
先日、工学院大学名誉教授の荻原正三先生がいらっしゃった。
建築設計がご専門ですが(東大では磯崎新先生と同級、この期は仲がよくて年に二度もクラス会をやっいるとか)、工学院に遺族から寄贈された「今和次郎コレクション」の整理、研究にもう20数年取り組んでおられます。
まだまだ整理がつかないようですが、次々と珍しい資料の解明が進んでいるようです。同大学図書館のホームページにその概要が掲載されています。
今和次郎は、考現学の創始者にふさわしく、書籍はもちろん、雑誌、図面、書簡、写真(民家やバラックで有名ですね)、調査票、教え子たちのレポート、絵葉書、いただいた名刺、はてはレストランの紙ナプキン、箸入れ袋まで、何もかも捨てずに部屋中に積み上げていたらしい。
さすがというか、ご家族はたいへんだったでしょうね。
今和次郎は1973年10月27日に死去しますが、残されたご遺族は、遺品一切を当然のことながら、長く教授を務めた早稲田大学に寄贈したいと申し込まれたらしい。それに対し、早稲田は、なんともったいことを、断ってしまった。
大魚を逃すというのはこういうことを言うのでしょうね。
宙に浮いた「今和次郎コレクション」は、回りまわって、今和次郎とは全く縁も所縁もない工学院大学が引き受けた。その窓口が荻原正三先生でした。
先生によれば、今和次郎の自宅から、紙一枚、ほこり一つも残さず、ぜ~んぶいただいてきたようです。私も縁あって、工学院大学に半年ほど通い、埃と泥にまみれながら、その資料の山と格闘したことがあります。
まさに宝の山でした。資料というのは、使い方次第です。
たとえば、名刺のファイルがある。いただいた名刺をそのまま残してある。舞台美術家の吉田謙吉の名刺が何枚もある。ところが何枚もあるから、肩書きや住所の変遷がわかるのですね。
一枚だけしか残さなかったらそういう吉田の歩みはたどれない。
藤森照信先生たちの路上観察学の成果がヴェネツィアまで行く現在、今和次郎の考現学の今日的意義ははかりしれません。
奈良美智、棟方志功の展示で話題の青森県立美術館には、今和次郎・今純三兄弟の常設コーナーもあり、展示作品は工学院大学から定期的に貸し出しされているようです。
ぜひ皆さんも実物の今和次郎コレクションをのぞいてください。
話しかわって、某月某日、某美術館の某学芸員が、私が昔編集した本に関連することで、聞きたいことがあるとわざわざ訪ねていらっしゃいました。
いろいろ話した後、「あのお、この本まだ手に入るでしょうか」とのご質問。
「えっ、それおたくの美術館に寄贈してあるはずだけど」
「それが、ないんです・・・・・、私これを他の方から借りてコピーしてるんです」
「ええー、コピーたって700ページもあるんじゃあ、たいへんだよ」というわけで、再び寄贈の手続きをした次第。
ご本人はもじもじして言わなかったけれど、どうも先任の学芸員が転勤に伴い、自分の蔵書と一緒にもっていってしまったらしい。
確かに個人で買うにはン万円だしね。
転勤先まで持っていくほど重宝していることを喜ぶべきか、館蔵書を持っていくなんてと怒るべきか・・・
はてさて。
◆冒頭に掲載した織田一磨の石版について書く時間がなくなってしまいました。
ときの忘れものでは、29日までこの織田一磨の作品を含む「恩地孝四郎と創作版画の作家たち」展を開催しています。念のため申し添えますが、「今和次郎コレクション」とは全く関係がありません。
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