足利・友愛足利で川島展足利・川島展画面をクリックすると拡大します。

栃木県足利市の足利商工会議所ギャラリー・カッサ、バブル崩壊で足利銀行がつぶれた後の建物を商工会議所が買い取り、町おこしの一環で、昔の金庫室だった場所をギャラリーにして種々の催し物をしています。

4月から来年3月まで(四ヶ月ごとの展示換えあり)は、郷土の画家・川島理一郎展です。
市内にある川島作品を集めて展示していますが、資料コーナーに「川島理一郎と福原信三」というパネルが展示されています。
パネルも四ヶ月ごとに架け替えするのですが、その制作を少しお手伝いしました。
内容は以下のようなものです。

川島理一郎は足利出身の洋画家で、少年のころ、事業に失敗し渡米した父の後を追い、アメリカで苦学して画家を目指します。
1908年(明治41)、コロンビア大学薬学部に留学するため渡米した資生堂の御曹司・福原信三と知り合います。
福原の回想によれば「レーク・プラシッドに保養してゐたが、或日友達が訪ねて来て、附近のチャーチの庭で、キャンプしてゐる日本の画家が絵の展観をしてゐると云ふことであつたので見に出かけた。この画家が川島理一郎氏で、この時初めて川島氏を知」り、数点の絵を買った(雑誌『アトリヱ』昭和13年4月25日号<福原信三 蒐集を語る モネー、ピカソ、ゴンチャロバなど>)ことで親交が始まります。

いわば明治の青春、苦学生(画家)とリッチな御曹司との幸福な出会いがあり、画家は生涯のパトロンを獲得し、御曹司は語学と芸術に造詣の深い優秀なブレーンを得た物語です。
1872年(明治5)創業の資生堂はわが国初の洋風調剤薬局としてスタートします。
それが二代目の福原信三になり、大正時代に薬品から化粧品へ事業を大きく転換させます。
1919(大正8)年には資生堂ギャラリーを開設します。オープン展は川島理一郎展でした。企業メセナの先駆者として資生堂が今日ある、そのかげには福原信三と川島理一郎との出会いと、川島に導かれて知ったパリでの文化的体験がありました。

今では忘れられた画家のひとりである川島理一郎の小展覧会ですが(2002年に栃木県立美術館で回顧展が開催された)、お近くの方はぜひお出かけください。入場無料です。