黒いものがうごめいているのが、日和崎さんに対する印象なのだけどちょっと踏み入れようとすると、うごめいているものの正体は光の痕だった。ビュランによって、というよりも日和崎さんのそのものの生きた痕に感じられるのは、柄澤さんによる日和崎さんの弔辞を読んだからなのかもしれない。
 相当荒れた生活をしていた時期もあったらしい。とにかく酒をくらって暴れていたとか。こないだの柄澤さんの展覧会でもみえていたシロタ画廊の白田さんが他のどんな芸術家よりも日和崎さんが印象に残るといっていた。柄澤さんが日和崎さんと飲んだあと、サッカーボールをみつけるとひたすらそれを蹴りつづけていて、すなわち日和崎さんは木版のうえで光を蹴り続けていたという文章。
 冒頭に展示されていたのは海景で、浜からみた海のかたち。波がこちらにむかってうねっていて、巨大な太陽が海から出てきたほどに海岸線ぎりぎりに燃えさかっている。これがギャラリー「ときの忘れもの」の構成かい。ちょっとニヤリとする。波はとても優しく、そして荒い波が光の線で彫られている。夏という季節を意識したというのもあるのだろうか。隣に蔵書票4点ほど。すでに人名が彫られていて、植物と「EX-LIBRIS」のフォントが構成されている内容でしっくり落ち着いている。
 「」「」「」の作品は、日和崎さんの火に対する表現が印象に残る。紙そのものが燃えている。彫りのあとから平刀をつかっていると思うのだが、焔の中心が白く徹底的に彫られていて、まわりに徐々に黒がのこっていく感じでの焔の表現なのだけど、刀は平刀であるにもかかわらず、刀先がカーブしていて、しかもそれが微妙に濃淡がグラデーションする彫り跡を残している効果がそのまま焔と直結している。さらにインクをとおしてかすかに椿の木肌がみえ、生命が感じられる。ぼくには木肌がみえるけれど、他の人はどうだろう。意見をうかがってみたい。この焔は、摺られている紙すら燃やしてしまいそうだ。
」「薔薇刑」などは植物質の人物、昆虫だとおもう。現実の科学的にはありえない存在が紙の先にいるのをみると、中世の版画で博物誌的な記録的な版画たとえば、ユニコーンや巨人を思い出す。人物は同じ人間のかたちをしているにもかかわらず、肉体を構成している細胞が僕たちのそれとまったく違っていて不思議な感じ。薔薇が肉体から生えているようにみえるからなのかもしれない。「寓意」の目、手の神秘的な中世敦煌の壁画のような。。
 KALPAは三点ほどですでに367500円の値段がつけられている。この値段はお得かもしれない。みつめていると、木の年輪をなぞったかのようだ。裂けている版木を使っているところもあって、そこを見つめると、黒がめり込んでいる!紙の白い部分よりもインクの黒い部分が低くなっているのだ。とてもやわらかく厚みのある紙を使っているんだろう。うおおおお、と叫びながらインクを紙に刻む印象。だから、白い点々がひとつひとつ浮いて見えて、止まっているはずの白い独立した部分が浮遊しているように見える。光を生かすためには、闇をきちっと描くということだ。そして、ビュランは長い線、短い線、かすり線、深い線、浅い線、おのおのの線がまるで日和崎と椿の木が一体化するかのような印象がする。それに、目で日和崎の光をなぞると、手で版画にふれたような凹凸の感覚 ー 光と闇に触れている感覚が目で再現されてくる。
 ギャラリー「ときの忘れもの」にある写真にはギャラリーの主が日和崎のスタジオに訪れていた写真があった。高知県なんだろう。みると、木に囲まれたプレハブのような小屋で、お世辞にも豪華とはいえない。ボロである。カレンダーは1991年のまま(日和崎は1992年に亡くなっている)で、どっかの店からもらったもので店名が印刷されているものが無造作に置かれていた。机にはビュランがごろごろしていて、インクの黒いあとがたくさん水しぶきのようについている。窓からは木も見えるしどこか遠い風景が見えるから丘の上みたいなところにあるのだろう。机の上に木の板がたてかけていて、フックがいくつもあってはさみとか道具がぶら下げてあった。梁には酒があって、彼の俳句が窓の横に貼られている。蝉の俳句。版木は棚に積み重ねられている。自宅の写真もあってこちらは普通なんだけど、アトリエと自宅を別にしていたんだろう。夜になるときっととても暗いだろう。こういう部屋で作品をつくっていたのか。
 日和崎さんに関する本を読むと、版木は椿を使っていたらしい。椿を切るときは自分で切るべきだったとか(そのあたり情報は正確ではないかもしれない)・・酒を椿の根本にかけて「傑作を彫りますきに勘弁してください」と椿に向かって言ったと柄澤さんが述懐している。
日和崎のは他の版画家と全く違う世界。版画というのは、一回彫った線をやりなおすことはできない。一本の線が版画そのものを壊してしまうこともある。だけど、日和崎さんの線は、そんなことではない・・・版画ではないとも思う。木の模様 ー 木とコミュニケーションしながら、木の意識を取り出そうとするということを栃木県立美術館の学芸員さんが書いていて、いい表現だと思うけど僕は、木に向かって行った、木に自分を突き立てたいという衝動がとてもする。というのは、1995年にあった日和崎尊夫展でのカタログの一枚目にはKALPAの版木の写真があるのだけど、これがびっしりと版木全体に深くえぐったあとがあって、版木が木であることすらわからないほどだということがとても印象深かったから。この展覧会のタイトルは「闇を刻む詩人」とあったけれど、版木の写真をみると光というニュアンスが結構するけどね。光を版木に叩きつけている。
 最後、ガンにかかった日和崎さんは病巣の声帯をとられ、話す事もできなくなっていたらしい。もう少し生きていたら、とも思う。声が出せない版画家がどのような作品を生むのか、つまり、柄澤さんは日和崎さんの作品を原始人が壁画に刻んだような感じだとおっしゃっていたけど、その言語としての音声を身につけていなかったであろう原始人と日和崎さんを重ねてしまう。
 日和崎さんの弔辞で、海は深いほうがいい、空は近いよりは宇宙の先のようなはるかに遠いほうがいい、という言葉が紹介されていて、やっぱり僕は聞こえない身体をもっている人間として、聞こえないというまったく無音でカーンと凝固している地平線の先にいきたいなと改めて強く思う。なにかとても音楽的な、きわめてリズミカルな、とてもあでやかなものに出会えるかもしれないのだ。
 こんなことを書いていると、あの世から日和崎さんが飛んできて「こらァ!わかったようなことをふくな、このおんどりゃア!」と蹴りかかられそうだ。
                     (きのしたともたけ)

*COETZER'222の連載コラム(2006年7月27日付)より、筆者の了解を得て転載させていただきました。
http://roo.to/sourd/

日和崎尊夫展B

日和崎尊夫展C


*7月21日~8月5日の会期で開催した「闇を刻む詩人 日和崎尊夫展」にはたくさんのお客さんにご来場いただいた。直接感想を述べていかれる方や、MIXIやブログでご自身の思いを書かれている方も少なくない。最近の検索エンジンは瞬時にそれらを教えてくれる。
上記の木下知威さんの文章も、偶然検索で見つけたものだが、若い男性の率直な物言いが好ましく、早速転載をお願いした次第です。
快く許可して下さった木下さんに感謝します。