

先日、世田谷美術館で「福原信三と美術と資生堂」というちょっと変わった展覧会が開催されていることをご案内しました(11月4日まで)。
「企業と美術をテーマとする展覧会ときけば、普通なら企業なりそのオーナー社長が集めた絵画のコレクションの展示だろうと思うだろう。しかし今回の<福原信三と美術と資生堂>展は違う。これまでの美術史的な概念では今日の時代の美術を包摂しきれなくなった。時代の美術の新しい断面を開示して、創造性に富んだ内容をもった展覧会を企画したいと思った。」と同館の酒井忠康館長が述べている通り、企業のコレクションではなく、企業の活動自体をテーマにした展覧会です。
化粧品会社はあまたあれど、明治5年創業、135年の長きにわたり銀座を拠点に、リッチでスマートでモダンなイメージを崩さずに企業として存続してきたことは、偶然や幸運だけでなしうるものではない。
この展覧会の内容については、すでにいろいろ紹介されているので、割愛しますが、私はたまたま1990~1995年にかけて「資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994」という736ページの分厚い本の編集に参加していたこともあり、資生堂ファンです。
そんな縁で、少しだけこの展覧会のお手伝いをしました。
「えっ、何を手伝ったの」といわれるような、10人中9人、いや100人中99人までが絶対に気付かないような恐ろしくマニアックな仕掛けがあの展覧会には隠されています。
昨夜、ブログでこの展覧会を検索していたら、こちらが泣きたくなるようなある日記に出会いました。
以下、お許しも得ずに、その一部を引用させていただきます。
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<今日は偶然のできごとでカンゲキすることがあって身体が震えて泣きそうになった。それは世田谷美術館で開催中の゛福原信三と美術と資生堂展゛でのこと、゛ リッチでスマートでモダンで ゛という展覧会小見出しキッャチの通り、とても魅惑的な構成できらめく展示物がたくさん並んでいた。私は心をときめかせながらそれらに吸い込まれるように見入っていた。だから、気づくのにずいぶんと遅れたのだけれど、目線を下にやると広くて四角い展示室の足下の壁を取り囲むようにぐるりと低い位置に薄いグリーンの紙がつながって貼られていた。何かと思って近づいたら文字がびっしりと書いてある。どうやら資生堂ギャラリー開設当時1919年から現在に至るまで催された展覧会内容の年表のようだ。さすがに歴史があるから展示室から展示室へどこまでも横に続いて年表は長いのだ。>
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日記を書かれたみっちょるんさんは、そこに黒川紀章さんの名前を見つけて驚かれたのですが、それは本文を読んでいただくとして、以下が、その年表の展示スナップです、お分かりになりますか?(撮影禁止の会場ですが、これは私たちが作成に携わったので展示作業の折、撮影させていただいたものです)


会場の入り口から最後の部屋まで、延々百数十メートルにわたり、細い帯のようなリストには、1919年(大正8)12月から、2007年(平成19)の現在までに資生堂ギャラリーで開催された(開催が確認できる)約3000の展覧会のリストが刻まれています。
いやあ、これをひたすらパソコンで打ち込み、エポックとなるような展覧会には簡単な概要を記載し、へとへとになりながら作成しました。
オープニングのときも、ほとんどの人が気づかず、素通りでした(タメ息)。
歴史の厚みというか、志ある文化支援の凄みを感じさせるリストです(これは自画自賛ではなく、そういう歴史を築いてきた資生堂への讃歌です)。
このリストを見つけてくださった、みっちょるんさんへ心より感謝いたします。
これから世田谷美術館へ行かれる方、ぜひ足元に注目してください。しゃがまないと読めないくらい、ひっそりとしたリストです。
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