先般の中越地震の復興もすまぬうちに、またもや大きな地震。
被災者の皆さんには心よりお見舞い申し上げます。 

先日、このブログで、私の母校、高崎高校の音楽部マンドリン・オーケストラ(TMO)の第40回定期演奏会のご案内を致しましたが、無事、盛況のうちに終了することができました。
ブログで読まれた方や、私の強引な勧誘にまけて、わざわざ新幹線に乗って東京方面から来場された方、遠方から来場された皆様に先ずは厚く御礼申し上げます。
7月16日の当日は、心配された台風も過ぎ去りお天気に恵まれたのは良かったのですが、新潟の地震で新幹線などがストップし、一時はどうなることかとはらはらしました。
第一回目の揺れはちょうどゲネプロ(本番前の最終練習)のときでした。
二回目の揺れは演奏会の最中でしたが、運よく第二部と三部の間の休憩時間のときで、客席はざわめいたものの、演奏中ではありませんでした。

おかげさまで、入場者は921名。
その他の私たち出演者、スタッフを合わせると130名(記念写真の撮影が大騒ぎでした)、どうやら目標の1000名の観衆は達成でき、現役高校生たちは初めての大舞台に感激の様子でした。
本日18日の上毛新聞には大きな写真入りで<大舞台で迫力の演奏>と当日の様子が紹介されています。
以下は当日の様子です。
TMO1
7月16日午後2時、予定通り開演。
第一部で勢ぞろいした現役、OB、賛助の皆さん、合わせて68名。
テーマソング「草原」に始まり、「マチョッキ作曲 セヴィラの碧空」「喜多郎作曲 シルクロードより」を演奏しました。
高崎高校マンドリン・オーケストラ(TMO)は1960年の創立以来、半世紀近く卒業生と現役の高校生が一体となって演奏を楽しむオーケストラとして活動してきました。
私たちが最も誇りに思うのは、演奏に参加するOBだけではなく、裏方をつとめるOBスタッフがたくさんいることです。年に一度のイベントに全国からOBたちが続々と会場にかけつけます。
毎年欠かさず参加する者もいれば、数十年ぶりに顔を出すOBもいます。

TMO4
メンバーの年齢差47歳!
指揮は高校3年生の相馬君。相馬君の右のたこ入道が私です。

TMO5高女
招待演奏してくれた高崎女子高校マンドリン部の皆さん、総勢42名。
「ロシア民謡 郷愁」「モーツァルト作曲 歌劇<魔笛>序曲」を演奏してくれましたが、いやあ圧巻でした。さすが、群馬県代表に選ばれただけはある、見事な演奏でした。

TMO2
第二部は現役生だけのステージ。
可愛い後輩32名の勇姿です。
多くの観客の皆さんが見守る中(みんな失敗しないかとはらはらしている)「レクオーナ作曲 マラゲーニア」「久石譲作曲 アシタカせっ記」「葉加瀬太郎作曲 情熱大陸」「バルバラ作曲 黒いワシ」「Jレノン&Pマッカトニー作曲 オブラディ・オブラダ」「坂本浩美作曲 旅立ちの日に」などを演奏。
第二部の最後は、本日限りで引退する3年生4人が「カノン」を演奏。
初々しい、しかししっかりした演奏ぶりに、7年前僅か数名の部員で潰れかかったことを思い出し、老OBたちは涙にくれました。

TMO6
第三部は、再び現役とOBたちの合同演奏。
指揮は、私より9歳後輩の中屋洋一さん。
この日のハイライトは、現役3年生二人(最前列、指揮者の右が部長の田村君、左が学生指揮者の相馬君)が「ヴィバルディ作曲 二つのマンドリンのための協奏曲ト短調」全三楽章に挑戦し、見事に弾きこなしたことでした。

続いては、TMOが若き作曲家・小林郁代さんに委嘱した「光の舞曲」の世界初演!
今回の定演では、お正月から14回のOBと現役の合同練習を重ねてきたのですが、この曲が最も難関でした。結果は・・・・・
光の舞曲


TMO3
40回記念の定演にはたくさんのゲストをお招きしたのですが、何といっても群馬交響楽団の首席ヴァイオリン奏者・秋葉美果さんの登場が、会場を沸かせました。
私たちをバックに「サン=サーンス作曲 ハバネラ」「モンティ作曲 チャールダーシュ」の2曲を華やかに演奏してくださいました。
現役高校生がプロの奏者と共演できたことは生涯の思い出になるでしょう。

プログラムの最後は「Jシュトラウス2世作曲 美しく青きドナウ」。
弾き終り一瞬、虚脱状態に。
でもまだまだ演奏は続きます。

たくさんの拍手にうながされて指揮者が再び登壇し、アンコールに。
毎年TMOは、観客の意表をつくアンコール曲の選定に苦労するのですが、今年はいつになく燃えました。演奏したのは「星降る街角」。

前奏が始まった途端、期せずして会場から手拍子が起こりました。
私たちものりに乗って弾きまくりました。

恒例のエンディングは「芥川也寸志作曲 高崎高校校歌」。
この曲で、3年生は引退し、明日からは受験勉強に。
2年生、1年生は、また来年を目指しての練習が始まります。

私たち老兵は、しばらく体を休め(もうくたくたですな)、来年お正月から次回の定演の練習が始まります。

先日もご紹介しましたが、今年の会場となったのはアントニン・ レ-モンド設計の群馬音楽センターでした。
私がこの舞台に初めて立ったのは、竣工間もない46年前の1961年秋、11月21日でした。
高崎市民音楽祭への参加で、あのときの高校生一年生は、今では還暦を過ぎ、愛する孫が会場にきてくれる歳になりました。
もっともまだ七ヶ月ですから、じいちゃんの雄姿を認識できたかどうか・・・

ご来場いただいた皆さん、声援を送ってくださった方、差し入れや花束を贈ってくださった皆さん、仕事を放り出して練習にかけつける私をやさしくフォローしてくれた社長やスタッフの皆さん、そしてTMOの仲間たち、ほんとうにありがとうございました。