永瀬義郎

永瀬義郎 Yoshiro NAGASE
「花 Flowers」
  1928 woodcut
  25.8x20.0cm
  版上サイン Sign on the plate

◆私が創作版画に入れあげていた1970年代には、昭和戦前期から活躍されていた多くの作家たちがまだご存命でした。
平塚運一先生、小野忠重先生、稲垣智雄先生、関野準一郎先生にはお目にかかり、いろいろ伺うこともできました。
永瀬義郎先生も、家が近くだったこともあり(永瀬家は石神井にあった)お元気な頃、ご自宅にお伺いして、旧友長谷川潔先生の思い出を聞くことができました。望郷の念にかられながらパリを離れない旧友のことを思い、ぼろぼろ涙を流すのでした。

私が永瀬先生に親しみを感じたのは、先生が土浦中学出身ということもありました。
永瀬先生は、1903年(明治36年)に茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)に入学します。絵画に興味を持ち始め、1904年に創刊されたばかりの美術雑誌「みづゑ」に水彩画を応募しています。
私事になりますが、この土浦中学というのは、私の祖父・篠原龍策が教師をしていた学校で、祖父は後に教頭となり、退職して昭和女学校を創立しました。祖父はもともとは群馬県嬬恋村の出身なのですが、家を飛び出し、代用教員からはじめ、盛岡、函館、静岡などで教師を勤めました。激しい性格で、校長と喧嘩したりで全国を転々としたようです。最後に土浦に落ち着き、自ら作った女学校に全精力をつぎ込み、1935年67歳で没しました。

それはさておき、この「花」という作品は、永瀬先生が1929年(昭和4)に横浜港から「香取丸」で、フランスに遊学する前に「永瀬義郎版画頒布会」の会員に頒布された作品です。
当時から、画家たちが留学費用を捻出する方法はかわりありませんね。

永瀬義郎(1891~1978)については、公式サイトに詳細な略歴が掲載されているので、それをご覧ください。

◆ときの忘れものでは、29日まで「恩地孝四郎と創作版画の作家たち」展を開催しています。

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