駒井哲郎樹木ルドンによる素描

 前回は駒井哲郎の名作「樹木 ルドンの素描による」について文献に記載されている限定部数が混乱しているということを書きました。
つまり、レゾネなど文献4種類には、125部、152部という限定部数表記が混在し、実物の詩画集には、150部、152部という限定部数表記が混在する、不思議な事態が生じているわけです。
125部、152部、150部と3種類もの限定部数がある!?

これをどう考えるべきか。
答えは簡単で、常にわれわれの仕事は、オリジナルに還れ、実物第一主義です。
私が入手した実物にははっきりと分母が「152」となっている。

では他の文献は全て間違い、そう断定していいのか。
ところが今回の場合、「樹木 ルドンの素描による」が挿入された小山正孝との詩画集「愛しあふ男女」の奥付には、<限定150部>と記載されている。
作品も実物なら、挿入された本体の詩画集奥付も、まあ実物といっていいでしょう。困りましたね。

いったいこれはどうしたことでしょうか。
考えられる事態をひとつひとつ検証してゆきましょう。

1)実物に記載された分母152は正しいのか。
だいたいにおいて<152>部なんてへんな限定部数ですね。
<150>のほうがすっきりしてます。これはもしかしたら駒井先生の誤記ではないのか。
こういう疑問を抱くのはそういう記載ミス(誤記)が現実にありうるからです。私は長く版元をしており、今までに1000点をこえる版画をエディションしてきました。限定番号は作家が記入する場合と、版元が記入する場合の二通りあります(これはルール上広く認められています)。経験則からいうと、分母の誤記、分子の誤記、両方あります。ほとんどの場合、すぐにその場でわかります。万一見落としても検品作業でチェックしますので、そういう誤記のものが市場に出ることはまれです。
ではこの場合はどうか。
私が入手した実物には前回写真で紹介したとおり、<50/152>とはっきり記入されています。
また、『駒井哲郎ブックワーク』(1982年 形象社)94ページに掲載された図版を虫眼鏡で見ると確かに105/152となっています。他に確認できるといいのですが、まあこれで限定<152>は間違いないでしょう。因みに東京都現代美術館所蔵のものは<EA>です。

2)詩画集「愛しあふ男女」の奥付<限定150部>の記述は間違いか。
実物の作品は<152>、奥付は<150>、ミステリーです。
考えられるのは、ユリイカの伊達さんの単純なミスか、双方の行き違いですね。
駒井先生と小山先生、ユリイカの伊達さんの事前の打ち合わせでは<150>だったものを、駒井先生が何らかの事情で限定部数を<152>としてしまった可能性もあります。
しかし、詩画集は150冊(1~150番)なのに、挿入した版画が152部(1~152番)だとしたら、詩画集が足らなくなるはず(実際にはEA分など余分に作っているので大丈夫ですが)、どう始末したんでしょうね。

3)レゾネなどの文献の<限定125部>の記述は間違いか。
そもそも、駒井哲郎先生の生前に刊行されたレゾネ『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社)の記述が<限定125部>となっており、他の文献はそれを検証もせずに丸写ししたものと思われます。
では、レゾネに記載された<限定125部>は間違いなのか。
考えられるのは以下の二つの場合です。
 a)<152>を<125>と間違って印刷してしまった。
だいたい152部なんて普通はない限定部数ですから、当時の美術出版社の編集者が<125>の間違いじゃないかと思い込むのはありうることです。その折、現物を確認しなかったんでしょうね。
 b)125部限定のものが実際に存在する?
実はこれが一番心配なところでして、この連載をお読みの方はよくおわかりと思いますが、駒井先生はセカンド・エディションの常習者でした。
代表作「束の間の幻影」や「丸の内風景」などは何度も後刷り(セカンド・エディション)されています。
その伝でいえば、もしかしたら詩画集に挿入した<152部>のほかに、単品で<125部>別刷り(セカンド・エディション)をした可能性も全くないとはいえません。
果たして真(事実)はどうだったんでしょうか。

何事も1%でも可能性がある限り、私たちの探索の旅は続きます。
それにしても駒井先生の作品、複雑ですねえ。
              2006.12.18 綿貫不二夫