「土曜日の満ち足りた午後」北端あおい
夕方だというのに、まるで沈むのを忘れているみたいな太陽が膚を刺すように熱い午後、念願のジョック・スタージス展へ。駅からすぐちかくの不思議な小道の一隅、それこそひっそりと通り過ぎてしまうようなところに、ギャラリー「ときの忘れもの」はありました。
さっそく中に入って、写真を見る。ギャラリーの方に、写真がヌード村(?)のようなところで撮影されたものだとうかがった。きらきらした目で、髪を風に嬲られながらたたずむ全裸の少女たち。連れだっていったひとが「警戒心が全然ないね」といったのはまさにそのとおりだったよう。
写真の女の子たちは、一糸まとわぬ姿でもごくごく自然、伸びやかな肉体は、健やかな生命力の象徴としてただ純粋に美しい。エロティックさや特有の危うさが全然なかったのには、反対に驚いてしまう。脱いでいなくてもカメラを前にして構えてしまうことは必ずあるはずなのに、恐ろしいくらいに無防備で邪気がない。写真を眺めていると、衣類を纏いつづけるこちらのほうが異端かもしれないとどきりとさせられた。そういうとき、わたしは遠い遠い昔、あの禁断の実を確かに食べたのにちがいないのだと思い知らされる。それで、わたしたちはこちらがわで息を潜めながら、不思議な距離感をもって写真のなかの世界をそっと覗き見ていたのでした。
人が纏っていたものを脱ぎ捨てて剥き出しになるとき(それは形而上でも形而下でも)、気持ちが開放的になっているのか、それともより警戒心がより募っている状況なのか、それは自ら脱いだときと強制されたときとではまったく違うはずだ。ただぼんやりと剥き出しの人を眺めているだけではわからない。事実は一つでも、真実は無数にあるのだから。
でも、スタージスの写真は開かれた肉体と同時に、そうであるのが自然な世界をも写真に写し撮ってかいま見せてくれる。写真を見るこちら側までも、自ら剥き出しにさせる力が彼の写真にはあるよう。いまだにあの写真を前にしたなんともいえない不思議な感じが消えない。
ギャラリーをでたあとは、アイスティを飲みながら本の話を思う存分にして、なんとも充たされた午後を過ごしたのでした。
**************************
画廊亭主敬白
8月の記録的な猛暑にもかかわらず、ジョック・スタージス展には連日たくさんのお客様に来廊していただき、作品も貧乏画廊にしてはこれも記録的に売れまして(笑)、心より御礼申し上げます。
いつもなら、画廊主の年齢に比例してお客様も年配の方が多いのですが、今回ばかりは若い方ばかり。来廊者、購入者とも30歳は若返ったのではないでしょうか。
芳名簿に書かれた皆さんの感想は先日もこのブログでいくつか紹介させていただきましたが、
私も参加しているMIXIには、熱心なファンの書き込みが少なからずあり、主催者として嬉しいことでした。そのうちのひとつ、北端あおいさんの「満ち足りた午後」(もちろんスタージスの写真集からの引用)と題された日記に私は深く感動しました。
ああこういう風に受けとめて下さったのだ、何も懸念することはなかった(後述)。嬉しくて早速、北端さんにメールを送り、転載を許可していただきました。上記が日記の全文です。
そもそもこの企画は、スタッフ会議で「何でも好きな企画をしていいよ」と言ったら、自身が大のファンでコレクターでもある三浦が、ぜひスタージス展をやりたいと名乗りを上げ実現しました。作家との手紙による交渉は、たまたまアメリカで開催された写真の会合で細江英公先生とスタージスさんが会い、「ときの忘れものってどんな画廊?」との疑問に細江先生が太鼓判を押してくださったこともありスムーズに進みました。
問題は作品の引渡しで、大方の皆さんもご承知と思いますが法律やらなにやらで、郵送を作家が嫌い、結局担当の三浦がはるばるシアトルまで受け取りに参りました。大の野球狂(それも憎っくき巨人ファン)でもある三浦は、おかげでスタージスさんとイチローの試合(それも桑田まで出た)を観戦するという幸運に恵まれました。ところが幸運は続かず、アメリカ出発の空港の荷物検査でひっかかり、警察まで出てくるという事態に・・・
「飛行機に乗れませんでした」という泣きそうな電話に驚き心配した私たちでしたが、まあ何とか嫌疑(?)は晴れ、一日遅れで帰国。開催にこぎつけた次第です。
そういう作品が果たしてどういう風に見られるのか、心配は杞憂だったようです。
北端さん、ありがとう。
展覧会は終了しましたが、展示できなかった作品を含め、いつでも画廊でご覧になれます。画像は公開できませんが、遠慮なくお問い合わせください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント