「満ち足りた午後」ジョック・スタージス写真展と「Body & Soul」展について

 ちょっと古い話になりますが、3年ぶりのジョック・スタージスの新作展をみるために“ときの忘れもの”を訪れたのは今年の8月のことです。スタージスは、ナチュリストの家族や少女を被写体とする写真家で、私は1992年以来、東京で開催された個展はおそらくすべて見ていると思います。大好きな作家です。

 ナチュリストですから、ほとんどのモデルはヌードです。その姿でバカンス中は生活し、スタージス本人も裸で撮影するようですから、スタージスのモデルは決して裸でいることを恥じることはありません。また、媚びることもなく、まっすぐにカメラを見つめるか、自分の用事(例えば単にくつろぐ事だったとしても)に没頭していて、モデルたちの存在そのものが、大切で美しいものに感じられます。うまく説明するのは難しいのですが、自然の中を歩いていて、不意に開けた視界に飛び込んできた空や海の美しさに似ているかもしれません。ですから、何十年も同じようなスタイルで撮り続けていても、スタージスの新作は、いつでもとても楽しみで、飽きることはありません。

 Body and Soul展でもスタージスの作品が展示されるというので、わくわくしながらギャラリーを訪れました。スタージスの作品のもうひとつの面白さは、同じモデルを何年もかけて、毎年撮影することです。今回も3年前に見たのと同じ子供たちが、3年分成長して前と同じ場所に立っていました。

 写真に写った名前しか知らない外国の子供が成長し、大人になって、子供を産んで、その子供たちがまたスタージスのモデルになる、その生命の当たり前の繰り返しが、とても豊かなことに感じられます。いろんなことを手に入れてしまうと、見失うこともたくさんありますから、裸んぼで、自分に身についたものだけで生活する経験をしたら、シンプルに大切なものが見えてくるのかもしれません。変な事件が多いから、なおさらそんなことを感じます。

 それにしても、どうしてこのギャラリーには、こんなによい作品が集まってくるのでしょう。本格的に写真を扱いだしたのは最近のことだと伺ったのに、Body and Soul展には、横浜美術館の写真室に展示されていてもおかしくない大作家の代表作が目白押しです。そんな作品がギャラリーにあるということは、ただ鑑賞するだけでなく、お金を工面できたら手に入れることができるということですから、コレクターにとっては幸せなことです。例えば、ガラスの原版がポンピドーセンターに収蔵されてしまって、もう新たなプリントがつくられることのないマン・レイの作品を、今どき個人コレクターが手に入れる機会がそうあるでしょうか?他にも作品を見ただけで作者がわかるような、有名な作品ばかりですし、逆に知らない作品でも、素晴らしさに引き寄せられてふとキャプションを見ると、やはり美術館に並ぶような作家の作品なのが、このギャラリーのキャリアと力なのでしょう。

 個々の作家や作品についてはよく知られていますし、“ときの忘れもの”のサイト内にも詳しいデータがありますから、私は特に触れないことにします。被写体重視のポートレイト、その時代から一瞬を切り取るスナップショット、隅々まで作家の意図が反映されつくりこまれた被写体など、いろいろな作家の視線の違いを考えてみるのも楽しいことでした。

 ただ、その中で唯一初めて作品を拝見した井村一巴という若い作家の2点のセルフポートレイトについては、6月に開催された井村氏の個展を見逃したことを大変後悔しました。正直なことを言うと、個展のDMを見たときには、描きこまれた絵がよく見えなかったので、特別な作品とは感じられなかったのです。モノクロのセルフヌードが焼き付けられた印画紙に、安全ピンできざみこまれた繊細な線の美しさは、やはり実物を見ないとわかりません。それに、“写真を支持体にした一点物の作品”ですから、気に入ったイメージに出会ったときの作品への愛おしさはひとしおでしょう。今回は大きな作品の展示でしたが、A5サイズ程度の小さな作品もあるようですから、是非見てみたいものです。

 写真の価格は、他の美術品に比べて格段に安いと思います。美術館や写真集で見て憧れていた作品を手に入れるのは、簡単なことではなくても、叶わぬ夢ではないはずです。また、今回展示された井村やイオネスコの作品のように、手に入れやすい価格のものもありますから、そういう作品を少しずつ集めるのも楽しいことです。

 撮影するのに一生懸命なアマチュアカメラマンの方には、写真展でどの作品がどういうテクニックや機材で撮影されたか考えるのでなく、ご自身がどの作品を買いたいと思うか、またその理由は何か考えて、そして何度も吟味して、いつか気に入った1枚を買ってみて欲しいと思います。本当に欲しいと思った作品を手に入れたときの喜びを知ったら、ご自身の制作にたいしての姿勢も変わるはずです。

 私は、日本では芸術作品としての写真の認知度がまだまだ低いと感じています。よい作品を受け入れる環境が、よい作家を育てます。そんな風になるようにというのが、写真画廊に勤めた経験のある私の願いです。
                          (おおかわらりょうこ)

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