旭正秀 Masahide ASAHI
「チャーガルテンの秋(伯林)」
1933 woodcut
22.5x16.0cm Ed.100(36/100)
emboss sign
◆旭正秀の名をあげても直ぐに反応できる方はそう多くはないでしょう。
創作版画運動が全国に燎原の火のごとく広がったのは、恩地孝四郎はじめ優れた作家とともに、有能なオルガナイザーや、ほとんどボランティアで彼らの頒布会を組織した一群の人々がいます。
「神戸版画の家」の山口久吉、「新東京百景」の中島重太郎、アオイ書房「書窓」の志茂太郎、「版藝術」の料治熊太らが直ぐに浮かびますが、旭正秀も自身版画家であると同時になかなかのオルガナイザーでした。雑誌「版画」(のち「詩と版画」と改題)を刊行したり、素描社(のちデッサン社改名)を創立して展覧会を企画したりしています。
この作品は、「旭正秀滞欧版画 紀念作品集」(私家限定版100部)に挿入された作品です。
ちょっと横道にそれますが、上記の人々の中で、志茂太郎(1900~1980)さんだけは私は間に合いました。といってもお会いすることは適わず、幾度かお電話でお話しただけですが。
志茂さんは、中野で酒販売店を経営するかたわらアオイ書房を設立、恩地孝四郎を編集者に雑誌『書窓』を刊行され、戦時中の1943年、日本書票協会を創立されています。
◆旭正秀(あさひまさひで)は、1900年(明治33)年京都生まれ。府立二中を出て東京朝日新聞社に入社、1930年(昭和5)年まで在籍する。この間川端画学校に学び版画を始め、日本創作版画協会や春陽会に木版画を発表、1921(大正10)年には雑誌「版画」(のち「詩と版画」と改題)を刊行、「版画の手ほどき」などの技法書も著し創作版画の普及に努め、欧米での日本版画の紹介にも尽力した。1926(大正15)年に自ら創立した素描社(のちデッサン社改名)では『デッサン』誌を刊行、戦前、戦後を通じ、大家の素描展を企画開催している。戦時中一時、泰宏と名のった。
1956(昭和31)年死去。
◆ときの忘れものでは、29日まで「恩地孝四郎と創作版画の作家たち」展を開催しています。
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